効かない魔法✕優しい宣告
「イクスっ!」
私は慌てて倒れたイクスの元へ駆け寄り、印を切ろうと手を上げる。
外傷が見られるわけではない。胸元を押さえて脂汗を掻いている様子を見るからに、呼吸が苦しいのかな。
私の聖力が足りないとか、また『治療』の回数が増えちゃうとか……それどころじゃない。たとえ、私がまた力尽きたとしても……!
だけど、その手が掴まれてしまう。
「やめ、ろ……」
「……バカじゃないの」
目に涙を溜めているのは、身体の痛みが激しいから?
私はイクスの手を振り払う。……私が振り払えちゃうってのは、ダメだよ。
だから、私は印を切る。
「ナナリー=ガードナーの大切な人に、最大級の癒やしを――!」
私の中の聖力を、イクスに分ける。その金色の粒子で……具体的な外傷があるわけじゃないから、ただ分け与えることしかできないけれど。それでもどうか、イクスが元気になりますように。少しでもラクになりますように、と。
そんな祈りを込めて、私の力を注ぎ込み続ける。
それでも、イクスの表情は険しいまま。眉間のしわが深まり、身体を縮こませて、引き攣るような呼吸を繰り返すばかり。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……。
何の打開策も思いつかないまま、私も目の奥が熱くなる。一気に聖力の使いすぎなのだろう。爛々と黄金に光っているだろう私の瞳で見えるのは、ただ苦しみ続けるイクスの姿。
「仕方ないのう」
そんな私の横から、少年らしき腕が伸びた。その手から降り注がれる赤い粒子を浴びていくうちに、イクスの眉間のしわが取れていく。そして彼が――魔王が手を引っ込めた時には、イクスは健やかな寝息を立てていた。
「ありがとう――」
よかった……。ほんとうに、よかった。
そんな安堵とともに、私は魔王さんへと感謝を述べようとするも。魔王さんは近場でオロオロ周り続けていたピースケくんをイクスに乗せながら、言った。
「人間という小さき生物が感受できる痛みなど、たかが知れている」
静かで、優しく。だけど低い声音に、私は思わず喉を鳴らす。
続く言葉が優しさから発せられるものだとしても、私にとって優しいものじゃないことが、察せられたから。
「その上で眠れない体質……たいていの人間は、十日も眠らずにいたら発狂するらしいな? 三日で記憶力が大幅に低下し、五日くらいで簡単な計算すら出来なくなるようになるらしい。……まぁ、こやつの場合は眠れない原因が超常的な呪いだから、まったく同じ状況とは言えんが。それでも、人間の月日で考えれば、三十六年。ここまで正気を保っていたのは、まさに奇跡じゃろうて」
……うん。そんな研究結果、私も長いやり直し人生のどこかで、聞いたことある。でも、まさか魔王から聞くとは思わなかったから。私は眠るイクスの頭を撫でながら、また少しだけ逃げた。
「ずいぶんと、人間の身体にお詳しいですね?」
「ん、理由を聞きたいか?」
「……やめておきます」
ここで人間を捕まえて実験したことがあるとか言われたら……ちょっと面倒だからね。今はそれに反論も抗議もする余裕ないし。だって、こうして魔王が話してくれている結論は、どう考えても……。
「もってあと数日だ。この男の精神がおかしくなるか、呪縛から解き放ってやるか――汝が決めるべきことであろう」
そうだよね。だって、イクスに聞いたところで、どう考えても――
だからこの逃避行に終止符を打てるのは、私しかいないのだろう。
私はイクスを撫で続けながら、最後に聞く。
「……どうして、私に忠告を?」
「言ったじゃろう――ワシはただ、愛を知りたいだけなのだ、と」
イクスの胸元に乗せられていたピースケくんが、顔の方へ上がってくる。
そして悲しそうな顔をしながら、イクスの顎の首元にモフモフの顔を懸命に擦り寄せていた。







