sideイクス 9回目の死
◆ ◆ ◆
「さて、本当にこれからどうしようか……」
9回目の婚約破棄を受けた直後のナナリーは、いつも通りのように見えた。
俺はナナリーの笑顔が好きだ。そりゃあ男である以上、赤面した顔も、泣き顔もそれなりに唆られるものがあるが……それはそれ。やっぱりナナリーには、いつも楽しそうに笑っててもらいたい。
「王太子を今度こそ殺すために……この俺で閨の練習をするとかどうですか?」
「えー、やだぁ~」
たとえ酒場の親父が放つようなつまらない冗談だとしても。
ナナリーが笑ってくれるなら、それでいい。たとえ変態だと罵られようが、センスがないと呆れられようが――ナナリーが元気で居てくれるなら、俺はどんな醜聞でも甘んじて受け入れてやる。
だからナナリー、どうか笑ってくれ。
「どうしたらいいんだろう……」
一日何度か、そう呟くだけで。
ナナリーはベッドから動かなくなった。ぼんやりと窓から空を眺めているだけ。
部屋から一向に出てこない聖女に、ミーチェンらも最初は苦言を呈していたが、だんだんと心配の言葉とともに、食事もどんどん細くなっていく彼女に差し入れと優しい言葉を送ってくるようになった。
「ほら、ナナリー様。貴女様のお好きなチェリーですよ? なんなら俺が口移しで食べさせてあげましょうか。御覧ください、この通り舌技には自信がありますので」
そう言ってヘタを舌で結んでみせれば、ようやく視線を向けてくれたナナリーの肩が小さく上がる。頼む……もっと反応してくれ。罵倒でもなんでも、元気にしてくれよ。
「ほら、ナナリー様。貴女様のお好きなバナナですよ。俺が食べさせてあげましょう。なんなら俺のバナナも……」
ズボンに触れながら言ってみれば、わずかにナナリーの眉間にしわが寄る。
そんな少しの反応じゃダメだろう。もっと拒絶しろよ。「ばかっ!」て俺のこと叩いて……それこそ衛兵を呼んだり、大好きな妹に告げ口でもしろ。そうして姦しく二人で俺のこと非難してくれていいから……。
もう、俺のこと軽蔑してくれていい。嫌いになっていいから。
だから頼む、ナナリー。どうか、お前の心を殺さないでくれ……。
そしてある日。
またいつぞやのようにやせ細ってしまったナナリーが、ボソリと声を発した。
「ねぇ、イクス……」
「は、はい! なんですか、ナナリー様!」
久々に名前を呼ばれて、俺は思わず大きな声を返してしまう。
だけど、ナナリーは変わらずか細い声のまま――空を見上げたまま、言った。
「自分で死んでみたら……何か変わるかな……」
「……は?」
おい待て、ナナリー。お前は何を言ったんだ?
俺は「ははっ」と愛想笑いを浮かべながら聞き返す。
「ちょっと何を仰ったのかわからなかったのですが……あ、今日の差し入れは菓子ですよ。マシュマロという雲みたいな菓子のようです。最近令嬢らの中で流行っているようですが……見てください、このフニフニ。ナナリー様の二の腕にそっくりの弾力ですね。ご存知ですか? 二の腕の柔らかさって――」
「イクス」
必死に話を逸らそうとしている俺に、久々に視線を向けてくれたナナリー。だが、その長いまつげに覆われた碧眼の瞳に光はない。
「私のことを、殺して」
「つまらない冗談はやめろっ!」
俺はナナリーの骨ばってしまった肩を掴む。その手が痛いのだろう。ナナリーの顔が歪むだ……そうだ。痛いんだ。だから嫌がってくれ。そんな願い……撤回してくれ。
「そんなことより、もっと違う命令をください。どんなお望みでも叶えて差し上げましょう」
「イクス……」
その虚無な瞳を……俺のほうが見ていられなかった。
代わりに俺はナナリーの肩を強く揺さぶり、必死に言葉を紡ぐ。
「今度こそ王太子を殺してきましょうか? それとも魔王討伐にしますか? ついでに秘薬の花も探して来ます。……貴女が望むのでしたら、隣国の王太子と婚姻を結ぶよう早急に手配しましょう! さぁ、何なりとご随意にお命じくださいっ‼」
「……私を殺して」
「ナナリーっ‼」
強く彼女の名を呼ぶと、彼女は久々に……笑った。
その笑みは、とても悲しげだったけど。ゆっくりと持ち上げた華奢すぎる手が、俺の頬を撫でる。
「そんなに泣かせて……ごめんね……」
あぁ、お前はこんな時まで。どうして……。
だけどその優しさで、俺の何の役にも立たない涙の心配なんかしなくていいんだ。お前は何の心配もせず、ただ元気で、笑っていてさえくれたら。
「じゃあせめて、イクスの剣を貸してくれないかな? 自分でやってみるよ」
「嫌です」
「私からの命令だよ?」
「お断りします!」
「もう……肝心な時に聞いてくれないんだから」
そう困ったように笑われても、すまんな。俺は本当の意味でのお前の従者に、なりきれないんだ。忠実な騎士の振りをしているだけの、ただの利己的な男。ただただお前を囚えていたいだけの、悪い男でしかないんだから。
そんな俺に、ナナリーは小さく嘆息して。「それじゃあ」と代わりの命令を下してくる。
「お腹空いちゃった。お菓子じゃなくて……ちゃんとしたご飯を用意してもらえないかな。イクスの手料理がいいなぁ」
「……何が食べたいですか? 何でも作りますよ」
「それじゃあ、ハンバーグがいいな。トマトソースたっぷりのやつ」
「久々の食事で、そんなガッツリ大丈夫なんですか?」
「私そんなお年寄りじゃないもんっ」
そういうつもりで言ったわけじゃないんだが……。
だけど、それはナナリーも承知なのだろう。前みたいな可愛い顔でニコニコと笑っているから。まぁ、食べてくれるなら一口だけでもいいか。
「……腕によりを懸けて作ってきますから。楽しみに待っててください」
「やったぁ!」
その不自然なまでの笑顔に、俺も何も思わなかったわけでもないけれど。
そんな。まさか。そんなもしもの可能性に、縋るしかない。
だって、彼女を苦しめているのは。終わりの見えないループ生活に囚えているのは――他でもない俺なのだから。
だから、火の通りを確かめるために開けたハンバーグの穴から滲み出た透明な肉汁に、たっぷりな赤いソースが混じった熱々の力作を片手に。
「ナナリー様。ご要望のハンバーグ、作ってまいりましたよ」
扉をノックしても、返事はない。
異様な静けさに、俺は固唾を呑んでから「失礼しますね」と扉を開けて――俺はハンバーグの皿を落とした。
「イ、ス……ごめっ……」
キラキラとした粒子が部屋を揺蕩っていた。
シューシューと、喉から呼吸音が漏らしながら。
ナナリーの白いベッドが、トマトソースのように赤く染まっていた。汚れた原因は、彼女の首元から溢れ出た血液。どこから仕入れたのか、ベッドの下には血に染まった果物ナイフが落ちている。あれで……頸動脈を狙ったのだろう。だけどそれが上手く行かず――今、ナナリーは苦しんでいる。
「本当に、馬鹿な人だ……」
俺は剣を抜く。そして自分で涙を拭った。歪む視界で狙いが狂えば、それこそナナリーを苦しめてしまうから。
「戻ったら……懇々と説教してやりますからね」
それに、ナナリーは少しだけ口角を上げて。
俺はきっちりと急所を狙って一閃する。反射的に跳ねる身体、見開かれる瞳孔を、しっかりとこの目に納めながら。
キラキラとした黄金の粒子がその量を増やす。その欠片ひとつさえも、当然俺の赤い執着は逃しやしない。全てを絡み取りながら、俺は安堵の息を吐く。そんな自分に、嫌気が差す。
だって、今安堵するということは――俺はこんなに苦しんでいるナナリーのことより、俺の気持ちの方が大事だということだろう? こんな男、最低じゃないか。
「ごめんな……ごめんな、ナナリー」
俺は、俺が殺したナナリーの亡骸を強く抱きしめながら、何度も何度も謝罪する。誰がどう考えても、馬鹿なのは俺の方だろう?
それでも、それでも俺は、どうしても彼女を手放してやれなくて。
◇ ◇ ◇
「たいっへん申し訳ございませんでした!」
そして時が戻った直後。ナナリーが真っ白なベッドの上で、土下座をしていた。
まったく、どこでそんなもの覚えてきたんだ? おそらく婆様が教えたんだと思うが。
「……きちんと毎日二食はきっちり食べること。あとどんなことがあろうとも、毎日一回は外に出てください。鬱々とした気持ちは、不規則な生活習慣から引き起こされるものです!」
「うっす」
……どの口が偉そうに説教してんだか。
それでも、そんな罪悪感すら気取られなくない俺が、ションボリするナナリーにわざとらしく嘆息すれば。扉がトントン、と叩かれる。吉報を告げるノックを合図に、俺はナナリーを高く抱き上げた。
「ほら、早く婚約破棄を受けてきてください。今度は規則正しい毎日を過ごしますからね!」
「ふふっ、なんかお母さんみたいだね?」
「死んでも御免です」
だって、俺はナナリーの親になりたいわけじゃない。
俺は……一体ナナリーの“何”になりたかったのだろう?





