草原街道✕天才国家聖女さま
本当は、今晩中には宿舎町であるイーフェンで宿を取るつもりだったのだ。
だけどゴロツキ騒ぎはもとい、元々城下を出れた時間や歩行速度の遅れから、私たちは野宿することに。
だって、イクスの歩く速度が遅いんだもん! もっと速く歩いてくれたとて、私は着いて行けるのにさぁ!
「ならば、俺に抱きかかえさせてくだされば良かったのに。正直、貴女様の歩幅に合わせるよりよほどラクです」
そう言いながら、イクスは草原から少し外れた宿り木の下で、後ろから毛布で私を包む。無論、私は当たり前のようにイクスの足の間にすっぽりさせられていた。
「……それで、この体勢の意図は?」
「俺を癒やしてくださるというお約束でしょう? ほら、見てください。この腕。貴女様を守るために怪我をしてしまいました」
そうして後ろから見せてくるのは、袖を捲った逞しい腕。焚き火に照らされても目を凝らさないとわからないが――グローブと袖の間に赤い一線がある。どうやら戦闘中に草でピッと切ってしまったらしい。
……うん、そういうのって地味に痛いよね。たしかに袖が触れてヒリヒリするかもしれない。煩わしいね。
「ねぇ、イクス。『国家聖女』の一回の治療費って、いくら掛かるか知ってる?」
「治療の規模によりますが、どんなに軽い怪我でもざっと金貨三枚からってところじゃないですか?」
背後のイクスは「何年貴女様の護衛兼従者していると思っているんですか」と不満な様子だが――世間知らずな私でも知っている。金貨一枚で、一般市民は一人なら余裕で一月生活できるくらいの価値があるらしいよ。家族四人で平均的な生活ができるみたいだから、世間一般では『一人前の男』として求められる月収が金貨一枚らしい。
まぁ、イクスもレッチェンド侯爵家の、いうなればお坊ちゃんだし。そんな三ヶ月分のお給料を草でちょっと切った程度の治療に――はい、なんか考えていたとて虚しくなってきたので、やめておきます。
昼間は長閑な気温だったが、日が暮れると急激に冷える。それでも寒くないのは、背中で感じるイクスの体温と毛布のおかげ。その中でゆっくり目を閉じると、少し眠くなってしまうけど……。
黒魔法と白魔法は、名前は似ていても性質はまるで違う。
白魔法の発動条件は、イメージだ。決められた規則などない。ただ、私が脳内で思い浮かべた現象を、指で切った印を通じてこの世に引き起こす力――それが白魔法。イメージを具現化するために使うのが聖力であり、私の聖力が、イクスの体内を巡ってイクスの細胞と細胞を紡いでいく。それらはあくまで私のイメージが現実に投影されているだけで、白魔法は直接物理的な干渉をすることができない。便利なようで微妙に不便なのが白魔法だ。
今回は傷が小さすぎて、印も必要ないんだけどさ。
「ナナリー=ガードナーが愛すべき者に、祝福を」
そして最後に祈りの言葉を捧げたが直後、イクスの患部がぱあっと淡く光った。その光が落ち着いた後、先程までの赤い線はまるで見る影もなくなっている。そこには浮き出た血管が色っぽい腕があるだけだ。
「はい、これでいい――」
私がイクスに確認しようと、顔を後ろに向けようとすると。そのままイクスに顎を持ち上げられ、目が合った。恍惚と私を見下ろす視線は、ただただ甘い。
「あぁ……やはり白魔法を使った直後の貴女様は一段と美しいですね……」
それはおそらく、私の目が金色に変わっているからだろう。人間が黒魔法を使った際は何も身体に変化がないが、聖女が白魔法を使ったあとは瞳の色が金に染まるのが常識である。それは体内の聖力が活性化されたゆえとされているが――詳しいメカニズムは未だ不明。まだまだ未知な部分が多いのが白魔法である。
ともあれ……金色のキラキラと輝く瞳は幻想的だから……イクスはそれを綺麗と言ってるだけ! ……そうだよね?
「ちょ、ちょっと! 首が痛いってば‼」
無理やり後ろに反らされた首を振って元に戻せば、私の頭上でイクスがくすくすと笑っていた。
「すみません。“愛すべき者”と言われ、浮かれてしまって……」
「そんなの……祈りの言葉の定型文でしょ」
「残念ですが、そういうことにしておきましょう」
……もう。本当にイクスは冗談が上手いんだから……。ただのサービスだって、私はちゃんとわかっているんだからね。私が膝を抱えてむくれていると、イクスが私の頭をぽんぽんと叩いてくる。
も~、子供扱いっ! ……そんなに嫌いじゃないんだけど。
「さぁ、ナナリー様は早く寝てください。朝まで寝れないかもしれませんからね。少しでも睡眠を」
「それはまたゴロツキや追手がくるかもしれないってこと?」
「前者だとラクなのですが……まぁ、そういうことです」
「イクスは寝ないの?」
「火の番がありますから」
目の前で、今もパチパチと焚き火が跳ねている。これも私が火を起こせればラクだったんだけど……私の黒魔法じゃ危ないからと、結局イクスが火を起こしてくれた。私のわがままでこんな逃亡劇を始めたんだから、もっと役に立たないと……。
それなのに、やっぱりイクスの腕の中は暖かいから。イクスに頭を撫でられていると、どんどん瞼が下りてきてしまう。
「どうか……貴女はもっと俺に甘えてくださいね。俺なしでは生きられないくらい……永遠に……」
もう……相変わらずイクスは大袈裟なんだから……。
そう言いたくても、昨日の深夜から動き通してした私の体力は限界で。
私の意識は、夢の中に落ちていく。