sideイクス 5 回目の死
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永遠がないなんてことは、わかっている。
ずっと彼女を縛り付けておくことができない。ずっとこのままでいいはずがない。
それを苛むように、身体の痛みは日に日に増してくる。これだけは何度ループを繰り返してもリセットされるわけじゃなかった。
少し動くだけで顔をしかめたくなるほど。ペン一つ持つのも苦痛だ。だけど、そんな痛み――彼女が俺のそばに居てくれるなら、いくらでも耐えられるから。いくらでも、耐えてみせるから。
だから、どうか。ずっと俺だけを見ていてほしい。ずっと俺の手の中に居てほしい。
ずっと――俺だけのナナリーで居てほしい。
「イクス、どうかした?」
「あ……いえ、大丈夫ですよ? 少々ぼんやりしていただけです」
「そう?」
そして、五回目の婚約破棄のあと。今回はとりあえず「保留」にしてきたと、ナナリーが俺に説明してくれていた……そのはずだ。
いかんな。少し気を抜けばこれだ。思わず意識を持っていかれそうになる。
だけど……ナナリーが俺の顔を覗き込んでいるから。その可愛さの爆弾に、俺は簡単に意識を取り戻した。
だって可愛いんだ。三年戻ってあどけなさが増したナナリーが可愛い。つぶらな碧眼が可愛い。ぷるぷるとした桜色の唇が可愛い。桜……うちの実家には婆様の趣味で植えられていたが、もう何年も見てないな。一度見に戻ってもいいかもしれないな。もちろん、ナナリーを連れて。
「なぁ……いえ、ナナリー様。ご提案が――」
「もうっ、無理して敬語使わなくてもいいってば」
「そういうわけには……いきませんよ」
だって絶対に、俺らは主と従者の関係を超えられないのだから。
しっかり線引してないと――もし一線を超えてしまったら、俺はもう俺でいられないのだから。
ゆるく微笑む俺に、ナナリーが「イクスは頑固だなぁ」と口を尖らせる。あー可愛い。だから……俺はあくまで専属護衛という従者の一人として、気を引き締める。実家になんか連れ帰ったら……それこそ、俺が我慢できなくなるかもしれない。
俺は窓の外を見る。目の奥では、青空の下ではらはらと薄紅色の花びらを散らす儚い大樹を見たような気がした。
そんな俺に、ナナリーは「それで提案って?」と首を傾げていて。
俺はわざとらしく「忘れてしまいました」と肩を竦めてみせた。
結局、五回目の三年間は聖女の初心に返り、病に伏せる国王陛下の快復に尽力することにした。そもそもの悪政はミーチェン王太子の未熟さ故だと、ナナリーは結論づけたようだ。
王位に関しても、なかなか複雑で……。本来は長男であるミーチェン王太子と差し置いて、二つ年下のラーマン殿下を次期国王にと期待する声が多かったらしい。当時のミーチェン王太子に問題が……というよりも、ラーマン弟殿下が優秀すぎたという。
現国王陛下からしてみれば、二人共正妻との間に出来た可愛い御子。どうするか決めかねている間に――この婚約破棄から一年前、悲劇が起こった。ラーマン弟殿下が流行り病で亡くなってしまったのだ。
このことにより、自然と次期国王の座はミーチェン王太子に戻ったのだが、ミーチェン王太子の心境も複雑だろう。現国王陛下も病に倒れ、教育や引き継ぎも中途半端なまま――懸命に己の立場を誇示しようと奮闘している最中なのだという。ナナリーが言うには。俺としてはもう、どーでもいいことなんだがな。
「だからね、やっぱり現国王陛下に元気になってもらって、ミーチェン王太子にはゆっくりと王様になってもらえばいいと思うの」
――と、ナナリーは言うものだから。
彼女は懸命に医術師と協力して、国王陛下の病と向き合い始めた。
一年以上してわかったことは……代々王族の方々は肺が弱い家系だということ。ラーマン弟殿下の時も流行り病から肺炎という病気を発症させてしまい、それで亡くなってしまったという。国王陛下も昔から咳き込むことが多く、病にかかりやすかったという。
これだけのことにどうして一年以上かかったかといえば……王族が代々身体が弱いなど、民衆及び教会に知られるわけにはいかなったからだ。弱味を握られてしまえば、いつ政権交代や暴動が及ぶかわからない。そのため、国に派遣されているとはいえ、教会所属の俺らは警戒されていたらしい。
……民の怪我を治すのが主な仕事の聖女が、王様の病気を治せんのもおかしな話だと思うがな。
ともあれ、なんとか国王陛下に一歩踏め込めたナナリーは、懸命に肺の病に立ち向かおうとするも……聖女の力では太刀打ちできなかった。肺を治そうと白魔法を使ったら、むしろ病が悪化してしまったという。
「病原菌を活性化させちゃったみたい……どうしよう、私のせいで……」
落ち込むナナリーは、とてもじゃないけど見ていられなかった。
だけど、それでもナナリーは諦めなかった。忙しい聖女のお勤めの間を縫っては、まるで専属の侍女のように国王陛下の看病に励んでいた。一つ調べては、窓をよく開けるようにして。一つ調べては、水分を多く取らせ。一つ調べては、シーツ等を頻繁に替えるようにして。
アルザーク王国の医療体制は、残念ながら高くない。それは『聖女』という奇跡をもたらす存在が大きく関与しているだろう――とナナリーは結論づけていた。奇跡は起こせるけど……奇跡が効かない病には、打つ手が無いのが現状だ。
それでもナナリーは多くの他国の文献を読み、渋る大臣らや侍女たちを説得して、対策を実行し続けた――そんなこと二年続けていたら、やはり先に倒れるのはナナリーの方だった。
「あぁ……陛下、新しいお薬飲んでくれたかな……?」
「ほら、その前にナナリーが薬を飲むべきだろう」
「えへへ……疲れがたまると、病気にかかりやすくなるんだねぇ。また勉強に……なったよ」
疲れを貯めすぎたナナリーは、再び病が流行りだした途端、すぐにベッドから動けなくなってしまった。熱が高く、咳も止まらない。そのためろくに眠ることができず、彼女はあっという間に弱っていってしまって。
……どんなに俺が献身的に世話をしても、彼女が回復することはなく。
赤く汗ばんだ肌。うつろな目。状況が違えば嬉しい状態だが……痩せ過ぎてしまった骨ばった彼女の手を握ると、冗談でも喜ぶことなんかできない。
それでも……だからこそ、俺は軽口を吐くことしかできないんだ。
「その赤い顔……色っぽいな。そんなに俺を欲情させて楽しんでいるんですか?」
「もうっ……イクスったら……」
だって、俺が馬鹿のような本音を言う時だけは、彼女が嬉しそうに笑ってくれるから。このくらいでしか……彼女を喜ばしてあげることができないから。
「ねぇ……イクス……」
「はい、なんですか?」
「また……私たちはやり直すのかな……?」
その疑問符に、俺は彼女の手を強く握った。彼女にはもう、俺の手を握り返す力はない。それども、彼女の指がゆっくりと動こうとしてくれているのがわかるから。
「ご安心ください。また目覚めた時、必ず俺がそばにいますから。嫌だといっても、この手は離しませんよ?」
「ほんと……イクスはそれ系の冗談、好きだよねぇ」
「えぇ、大好きです」
大好きだ。愛している。だから――たとえナナリーが懇願してきたとしても、俺はこの手を離してなるものか。俺は彼女の手を強く握り直して、ゆっくりと微笑む。
「だから、安心しておやすみください……ナナリー様」
「うん……おやすみ」
そして――目を閉じたナナリーに、赤い蔦が絡みつく。彼女から離れようと舞う金色の花びらを、一つ残さず。俺が散らすことを許さない。
『桜はね、毎年儚く散るから美しいんだよ』
そんな婆様の言葉が、耳の奥で聴こえた気がしたけれど。
俺は未だ、彼女が散ることを許さない。
だって――
◇ ◇ ◇
「うわぁ。やっぱり健康が一番だね!」
また時が戻り、自由に動く身体が嬉しいのだろう。いつもの私室で、彼女はぴょんぴょんと幼子のように跳ね回っていた。
その時だ。やはり扉がノックされる。
「聖女ナナリー様。ミーチェン王太子殿下がお呼びでございます」
「はーいっ」
今から六回目の婚約破棄に臨むナナリーの声が弾んでいた。