牢屋の中は狭いので✕とりあえず踏ませておきました
彼の菫色の目が優美に下弦を描いていて。
エラドンナ侯爵を堂々殴った兵士ことイクスは、拳をポキポキと鳴らしながら「少々お待ち下さい」と私へと方向転換。そして無言で、驚き慄く兵士らを拳一つで鎮圧していく。
バキッ。ボキッ。ヴァグァッ。
鈍い音を立てながらバタバタと人が倒れている様は……爽快だなぁ。あはは……。
得意の剣すら使わないのは、牢屋の狭さ故か、それとも彼の気分なのか。
ともあれ、ざっと十数人をあっという間に殴り飛ばしたイクスは、いつになく爽やかな笑顔で振り返った。
「さぁ、ナナリー様。終わりましたよ」
「あの……イクス、怒ってる?」
「俺が貴女様に目くじらを立てるなど、とてもとても……。ただ忠実なる貴女様の騎士は、たとえ主君に置いて行かれようとも健気に任務を全うしたまでですよ!」
あ~⁉ 絶対に置いてったこと怒ってる~~っ‼
だけど、私の手足の紐を解いてくれる手付きが優しいこと優しいこと……。そのギャップに、私は思わず不要なことを聞いてしまう。
「……斬った方が早いんじゃ?」
「何を仰りますかっ。刃物なんぞ使ったら、せっかく合法的に貴女様に触れる機会を失くしてしまうでしょう⁉ 俺は貴女様に置いていかれて寂しかったんです! 寂しかったんですよぉっ‼」
……あーはいはい。だって、私だけってルーフェンさんとのお約束だったからね……? まぁ、今晩もイクスさんが元気そうで何よりです。はい。
健気にピースケくんも解くのを手伝おうと嘴で突っつきつつも、イクスに「邪魔だ」と退かされて……それでも諦めずにもふもふっとやってくる様を微笑ましく眺めているうちに、きちんと手足も解放される。私は縮こまった身体を伸ばしてから、ピースケくんを抱き上げた。
酷い侯爵を踏むと変な音が鳴るし、その息子を踏むともっと変な音が鳴るけど、気にしない。私はルーフェンさんの元へ行き、ざっとその怪我を癒やしてから――従者に命じる。
「じゃあ、次はルーフェンさんを――」
「今のうちに逃げましょう」
「いやいやいやいや!」
私の指示そっちのけで手を引こうとする悪い騎士の手を払い除け。何か足下でうるさい方を踏んだ気がするけど気にしない。私がじっとイクスを睨むと、彼がむっと口を尖らせる。
「ナナリー様は……その男に惚れてしまったのですか?」
「どーしてそーなる?」
「だって……平然と俺を置いて行ったじゃないですか。もう、俺のことは要らなくなりましたか?」
むくれたイクスが可愛くないわけでもないけど……そこで「それじゃあ二人で逃げましょう♡」となるわけがない。私が短く「命令!」と告げれば、嫌そうな顔を隠すこともなく、イクスが「ご命令とあらば」と剣を抜いて――ちなみにイクスも動く度に足下で何かが呻くけど、気にしちゃいないらしい。錠を斬ろうとする前に(あんな金属も斬れるんだ?)、今まで黙っていたルーフェンさんが口を開いた。
「……いい。オレのことは置いていってくれ」
「ルーフェンさん?」
「あ~、違うな。それでも悪用されるから――オレのことを殺してくれないか? そしてできれば、死体まで誰にも見られないように処理しといてほしい」
諦めたように、ゆるく笑って。
告げられた最低なお願いを、私が拒絶するよりも前に。
「――抜かせ」
そう吐き捨てたイクスが、剣を一閃させる。その達人技は、あっさりと錠だけを斬り裂いて。落ちた錠の欠片はイクスが後ろに蹴り飛ばしていた。もちろん変な音がするけど、誰も気にしない。
ただ、その場に落ちたルーフェンさんは膝を付いたまま、驚いたように顔をあげた。
「どー……して」
「どーしてもなにも。貴様をここで見捨てたら、ナナリー様が悲しむだろうが」
さも当然とばかりに言い捨てるイクスに、ルーフェンさんは「はっ」と苦笑して。
全てを嘲笑うかのような顔で、イクスの襟首を掴んだ。
「じゃあ、テメェはこの状況をどーするっていうんだ⁉ この侯爵のオッサンを殺すか? それでもオレが手をかけたら詰みだよなぁ? 他国の貴族殺しなんて条約違反として十分だっ!」
「知るか。それを考えるのが貴様の仕事だろう、王子様?」
冷たく、冷たく言い捨てて。私以外の人に冷たいのはいつものことだけど……。
今の彼がそうでないことが、私にはわかる。
「俺も聞いていたがな……まだ、貴様は王子様らしいじゃないか。ただのコソドロなら何を言ったって国も人も動かないが――亡き弟の思い出の地を訪れていた王子が正式に告発すれば――国も人も、動かないわけにはいかないだろう」
ま、小難しいことはしがない騎士にはわからんがな、と最後にそう付け足して。
そんな不器用な激励に、イクスから手を放したルーフェンさんは肩を竦める。
「だから……アンタは連れてきたくなかったんだよ」
「この変態が」
それはアンタの方だろ――そう吹き出したルーフェンさんは「さて」と、いつの間にかより悲惨な姿になっていた侯爵の服をガサガサと漁って。「あった」と見つけたのは、当然あのパズル箱。ルーフェンさんはそれをイクスへ投げ渡す。
「アンタの馬鹿力で、これ壊せねぇーのか?」
「貴様なんぞの言うことを聞く義理はないが、ナナリー様のご命令とあらば如何様にも――」
いつもの調子のイクスに、私はいつも通りお願いしようと口を開きかけるも……。
パズル箱って、強度も魔力で補強されているから、いかにイクスが馬鹿力だろうが剣が達人級だろうが、外部からの刺激じゃ壊れないと思うんだよねー。まぁ、試してみないことには……などと結論付けた時。
イクスが手にした途端、パズル箱の溝に赤い光が宿っていく。そしてカチカチと勝手に回ったかと思えば――光が止んだ途端、その箱はパカッと二つに折れた。







