血が滲む牢屋✕最低なんか踏んでしまえ
「昼間は息子が世話になったなぁ」
あー、なるほどね。どこかで見覚えあると思いきや、道端で少年をいきなり斬った馬鹿のお父さんでしたか。その息子は、今もお父さんの後ろでやんや騒いでいる。兵士さんにはどんまいだけど……思いっきり叩きのめしてやれば良かったかも。
――と、後悔しても、もう遅い。もう手足を結ばれ、口にも猿轡をはめられてしまいましたからね。「むー」としか喋ることができません。だから印を切ることも、祈りをあげることもできないわけで。
牢屋の隣で転がされているルーフェンさんも似たような状況。ただ、体育座りの状態で紐に結ばれている私に対して、ルーフェンさんは立った状態で壁に付いた錠へ繋がれている。
……まぁ、嫌な予感しかしないわけですよ。
視線のみでエラドンナ侯爵を睨みつけるも、侯爵はふふんと鼻を鳴らすだけ。くそぉ、お腹出ているくせに! 頭にだって金髪がもふっと乗っているだけのくせに‼
むーむーと唸る私の代わりに、口は自由なルーフェンさんが口角を上げてくれる。
「世話になったなら、親が代わりに礼をするべきなんじゃねぇーのか? だいじ~な観光客のガキをいきなり斬りつけるなんざ……ろくな教育してこなかったんだろ?」
「黙れ」
侯爵が目配せすると、その息子がニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ、鞭でルーフェンさんを打った。うわっ。服が裂けた。胸板からじわじわと赤い血が滲み出て……見ているだけで痛いよ。
それを何回も、何回も。私がどんなに呻き声を発しても、鞭はうねりをあげて。侯爵が「待て」をかけるまでの間に、ルーフェンさんの身体は赤く染まってしまって。猿轡を噛みすぎて、口の中が痛い。そんな私を横目で見たルーフェンさんは、血を吐き捨ててから「だいじょーぶ」と小さく笑った。
そして彼は前を見て、わずかに顎を上げる。
「そんで? オレをどーするつもりだ? こそ泥として駐屯兵にでも突き出すか?」
「いやいや……畏れ多くもかのザァツベルク帝国の元王太子殿下に、そんなつまらない真似いたしませんよ」
侯爵のわざとらしい敬語に、嫌悪感しか湧かないけれど。
「ザァツベルクの王太子直々にアルザーク王国の国家聖女を偽装。そしてかの砦を制圧しようとした――と、公表したら、世の中どうなりますかね?」
案の定、その話は“胸クソ悪い”としか呼べない代物だった。
「ザァツベルク帝国と我が国は和平が結ばれておりますが……王太子直々の反逆。これは我が国もいつ攻め込まれてもおかしくはありませんなぁ。あー怖い怖い」
わざと、侯爵はワンテンポ置いて、
「戦争が始まってしまうやも」
やたら嬉しそうに、そう吐き捨てる。
ルーフェンさんは傷付いた身体を厭わず、錠を鳴らした。
「待て! オレはもう王位を捨てている‼ だから帝国とはもう――」
「関係ないわけがないでしょう? そんな話、やっと一月――正式な調印は未だ押されてないと聞いております」
どこから、仕込まれていた話なのか。
その歪みを、今は問いただす術も、時間もないけれど。
「戦争は良い物ですぞ。たくさんの武器火薬が売れ、物流が動きます。これほどまでに経済を潤沢させるものはない。我らアルザーク王国は、我が領地のみならずどこも不景気だ。王太子も血気盛んなご様子ですし……国に金の血脈を巡らせば、大層喜ばれることでしょう。魔族なんてモンを相手するより、人間相手の方がよほど金になる‼」
――馬鹿すぎる。
為政とか。経済とか。私は全てを知るわけでもないけど――戦争は紛れもなく、多くの血が流れる行為だ。それを自ら起こす? 多くの人が死んでしまうのに? 馬鹿か。魔族相手ですら馬鹿げているのに……同じ人間同士とか。そんなものを好き好んで起こす気の奴らのことなんかわからない。わかりたくもない。
だけど、その最低なネタバラシは終わってくれなくて。
「観光地化して他国のやつらが集まった時に、観光客を人質にしてなどとも思っていたが……こうも都合よく大物が二匹釣れるとは。名も知れぬ雑魚より、よほどの成果だ」
下衆な笑いが、牢屋の中に響き渡る。
その中で、この場から脱却する方法を一つだけ思いついた。
私が、死ねば。
時間が巻き戻れば、一月前からやり直せる。そもそもこの場に来なければいい。エラドンナ侯爵領の調査をして、早めに芽を摘むことだってできる。
私が死にさえすれば――
さぁ、どうする。たくさん呻いたから少し緩んできたけど、猿轡のせいで舌は噛めない。無理やり暴れて、兵士にでも斬ってもらうか? それとも――聖力を暴発させ、この場の全員ごと……。国家聖女の聖力は伊達じゃない。やったことはないけど……ただ、やってみた結果、もしも私だけ生き伸びてしまったら? その後どーにかして自殺しなくてはいけない?
どーする? どーするどーするどーするどーするどーする?
頭の中に疑問符しか回らない。焦れば焦るほど、情けないことに目頭がどんどん熱くなっていって。視界がだんだんぼやけていって。
やっぱりイクスを連れてくればよかった。イクスさえいれば、この場をどうにかしてくれたのに。きっと命令さえすれば……私だけを殺してくれたのに。
ただ耳鳴りのように、エラドンナ侯爵の嫌味な声が聞こえる。
「さぁ、まずは手始めに。大勢の前でルーフェン王太子を打ち首にでも――」
「俺の女を泣かすな」
どがっ、と。
篭手越しの拳がやたらいい音を鳴らす。そして、エラドンナ侯爵の膝が崩れる。
「パパぁ‼」
それは侯爵のバカ息子の声だろう。だけど、兵士が容赦なく背中を踏み抜いたらしい。「ぶべし」と滑稽な声をあげて、バタンと床と口付けした。
「ババは……侯爵にしてまぼゔの……」
「馬鹿が。魔法なんぞ打つより、殴り倒す方が早い」
そして再び、その兵士は息子の背中をぐりぐり踏みつける。
私の目は、何度もまばたきをするたびに視界が明瞭になっていく。仰向けに倒れた侯爵は白目を向いて、口から泡を吹いていた。息子は今もぐりぐり。えーと……?
主であろうエラドンナ侯爵とその息子を容赦なく叩きのめした兵士は戸惑う周囲をよそに一人でペラペラ語る。
「まったく……ナナリー様を泣かせるなど不敬にもほどがある。俺がどれだけ毎日我慢して我慢して我慢して我慢しているのかも知らないで……ナナリー様もナナリー様です。どうして俺以外がいる場所でお泣きになるのですか。そんなに他所の男も欲情させたいのですか? 俺だけでは足りませんか?」
この狂ったような愛情過多を平然と放つ青年など、私は一人しか知らない。
そんな彼の首元から、モゾモゾと白い毛がはみだしていた。それは彼が「くすぐったいぞ」と文句を言っても、もしゃもしゃと手足を出して。「ままー」と私の顔へ飛び込んでくる。だけど……手足を縛られた私が受け止められるはずもなく、そのままズルズルべちゃっ……猿轡を巻き込んで冷たい床に落ちるんのだけど。
私はようやく開放された口を大きく開いた。
「ピースケくん⁉」
「まず俺の名前を呼んでくださいっ‼」
即座に文句を吐き捨てた兵士は動かなくなった息子から足を退け、兜を脱ぎ――気を取り直すかのように乱れた灰色の髪を雑に直したイクスは、私に向かって恭しく頭を垂れた。
「これはこれは、俺の愛しのナナリー様。ご機嫌は如何ですか?」





