観光地の地下室✕眼帯の元王太子様
いやぁ、まいった!
指名手配の規模が大きくなっていると忠告受けていたとはいえ、あんな町中で節操なくやられるとは……。あんな無関係な子供を巻き込むなんて……もし私が本物の聖女じゃなかったら、どうするつもりだったんだか。
私は下水道の道を歩きながら、イクスに尋ねる。
「おまえに怪我はないね?」
「はっ、勿論でございます。非常食も無事ですよ」
非常食……? そのいや~な単語と共に胸元から顔を覗かせてくるピースケこと聖鳥カラドリウスの幼生くん。……ま、無事ならいいんだけどさ。言い方。言い方……。
「ハハッ。こんな時まで食料の心配するにゃ、ずいぶん肝の据わった聖女様だなぁ!」
前を歩くルーフェンと名乗った男の人にピースケくんのことバレるのも、面倒そうだしね。
そうこういう間に、「ここだ」と青年が扉を蹴り開ける。中はどってことない小屋の一室のようだった。木製のテーブルと長椅子が二つ。木箱の上には乱雑にパンやら瓶の飲み物が置いてあり、ルーフェンさんは「適当に座ってくれ」と言いながらジョッキを樽の水で洗う。
「聖女様は未成年だからジュースな。護衛はどうする? いい酒あるぜ」
「気遣いは無用だ……俺はナナリー様と同じ物を飲むからな」
えっ、ここでもコップは共用なんですか?
お膝の上のディナータイムを思い起こす私に対して、ルーフェンさんは「仕事熱心だねぇ」と言いながらそれぞれのジョッキに黄色の飲み物を入れて、テーブルに置いてくれた。
甘酸っぱい香り的に……林檎ジュースかな? アルザーク王国ではあまり栽培されてないけど、隣国のザァルベルツ帝国では名産だったはず。果実はよく輸入しているね。
飲んでもいいか横目でイクスに尋ねると、彼は自分の前に置かれたジョッキに口をつける。そしてゆっくりと口に含んでから呑み込んで。「こちらを」と自分の飲んでいたジョッキを私の前に置いてくれた。
その一連の流れを見ていたルーフェンさんが、瓶を煽ってから愉快そうに笑う。
「ずいぶんと過保護じゃねーか! 別に毒なんか仕込んじゃねーよ。こっちは取引がしたいって言ってるんだぜ?」
「その言葉のどこを信用できる? 俺らを寝かせてから警邏に引き渡す可能性だって高いだろう。むしろその可能性の方が高いと思うが?」
「違いねぇ」
そう笑ったルーフェンさんは、「まぁ、信用できるなら食べな」とバスケットもテーブルに置いてくれた。バケットや厚手のハムが無造作に入っている。あ、バターの容器もあるな。普通に夕飯は宿で食べようとしていたから……お腹が空いて仕方ない。けど……さすがにここでいきなりいただくわけにはいかないしね。
空気を読んで険しい顔を崩さずに。有り難くジュースだけちびちびいただいていると、対面で頬杖をついたルーフェンさんが口角をあげていた。
「しかし……あの聖女様が今じゃ指名手配とねぇ……。あんな大人しそうだったのに、意外とやんちゃするのな」
「……やっぱり、どこかで会ったことありますよね?」
林檎ジュースはとても美味しかった。少し舌に残る感じが、生搾りって感じで。こういうジュース、けっこう高いらしいんだよね。生よりもたくさん摂りやすいからと、病気がちな人にも人気みたい。だけど不純物で薄めてない分、鮮度がすぐに落ちてしまうから……実際にジュースを口にできるのはかなりの貴族や王族くらい。私は国家聖女として、たまに差し入れで貰っていたけれど。
私の質問に、ルーフェンさんは「あぁ」と立ち上がった。
そして、赤黒い髪を後ろに掻き上げてから、紳士のお辞儀をする。
「お久しゅうございます。アルザーク王国国家聖女ナナリー=ガードナー様。わたくしめは旧ザァツベルク王太子、ルーフェン=イコル=ザァツベルクでございます」
――やっぱり……。
ルーフェン=イコル=ザァツベルク。
このアルザーク王国の隣にある大国、ザァツベルク帝国の元王太子として、私は何度も会ったことがある。それは、もちろん十二回のループ生活の間。たしか弟殿下が小さい頃から病を患っており、帝国内の聖女じゃ対処できないとして、ループの起源(ミーチェン王太子からの婚約破棄)の一年ほど前から、秘密裏にアルザーク王国まで治療にやってきていたのだ。そして今より三ヶ月後の私の治療を最後に、弟殿下は完全に快復し――ループ四回目の時には、色々あって私との婚約の話まであがったことがある。
ただ……彼が『旧』と名乗った通り、お家柄が色々大変で。彼は王位を捨てて、アルザーク王国内に新しく爵位を貰う予定……だったはず。そんな身分の方だから、当時はもっと清潔感溢れる服装をしていたし……そもそも眼帯なんかしてなかったはず。飾り?
根本的に、この時期は一度兄弟共にザァツベルク帝国に戻っていたはず。お家騒動が真っ只中だったはずで……だけど弟君の病が悪化しだして、三ヶ月後くらいに来城したはずだから……この時期にアルザーク王国にいるのはおかしいのだけど……。だから、すでに彼が『旧』と言っている時点で、おかしいような……?
一分の狂いもないお辞儀を正したルーフェンさんは、私を見ていじらしく口角をあげていた。
「おやおや、ナナリー様はつれないですねぇ。面布越しじゃないと恥ずかしいですか?」
「……よく私の顔がわかりましたね?」
「そりゃあ、こちらも色々と調べてから動いてますので。ミーチェン王太子から婚約破棄を言い渡され、失意の果てに城から逃亡したとか……ね?」
この人の時系列では、もちろん私との婚約の話などあがっているはずもなく。
変なことを口走るわけにもいかない。私が横目でイクスを見やると、彼もどう対処すべきか考えているのだろう。神妙な顔をしていて。
私は一呼吸置いてから、ルーフェンさんに訊いた。
「それで? 私にどんな御用ですか?」
「くくっ、そんな警戒しないでも? こっちはお困りだった聖女様をお助けしたのですよ?」
「でも、取引がしたいって仰ってましたよね? 弟殿下の治療ですか? それなら――」
あれかな、私が城から逃げちゃったから、弟殿下の治療に困るってやつなら――まぁ、こちらの不備……みたいなものだよね。なるべく善処はしよう。本当に兄弟それぞれ思い合ってて……素敵な二人だったから。王位の件は残念だったけど、それにこだわるのだけが幸せでもないと思うし。ミーチェン王太子が変なこと言い出さなければ、アルザーク王国も悪い国じゃないと思うしさ。兄弟仲良く一から頑張っていってほしいと思うんだ。上から目線で申し訳ないけどさ。
だけど、「あぁ、それはもういいんだ」と笑いながら眼帯を外したルーフェンさんを見て。
そんな簡単な話でないことは、ひと目でわかってしまった。
隣のイクスも息を呑んでいる。だって――眼帯の下には、まだ治りきっていない生々しいやけどの痕があったから。眼球も真っ白になってしまって……視力がないということが一目瞭然。髪型も無造作だと思ってたけど……そちらのこめかみの部分に、髪の毛が生えていない。それを誤魔化すために反対から髪を流しているのだろう。当然、頬の部分にも爛れが残っていて。
失礼だとわかっていてながらも、思わず顔をしかめてしまう。そんな私を見て、ルーフェンさんが笑みを落とした。
「声を上げないでくれただけで感謝だぜ。さすがは聖女様」
「いえ……すみません……」
「なぁに、こちらこそ見苦しいものをすまなかったな」
謝らないで。なのに、かける言葉に悩んでいた私に、ルーフェンさんは言うものだから。
「弟は――死んだよ。寝ていたところを、屋敷ごと叔父上の手の者に燃やされてな」







