高山の片思い✕ひと目見た瞬間から
「ぴぃっ‼」
そのひよこは、頭に乗った殻をふるふる振って落として。にょき、にょきっと殻から手足を突き破って、トコトコ私の元へと歩いてきた。
「まま!」
そして、再び私のことを「まま」と呼んで。私はまばたきを数回繰り返してから、自分を指差す。
「ママ?」
「まま!」
そんなひよこを、イクスが指先二本で持ち上げた。その拍子に下半身の殻が落ちたのは良かったのか悪かったのか。まんまるふわふわのお尻が可愛い……なんて惚気ける暇なく、イクスはいつにもなく渋い顔で顎を撫でていた。
「おい貴様。このまま殺されたくなければ、俺のことを『パパ』と呼んでみろ」
「イクスさん⁉」
私が慌ててひよこ(?)をイクスから奪った時、「ドーした?」と崖の縁からアルバさんが登ってくる。万が一私が落ちたらと、後ろから着いてきてくれていたのだ。そんなアルバさんが、私の抱えているひよこ(?)を見て、目をパチクリさせてから、ぽっかりと口を開けた。
「ナ……」
「な?」
「ナ……ナナリーが純潔のまま子供を生ンダアアアアアアアア⁉」
「生んでないからっ‼」
ほんともーっ! こいつらはどいつもこいつも‼
私が地団駄を踏んでいる最中、そのひよこ(?)は嬉しそうに私の手に頬をスリスリさせていた。
「まぁ、真面目な話。貴女様の聖力に感化されて、羽化が早まったんじゃないですかね?」
「あぁ……それで聖力が急に抜かれた感じがしたってこと?」
「成鳥のカラドリウスもそばにいましたし……あくまで仮説にすぎませんが」
私の白魔法の威力が予想以上になったのも、大人のカラドリウスのせいなのかな? それとも君のせい? と、私は目の前で器のミルクを飲んでいる白いもふもふを撫でた。
このもふもふ。集落に戻ろうとしても、このカラドリウスのひよこは私について来ようとした。無理やり置いて行こうとしても、崖から飛び降りるんじゃないかという勢いで「ままあああああああ」と泣き叫んで突進してきたものだから――仕方なしに、麓まで一緒に連れてきたのである。
そして現在、例の集会所の中でひよこは美味しそうにヤギのミルクを飲んでいる。おしりが丸いな。ふわふわ弄びながら、私はイクスに聞く。
「それはそうとしても。なんで私が『ママ』なのかな?」
「カラドリウスとて鳥類ですから。最初に見たものを親だと思ってしまう『刷り込み』がなされたのかと。もしかしたら、貴女様の聖力によるものかもしれませんが……まぁ、どちらでも今更でしょう。問題は、俺のことをこいつが『パパ』と呼ばないことです!」
……いや、イクスさん。他にも『どうして鳥が『ママ』と人の言葉を話すのか』など、疑問はたくさんあると思うのですが……。
だけどそう言い切ったイクスは、ミルクをたくさん飲んで「ぷはぁっ」と満足気なひよこに向かい「ほら、パパと呼べ!」と何度も命じている。だけどひよこはイクスの言葉なんか相手にせず、私に向かってミルクでベタベタの嘴を押し付けるような仕草をしてきた。
私はそれを拭いてあげながら、他の村人たちと同じように少し離れた距離から覗き込んできた村長さんへ尋ねる。
「この子、どうするべきですかねぇ?」
「聖女様さえ良ければ、このまま連れてってやってはくれませんかね?」
「え?」
「もちろん、こんなことは言い伝えにもない前代未聞ですが……赤子から母親を取り上げるには、どーにも我らにゃ忍びないのです」
我らはとにかく家族一番がモットーの一族での、と苦笑して。
でも私は『ママ』と呼ばれただけで、本当の母親じゃ……。その疑問は、言うまでもなく皆に伝わっていたようだ。ひよこを洗うために水を取りに行ってくれていたアルバさんが、桶を抱えて帰ってくる。そして、話を聞いていたんだろう。
「連レテ行カレタクなければ、カラドリウス自体がモット抵抗スルと思ウ。だけど、ソレをしなかった。ならば、ナナリーが母親で問題ナイ」
「そういう……問題なんですかねぇ?」
桶を置いたアルバさんは「布巾持ッテくる」と行ってしまうし、イクスは相変わらず「パパと呼べ」と喚いているし、村長さんたちは私に戯れようとするひよこを眺めて「可愛いのう」と鼻の下を伸ばしているし。
……どうやら、旅の連れが増えてしまったようだ。
私の手にじゃれつく白いもふもふが嬉しそうに「ぴぃ」と鳴く。
そして翌日。
なんやかんや居心地の良かった集落だけど、長居するわけにもいかなくて。
「本当に行ッテしまうのか?」
「はい、お世話になりました」
私たちはお尋ね者だからね。王太子殿下直々に探している偽聖女だもの。……そーいや、イクスにきちんと相談してなかったな? ここを出たらきちんと今後について話し合わないと……。
「おい、貴様はいつになったら俺のことを『パパ』と呼ぶんだ⁉ まさかよその男をナナリーの旦那にしたてあげるつもりじゃないだろうな? 俺はいつでも貴様を焼き鳥にして、ナナリー様に召し上がっていただいてもいいんだぞ」
「ぴっ」
ますます真面目に話すタイミングなくなったんじゃなかろうか……などと言う疑問がないわけでもないが。とりあえず、プイッと逃げてきたひよこ(名前も決めてあげないとね)を掬いあげると、アルバさんが手を差し出してくる。
「ナナリーは本当にイイ女だ。オレが保証スル。その変な男に嫌気が差シタら、いつでも戻ッテくるといい。オレが――楔を殺し、汝を解放してやろう」
「アルバさん?」
その時のアルバさんは、確かに燃えるように真っ赤な目を滾らせていて。
その爛々とした様子に疑問符を投げれば、彼はすぐに「あれ?」と首を振る。
「スマン……オレ、今なに言ッタ?」
「……いえ。いざという時は、イクスの暴走止めてくださいね?」
「え、あぁ……何時でもナナリーを嫁にシてやる」
私は苦笑しながら、そっと浅黒い手と握手して。
もちろん、後ろのイクスは超不満げに腕を組んでいるけれど。まぁ、こんな可愛い子を焼き鳥にするなんて言う悪い騎士さんには、多少はね?
「それじゃあ――また、いつか」
そんな再会を期待しない挨拶を残して。
私たちは集落の皆さんに見送られて山を下りる。
「そういえばナナリー様。最後、あの猿男はなんて言ってたんですか?」
「……ん? 聞いてなかったの?」
「胸糞悪いことを言われた気はしたのですが……あまりに腹立ちすぎて脳が理解を拒絶してしまったようで……」
「なにそれ?」
その時、聖鳥カラドリウスの鳴き声は「キイイッ」と巣から鳴き声を発していた。イクスは振り返ると、少し嬉しそうな顔をしている。
「息子が俺に焼き鳥にされないよう祈ってるんですかね」
「お願いだからこんな可愛い子食べないでね⁉」
「まさか、俺よりそいつを取るんですか⁉」
私は肩の上にしがみついてくるひよこくん(男の子なのかな?)を抱きかかえて、狭い崖道を「わあああ」と駆け下りる。……この二日で多少は高所にも慣れたみたい。良かった良かった。
だから、まっすぐ走る私は――カラドリウスが逃げる私を叱咤しようとしたのか、それこそ幼子の旅出を応援してくれたのか――その答えから逃げ続けるのだ。







