山の上にそびえる巣✕登山不慣れな聖女様
「高い高い高い高いっ!」
エラドンナ山岳。乾いた風が長年山肌を削ってできた、人気のない土色の山……というか、崖を私たちは進んでいた。上は空。下は……見ちゃいけない! 歩ける道は辞書を広げたくらい。そんな細い崖を横歩きで一歩。また一歩。風が吹く度に煽られるからゴツゴツの山肌にしがみついて。
ヒィヒィ泣きながら頑張っていると、少し先を進むイクスが嬉しそうに言ってくる。
「俺はいつでも抱っこしますよ?」
「そ、そんなことしたら、さすがのイクスも落ちちゃうでしょう⁉」
「大丈夫ですよ。紐の上を歩くわけではあるまいし。崖……というには道幅もありますから、真っ直ぐ歩いていたら落ちようもないでしょう? むしろ貴女様がこの風に飛ばされてしまうのではないかという方が不安です」
さあっ、と崖の途中で器用に踵を返して両手を広げるイクス。
くそぉ、この体術おばけめ! たしかにイクスに抱っこされた方が安心か……と心が揺れてしまうけど。ダメダメ! 私が逃げるって決めたんだもん! ただでさえ、イクスには荷物を全部持ってもらっているんだから……腰を紐で結んで貰っているだけで充分!
「大丈夫です! このまま行きますっ!」
「そんなご無理なさらないでも……。後ろですぐ『ひぃ』と泣いている貴女の声を聞くのも楽しいのですが……妄想が膨らんでしまい歩きにくくて仕方がないのに」
「なっ……じゃあ、もう声出さないから! いいから! 先行く! 命令っ‼」
「はいはい。全ては貴女様の仰せのままに」
肩を竦めたイクスは、また方向転換をして。
紐の長さは限られているから、遅れないように一生懸命に歩かなくちゃ……でもイクス? 何か歩幅ひ広くなってない? 早いよ、歩くの早いよ⁉
「ちょっ、イク――ひぃ!」
最後まで呼ぶまえに、目の前が一瞬暗くなり、少し遅れてから一陣の風が吹く。慌てて山肌にしがみついていると、足を止めたイクスが明るい声をあげていた。
「ほら、見て下さい!」
「え?」
イクスが嬉しそうに顔をあげているから、私も上げる。
うわ……白い羽が綺麗な大きな鳥だ。人の三倍以上あろう獣のようなもふもふの背中から、大きな羽が四枚。羽を動かすたびにその軌跡が虹色に瞬き、獅子にも似たつぶらな顔の瞳は黄金に煌めいていた。手足の先が黒いのも特徴のひとつか。
それは教典にも描かれるくらい貴重な聖鳥だ(この見た目で分類は鳥になるらしい)。名前はたしか――。
「聖鳥カラドリウス……まさかこの目で見ることができるとは。繁殖期だったんですね!」
聖鳥には、たしかこんな逸話があったはず。
神の御子である鳥は生きる時に未来を視て、死した時に神の道具となる。
それらはすべて、愛する母のために――母を未来へ導く糧となる。
普段は空の上に住んでいると言われる存在だが、繁殖期だけ地上に降り立ち、卵を生むという。そして父親は卵が孵化し、子供たちが空を飛べるようになるまで守るのだ。
「この時期だったんだね……」
それが今だとは、今までのループ生活でも知らなかった。実際に旅して、自分の足で歩いて、始めて知ったこと。だけど私の目が捉えているのは、神々しい奇跡ではない。その奇跡を目の当たりにして、普段よりもテンションをあげている彼が、菫色の瞳を子供のようにキラキラさせているから。そんな横顔が、とても愛おしくて。
だけど私は頭を振り、無理やり細道を歩いてイクスに近づく。
「ほら、刺激しないうちに行こ?」
「え、あぁ……そうですね」
こういう奇跡に干渉してはならない。そっと見守り、素敵な思い出として飾らせてもらうだけ。それがいい。それでいい――と、私は荷物を背負ったイクスの背中にまっすぐ着いていく。いつか、彼の荷物を下ろしてあげなくちゃ。そんなことを考えながら。
そして、一刻くらい歩いた頃だろう。
「ちょうど良いタイミングで着きましたね」
私たちは山間の集落に辿り着いた。赤い山肌の崖スレスレ斜めに建てられた茅葺屋根の小屋の間に、多くのロープが張られた不思議な光景だ。イクスがロープを引っ張ってみるも、
「おそらく、中に鋼かなにかが練られてますね」
多少軋むものの、しっかりした作りなのだろう。弛みができるわけではない。かなり高所ゆえ、ここでも風が肌を強く打つ。そして見下ろすと線のような川が見えた。あそこから毎日水を組んでるのかなぁ……まさかね。
私がそんなことを考えていると、イクスに「危ないですよ」と両手で持ち上げられて。そのまま抱っこされ、私はようやく我に返った。
「……は?」
「あはは、油断している貴女様が悪い。先程からぼんやりとされて如何されたんですか? 疲れたんですよね? どうぞ存分に俺に甘えてください?」
「いやいやいや! 確かに疲れていたけど……もう集落着いたからね⁉ ひ、人に見られたらどうするの⁉」
「そんなの、当然また『いちゃいちゃラブラブ新婚旅行』と言い張るに決まっているじゃないですか」
「またそれなの⁉」
「ふむ……」
私が文句を言うと、イクスは器用に私を抱っこしたまま顎に手を当てて。
「ご不満ならば、『いちゃいちゃラブラブ激あま新婚旅行』に致しましょうか?」
「変わらないわっ‼」
無駄な装飾語を真顔で増やしてご満悦のイクスさんが、突如視線を動かし目を細めた。――え、なに? そう聞くよりも早く「申し訳ございません」と私をさっと下ろし、イクスは腰の剣を抜く。そして、
「キエエエエエエエエエエエエエエッ!」
奇声と共にロープの上を掛けてきた毛皮の映えた巨大猿のツメと、イクスの剣がガキンッと強く打ち合わされた。







