sideイクス 3回目の死
◆ ◆ ◆
そして、三回目の婚約破棄。
「またおんなじこと言われてきたよ。何も聞かず婚約破棄してくれないかって」
「……それで、ナナリーはなんて答えたんだ?」
聞いといて何だが、どうせ「はい、わかりました」くらいなものだろう。そこで「ありがとうございます! 好きなひとがいたからめっちゃ嬉しい申し出です♡」くらい言ってくれたら俺としては御の字なんだが。まぁ、いつかそう言って貰えるように努めるだけだ。
さて、事務作業ばかりしても不健康に至ることは学んだ。正直、今も冷えたナナリーの感触が手から離れないが……こうして無事にまたやり直すことができるんだ。頭を切り替えろ。今度こそ俺はナナリーを――。
「うん、今回は『嫌です』って駄々こねてみたよ」
「そうか嫌だと…………は?」
……今、ナナリーは何と言った……?
全然頭が追いつかない。俺は固まったままナナリーを見据えていると「いや、怖いってば」と苦笑されて。彼女は「あのね」と話し出す。
「同じことしていても、当然ダメだと思ったんだよね。だから今回は根本から変えてみようって。ミーチェン王太子も私が嫌って言ったら、意外とあっさり『そうか』て引き下がってくれてさ。王太子のそばにいたら、そもそもの暴走も止められるかもしれないし。今回はこれで試してみるよ」
ナナリーが他の男との婚約を継続する。つまり、もしこのままナナリーが死なずに済めば――彼女が他の男と結婚する?
その後の想像が頭を巡る。結婚式で白いウエディングドレスを着てはにかむナナリー。そして神に愛を誓い、大勢の奴らの前でナナリーが他の男とキスをする。そしてその夜から、寝室もそいつと同室。つまりナナリーはその夜から毎晩……。
「だああああああああああああああああ⁉」
「ちょっ、イクス⁉ どうしたの⁉」
突如しゃがんで頭を掻きむしりだした俺を心配するナナリー。はぁ? ナナリーがあんなヘナチョコ王太子と……はあ⁉
ゆっくりと息を吐いた俺は、ナナリーを見上げる。
「ナナリー」
「う、うん。どうしたの、イクス?」
あぁ、ナナリーは可愛い。真っ白いたおやかな髪。可愛い。ぱっちりと大きな碧眼のまわりには、まばたきをするたびに白いまつげがぱたぱたしている。可愛い。紅を引いていないのに淡く色づく唇が少し尖って間を空けている。可愛い。うっすら紅潮しているきめ細かな頬……もちろん可愛い!
そんなナナリーを見上げて――俺は何もと言えなかった。嫌だ。ナナリーがこのままあいつと婚約を続けるとか、心底嫌だ! それでも……俺はナナリーの従者だから。邪な感情を抱いてはいけない。一線を引き、常に彼女の安全に努めてこそ、騎士の誉れ。専属護衛の義務。
それに……もしも俺の私情を伝えたとて。それを彼女が『嫌だ』と思ったら?
それこそ、もう彼女の傍にいることすら出来なくなるのでは?
「いえ、何でもございません……」
俺は噛み締めた奥歯の隙間から声を絞りだし、ゆっくり姿勢を整える。
立膝をつき、彼女の清らかな手を取り――俺は忠誠を誓うべく、その甲に唇を落とした。
「全ては、貴女様の御心のままに」
ナナリーは目を丸くしていたけれど……構うものか。
俺はずっとナナリーの傍にいたい。それ以上の願いなど、俺にはないのだから。
そして、彼女の王太子との婚約生活は続いた。
彼女の目論見どおり、王太子が「魔王討伐!」などという馬鹿な目論見をする気配もなく――のんびりと聖女生活を続けていくと同時に、結婚準備も着実に進んでいく。ナナリーが二十歳で成人すると同時に式を挙げる予定らしい。天才国家聖女と王太子との結婚は民草も歓迎し、式が近づくにつれ、城下が浮足立っていった。
前回の死因もあったから、雑務の多くは俺が引き受けることにした。その分、彼女は優雅なお姫様生活を満喫していたと思う。
「今日はドレスのデザインを相談したの」
「国王陛下のお見舞いを一緒に行ってね、陛下も『孫を抱くまでは死ねぬ!』なんて言い出して」
「ごめんね。さすがに陛下が亡くなって、ミーチェン王太子が落ち込んでいるから。傍に……」
あの婚約破棄の騒動は何だったのだろうと思うくらい、ナナリーと王太子は仲を深めていったと思う。その傍らで、俺はナナリーの書類仕事を肩代わりするのみ。司書官を雇おうとナナリーは何度も提案してくれたが……俺は頑なに断った。この書類仕事もなくなってしまえば……俺がナナリーと話す機会も減ってしまうだろう? 専属護衛とて、最近は王太子と行動を共にすることも増えてきたから、俺が外されることもある。俺の所属は『国』ではなく『教会』だからな。何かと教会側の人間が居ては不便も出てくるのだろう。
そして、その日は来た。
「このあとミーチェン王太子と結婚式の最終確認を兼ねたお茶会に行くけど……本当にまた書類お願いしちゃっていいの?」
「勿論です。全てこの俺にお任せください」
俺が敬礼すると、ナナリーは眉根を寄せて「行ってくるね」と扉から出ていく。聖女の執務室にひとり残された俺は、またいつもどおり書類と格闘するだけ。ナナリーは夕方に一度様子を見に戻ってきてくれるはずだ。その時を心待ちに、俺は心を殺して事務作業に勤しみ――侍女からの連絡が届いた。
「し、失礼しますっ! 国家聖女様が……毒を飲まれて、意識を――⁉」
「……は?」
俺は即座に駆け出した。ナナリーが毒を? 誰が? どうして? せっかくもうすぐ結婚を――。
だけどそんな疑問符の間に、邪な感情が浮かんでくる。良かった。これで、ナナリーが結婚せずに済む。また、俺はやり直せる――。
「ははっ」
通路を走りながら、己の最低な思考を笑い飛ばした時。
胸の奥から、それは伸びていく。何かを捕まえようと。何かを囚えようと――俺の赤黒く染まった邪悪な執着心が、彼女の欠片をひとつも逃さないために、その手を、足を、伸ばしていく。
「はは……」
俺はその場で、膝を付いた。さぁ、目を閉じよう。またやり直しだ。次に目を開けた時には――。
◇ ◇ ◇
「あれ……イクス?」
彼女はまたあどけない無垢な金色の瞳で、俺を見上げてくれているのだから。







