駆け落ちカップルがいた村✕悲しき怨念
イクスは本当に今すぐここを発ちたかったようだけど……そこは私がわがままを言わせてもらった。お腹が空いたからね。それにイクスもずっと釣りして、私を探して――全然休めていないし。
たとえダイオウウリドナマズが獲れなくても、そこはおじいさんおばあさんズは大した問題じゃないらしい。「また明日頑張ればええ」と優しすぎる顔で大量のご馳走を出してくれた。
……うん。本当に美味しかったよ。相変わらずイクスの膝の上でイクスに「あーん」される姿勢でなければ、本当にお魚の蒸し煮も野菜たっぷりのスープも優しい味付けで本当に美味しかった! この姿勢でなければ尚更さ……。近所の他のおじいさんおばあさんズも、夜はこのお店で食べるんだね……みんなしてニヤニヤこっちを見てきてさ……本当……本当……。
「私……あのまま瘴気に呑まれて頭おかしくなった方が幸せだったんじゃないかなぁ……なんて思ってしまうんだけど」
イクスにお水を飲ませてもらって(もちろん同じコップでイクスの手ずから飲ませていただいてます!)から小さく愚痴を吐いた時だ。ガシャンッと一斉に食器が落ちる音がする。
「え?」
ポカンと顔を上げると、イクスは泣きそうなくらい顔を歪めていた。あぁ、ごめんね。せっかくイクスが助けてくれたのに、そんなこと言うなんて薄情だよね。でも……私は注視すべきなのはイクスではないんだ。
その後、私が賑わう古き良きな食堂を見渡すと――おじいさんおばあさんズが、わかりやすく狼狽えた様子でガタガタ食事を再開し始める。おじいちゃん、フォークでスープは啜れないと思うよ? そっちのおばあさん、パンは目から食べれません。
私はもう一回イクスを見上げた。じーっと見つめ合うこと三秒。イクスがぼそりと耳打ちしてくる。
「俺は今すぐ貴女様を抱えてベッドに行きたいです」
「どーして⁉ むしろ村を出たいって言ってたじゃん!」
私の悲鳴にも似た抗議に、再びおじいさんおばあさんズがガタッと音を立てる。
だけど、イクスはその様子を横目で見ながら変わらぬ口調で、だけど周りにも聞こえるくらい大きな声で言う。
「もう遅いですからね。同じベッドで横たわりながら、二人で寝ずに夜を明かしましょう。どんなに恐ろしいモノが現れても……俺の腕の中にいれば安心でしょう?」
それに、おじいさんおばあさんズは安心したようにドッとため息を吐いて。イクスは「やれやれですね」と私を椅子から下ろし、スッと腰の剣を抜いた。
「ちょっ、イクス⁉」
「これが早いですから」
こういう時ばかり言うこと聞いてくれないんだからぁ‼
私の静止を聞かず、イクスは手近の髪の毛が横線しましまになっているおじいさんの喉元に剣先を突きつける。いや……おじいさんガタガタじゃん……もう偽聖女云々置いておいてもご老人への狼藉で捕まるってこれ……。
「当然、すぐさま真実を口にすれば傷付けん」
だけど、そう前置きするイクスの菫色の瞳はいつも以上に冷たい。
「貴様らが隠している村の秘密はなんだ? 林の瘴気が関係あるんだろう? 洗いざらい吐け」
それでも、村のご老人方は目を見合わせて震えるだけ。その様子に、イクスはにやりと口角をあげた。
「どうせ老人しかいないなら――今全員であの世に送ってやった方が親切だよなぁ? 寂しくないもんな。どうだ、俺の親切……受けるつもりになっただろう?」
その親切すぎるご提案を否定するがの如く、老人らが一斉に喋りだしたのは言うまでもない。
当然誰の血も流れてないけれど。口ごもるごとに発せられるイクスの親切な一言に、絶叫悲鳴の阿鼻叫喚。そんな地獄絵図からようやく聞き取れた話はこうだった。
二十年くらい前にとある若き夫婦が流れ着いたという。その頃はまだ少ないながらも、村に楽しげに遊ぶ子供の声が毎日響き渡っていたそうだ。その夫婦はあからさまに事情を抱えた様子だったものの……村に若者が増えることは良いことと、皆で歓迎したらしい。夫婦が生活に慣れた頃には奥さんのお腹が膨らみ、十ヶ月後……可愛い男の子が生まれたという。
「だけど、そうは問屋がおろさなかったと?」
「はい……その頃から、村の周りに兵士らしき者たちが多くやってくるようになりました。兵士らが夫婦を探していることはすぐにわかりましたが……夫婦は極端に怯えておりましたから。ワシらは隠し通そうとしたのです。しかし――」
話はとってもいい所なのだけど――ねぇ、イクス。おまえはどうしてその頭が縞々のおじいさんの背中を踏んづけているの? そして縞々おじいさんも、どうして恍惚な顔をしながら話しているの? その奥さんらしきおばあさんの視線が達観しすぎて、むしろそっちの方が怖かったりするんだけど……。
おじいさんは話します。
「ワシらの努力など、すぐに徒労となりました。その兵士らは数日のうちに夫婦を見つけると……すぐさま旦那を八つ裂きに、そして生まれたばかりの赤子も……」
その夫婦は、とある貴族の令嬢と使用人だったという。その身分差ゆえに駆け落ちした二人だったが、現実は厳しかった。その貴族の家で跡継ぎが生まれず、白羽の矢が立ったのが密かに居場所を把握されていたその夫婦の子供だったという。だけど……それに嫉妬した駆け落ち令嬢の姉が先に私兵を使い、その男の子を始末したのだとか。見せしめのために夫も殺され、嘲笑われるために連れ戻されそうになった駆け落ち令嬢は――失意の末、無理やり家に連れ戻される前に子供を貫いた剣を奪い、自らの胸を刺したという。
「そして……奥さんの怨念が、この村に残りました……。生前は、とても明るく良い子じゃったのに……その瘴気で次々と子供が病に倒れていき、子供のいるような若い夫婦は村を出ていきおった。その後、新しく移住して来ようという若者が現れるにつれ、発狂したり、湖に飛び込んだり、すぐさま逃げていったり……こうして、村にはワシらのような老人しか住めなくなったのじゃ……」
なるほどね……。一通りの事情はわかったけれど――イクスも同じ疑問が浮かんだのだろう。彼が真面目な顔で目を合わせてきたので、私は小さく頷く。すると、彼は私の意図通りの質問を重ねた。
「教会でも国にでも……聖女に浄化の依頼はしなかったのか?」
「それは……何度も皆で考えたのじゃが……」
老人たちは顔を見合わせ、みんなして悲しそうに俯いた。
「浄化とは……あの子を消してしまうことなのじゃろう……? あの子は……本当に明るくて良い子でのう。あの子の不憫さを思うと……どうも、決断できなかったのじゃ」
そこから、みんなして生前のその夫婦の思い出話を始めた。
どんなに前向きな夫婦だったか。旦那さんがダイオウウリドナマズを釣るのが本当に下手だったとか。奥さんのお料理がまったく成長しなかったとか。それでも、二人はいつも楽しそうに笑っていただとか。
その思い出話に――おじいさんたちは目に涙を浮かべながら、花を咲かせ始めて。
私たちは、ただただ相槌を打つことしかできなくなっていた。







