老人しかいない林✕瘴気の女性
現在のアルザーク王国の実権を握るミーチェン王太子殿下が捜索隊を結成した。ということは、今までの張り紙だけではなく、もっと各地で真剣に私たちを探す人たちが出てくるということ。指名手配書の賞金額も上がってたりするかもしれない。ゆるーい変装で今までは誤魔化していたが、そうも言ってられないだろう。
「やっぱり軽薄な行動だったのかなぁ」
国家聖女。その称号を甘く見ていたのかもしれない。両親に迷惑をかけ、妹にも迷惑をかけ。イクスのレッチェンド家はどうなっているんだろう。どうせ失敗したらまた人生やり直すとわかっているのは――私たちだけ。少し息抜きできたと割り切って、ここらで引き返す頃なのだろうか。
「イクスに……相談してみなきゃ」
短い間だったけど、楽しかったな。領をひとつ超えただけだったけど、野宿してみたり、他人の恋路を見守ってみたり。ここもおじいさんおばあさんしかいない不思議な村だけど、いい思い出になったよ。釣りをしているイクスの姿なんて、ここに来なければ早々見れるものじゃなかったからね。
そう、彼の元へ向かおうとした時だった。そろそろ夕暮れが湖を染める頃だろう。水面の輝きが柔らかくなっている。その――反対側。湖と村の間の木々がザワザワと大きく揺れた気がした。私の白い長髪は、まるで靡いていないというのに。少し息苦しいような、胸が苦しいような感覚に、私は目を細める。
「……ふーん」
私は呼ばれるがまま、林に向かっていく。道なき道。細かい枝葉を踏み分けて、三角形のように伸びる木々の下を歩く。幹の樹皮が、木の種類のわりに黒味を帯びていた。ざわざわと、ざわざわと。私を呼ぶ声はどんどん大きくなる。そう広くもない林のはずなのに、陽の光は届かない。
その真中に、それはあった。黒い渦は瘴気の源泉。その靄は女性の形になり、「不幸になれ……不幸になれ……」と呪いのように繰り返す。私は目を細めて、その女性に話しかけた。
「あなたはこの村に暮らしていたの?」
だけど、その問いに彼女は応えない。「結ばれない……私は、彼と幸せになれない……」その言葉を聞くたびに、なぜか私の目からは涙が溢れてくる。――あぁ、長居しない方がいいな。瘴気に感応してしまっている。今すぐにここから立ち去るべきだ。「どうして、私だけ不幸なの?」そう問うて来る瘴気に呑み込まれてしまえば、私の精神は崩壊する。こんな瘴気、早く祓うべきだ。聖女は、怨念を祓うことも仕事のうち。なのに、それなのに、私の足は動かない。
「……私は不幸だよ。何度も同じ時間を繰り返して、最後は必ず自分が死ぬの。そして……好きな人はずっと傍にいてくれるけど、彼と結ばれることはない。彼は、強制的に私に縛り付けられているだけだから……いつか、私は彼を手放さなければならない……」
そう――きっと。このループ生活が終わったら。
私は腹を決めなければならない。彼に、自由を与えると。何の因果か知らないけれど、何度も彼を私のループに巻き込ませてしまったのだ。「結ばれない。彼と幸せになれるはずがなかった……」こんな不幸、早く終わらせてあげなくちゃ。専属護衛なんてしがらみから、彼を解放してあげなくちゃ。
だから、きっと。仮初の幸せが終わった先にあるのは、不幸なのだ。
今ある幸せは、全部まやかし。彼の気持ちも、甘い言葉も、優しい態度も、全部未来が来たら、消えてなくなるもの。
だから、私は涙を零す。私は不幸だ。
今のうちに、たくさん泣いておかなくちゃ――その時が来た時、笑って彼の手を離せるように。
だから――……。
「ナナリー様っ‼」
だけど、今は。私の腕を、彼が力強く引き寄せた。そのまま厚い胸板に抱き込まれる。気が付けば――黒い瘴気の女性は消えていた。林の中に虫の軽やかな鳴き声が響いている。上を見上げたら、重なる葉の隙間から綺麗な星空が見えた。いつの間に夜になっていたんだろう?
私は、助けてくれた彼の顔を見上げる。冷や汗を掻いたイクスは、珍しく息を切らしていた。そう離れた場所に行ってないつもりだったけど……どれだけ走り回ってくれたのだろうか? 私は彼に微笑みかける。
「ごめんね、助かったよ」
「本当に……どうしたんですか⁉ 貴女様が瘴気に呑まれそうになっているなんて……あの程度、祓うの容易いはずでしょう?」
「そうなんだけどさ……」
そうなんだ。私はこれでも『天才国家聖女』だった者。怨念が源である瘴気を祓うのも、聖女の仕事のうち。そうそう強い瘴気でもなかったはずなんだけど……。
「ちょっと……相性が良すぎた、かな?」
それなのに引き釣りこまれそうになった要因を無理やり考えるならば。
ちょっと、あの怨念の女性に同情してしまったのかもしれない。報われない恋路を見届けた後だったしね。
イクスは私の涙を拭ってくれようとするけれど、その手をそっと退けさせてもらう。そして私はイクスから一歩離れて自分で涙を拭い――誤魔化すように苦笑した。
「そういえば、ダイオウウリドナマズは無事に釣れた?」
「それは……申し訳ありません。明日こそ必ずや――と言いたい所だったのですが」
「ですが?」
あら、イクスが諦めるなんて珍しい。そもそも半日頑張っても釣れないものなんだね、ダイオウウリドナマズ。そんなレアなら、より一層どんな味か気になっちゃうところなんだけど……。
イクスは真剣な顔で、私の両肩に手を置いてきた。
「今すぐこの村を出ましょう。貴女に何かあれば、それこそ一大事です」
本当、イクスは……。
そのブレない忠誠心に、私は涙が出そうになるのをグッと堪えて。
ふと、気になったことを聞く。
「そういえばさ、どうやってイクスが瘴気を祓ったの?」
それこそ怨念たる瘴気は魔族のように強くとはいえ、完全なる精神体。当然形のないものに物理攻撃は効かず、よっぽど強い黒魔法で打ち払うか、白魔法で祓うのが定石だ。だから、基本魔法の使えないイクスが瘴気から私を助けるなんて不可能に近いと思うんだけど……。
「貴女様を想う愛の力ですっ!」
イクスのあまりに得意げな顔が可愛かったから。まぁそれでいいか、と納得しておくことにした。





