最後の夜✕少女の願い
そして夜。私は宿の屋根の上に座っていた。すぐ後ろには、すでに剣に手を掛けたイクスが待機していて。余談だけど、ミィリーネさんは宿の部屋ですやすや眠っている(羨ましいなぁ、と思ったのはここだけの話)。
私はわかる人にしかわからない程度に、立てた指先からキラキラと街に聖力を降らせていた。まぁ、普通のひとには「なんか今晩は気持ちいい夜だな~」と思う程度だろう。そう――普通のひとにとっては。だけど魔族にとっては、チクチクとした針が降ってきているようなもの。
「わたしを……討伐しに来たんですか?」
そうして待っていると、ゆるりと世界の一部が揺れた。そして現れるのは、昼間次期公爵と幸せそうにデートしていた痩せた女の子だ。彼女は憎々しげに……ううん、怯えた様子で私を見据えている。
私は指をしまった。
「それはあなた次第――かな。ねぇ、どうして次期公爵に執着しているの? この街を乗っ取りたいとか?」
「そんなんじゃないっ!」
突如彼女が叫んだことによってイクスが前に出ようとするが、私は手だけで下がらせる。「じゃあどうして?」と短く問えば、彼女は人と変わらない仕草で唇を引き絞っていた。
「わたしは……本当に、本当にあの方が好きなんです!」
「……食料目的ではなく?」
淫魔にとって、人間は食料であるという報告を聞いたことがある。それこそ淫魔だけではないのだが――魔族自体が魔力を糧とし、存在している。そのため少しでも多くの魔力を持つ次の存在が人間となり、必然的に効率良くこちらの世界で魔力を摂取するためには、人間を捕食するのが手っ取り早いらしい。その上で特に淫魔は人間の特別な体液から…………あぁ~~こっからは察して。
なので端的に問えば、彼女はぶんぶんと首を横に振った。赤い髪がふぁさふぁさ揺れる。
「違います! 体液……血液は昔に貰ったことありますが……それ以外は断じて! 断じて彼から魔力を摂取しようとしたことはありません! 本当です! 本当なんです‼」
「その昔に血液を貰ったっていうのは?」
「……わたしの話、聞いてくれますか?」
そうして彼女が「わたしの名前はアンと言います」と語り始めたのは、短い話。
彼女はこちらの物質世界で生まれた魔族だったという。それはとても希少は存在だ。通常、魔族が繁殖するときは当然従来の自分らの住処である精神世界で行われる。それをこちらで行うということは――人間と繁殖したか、精神世界であぶれたはぐれ者か。彼女の母親は後者だったとか。そうした出産には当然無理があり、母親はすぐに亡くなってしまったという。
「ひとり残されたわたしは……生きる術を知りませんでした。なのでこのままわたしも消えるだろうと思った時……ウロードさんに出会ったんです」
そしてウロードさんはアンを助けようと大人を呼ぼうとしたんだけど――アンはさすれば自分が討伐されてしまうと本能的に察したという。
「自分は魔族だと伝えたら……彼が血を飲むようにと、石で指先を傷つけてわたしに舐めさせてくれたんです……美味しかった……彼の優しさが……本当に美味しかった……」
そう語るアンは、目からポロポロと涙を零す。赤い涙。魔族は涙を流さないというけれど……きっとどのみち、彼女の命は潰えようとしているのだろう。感情の起伏に衰弱した身体がついていかず、魔力が漏れてしまっているのだ。
下手な魔族の知識なんてなければよかった。そうしたら……私は今、こんな切ない想いをしないで済んだのに。
「だからわたしは、ずっとあの人を見守るだけでいようと思ったんです。一回魔力を分けてもらったとて、わたしはこの世界で長生きできません。だから、せめて最後の時まで、彼を見ているだけでいようと思っていたのに……」
もうすぐ自分の命が尽きる――そう察した最近、彼の周りに大きな変化が起きようしていたという。そう、ミィリーネさんとの本格的な婚約。そして卒業後の正式な婚姻だ。
「我慢しようとしたんです! わたしは、どうせ魔族だから……だけど、だけど、どうして欲が出てしまって……気付いたら、彼に魅了をかけていて……」
アンは屋根の上に膝を付く。そして私が何か言うよりも先に、額を屋根につけた。
「お願いします! あと一日だけ……見逃してくれませんか⁉ ちゃんと……ちゃんと自分の口からお別れを言いたいんです‼」
そうしたら、きちんと自分は消えるから。と。お願いします、お願いしますと、何度も何度も屋根に額をぶつけて。気がつけば、いつの間にか空から本物の雨が降ってきた。私の肩に、イクスが自分のマントをかぶせてくる。
「ナナリー様、部屋へ戻りましょう。貴女様がお風邪を引かれてしまっては元も子もありません」
「でも……」
イクスは私の手を引こうとするも――後ろ髪が引かれないはずはない。だって今も、病的に痩せた女の子が「お願いします」と頭を下げ続けているのだから。
そんな彼女に、イクスは言い放つ。
「あと一回だけだ。明日の逢い引きが終わり次第、貴様はナナリー様が討つ。それでいいな?」
「あ……ありがとうございます! ありがとうございます‼」
ぱあっと顔を華やかせた彼女は、再び何度も頭を下げてきて。イクスはそれを無視して「では行きましょう」と再び私の手を引っ張ってくる。私はイクスに誘導されるがまま屋根から飛び降りて――イクスに抱きとめてもらってから、彼に訊いた。
「イクスが珍しいね。魔族に同情するなんて」
「判断を間違いましたか?」
「いや。あれで構わないよ」
イクスは私をそっと地面に下ろしてから、濡れた髪を掻き上げ苦笑する。
「……ただの気まぐれですよ。なんせ今は『いちゃいちゃ新婚中』ですからね」
気分も浮かれます――そう言ったイクスは、どこかいつもより淋しげに見えた。





