sideイクス 12回目の――
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《あの女》を追い出して、四日。
先日、ようやく援軍がやってきた。援軍といっても十数人の少数兵。だが、それだけの人数で運べる限りの食材や医薬品を持ってきてくれただけでも助かった。しかも、すでにウロードの次期公爵から指示を受けているようで、この半分の兵が一部の避難民をウリドの村まで連れて行ってくれるという。
老人か、こどもか。多少揉めたが、ここは若い命を優先することになった。
特に、ウリドの村では若者に飢えていた。だから、きっと子供やその母親に親切にしてくれるに違いないと――そう口を挟みながら、俺はハッとする。
――若者に飢えている村に女と二人で行って、どんな歓迎を受けたんだったか。
――それに、俺はどんな対応をしていたんだ?
痛む頭を押さえながら場を離れていると、話が纏まったのだろう。少ししてから、ルーフェンが話しかけてくる。
「どうした? 体調でも悪いか?」
「……男に心配なんかされても、まるで嬉しくない」
「お前さんは、本当に可愛くねぇことしか言わねぇなぁ~。今ここで英雄に倒れられるわけにはいかねぇんだ。もうちょっと気張ってくれや」
「ヒーロー」
その単語を、俺は鼻で笑う。
すると、ルーフェンが眉間にしわを寄せた。
「なんだ、不服か?」
「いや。こんな惨めなヒーローなんか、聞いたことないってだけだ」
こいつは、俺が誰よりも魔族を斬り捨ててることに対して『英雄』などと言っているのだろうが、俺は正義感などで剣を振っているわけではない。
ただ、逃げたかったから。
頭の奥底に眠っているだろう《あの女》の記憶から。
ふとした瞬間にこみ上げてこようとする《あの女》への感情から。
ただただ、逃げたくて。逃げ出したのに、また出会って。そしてまた、ようやく追い出した。今度こそ、今度こそ、逃げられる。そのはずなのに――
村人と楽しそうに話す顔。
何かに失敗して赤らんだ顔。
魔族と対峙した真剣な顔。
怪我人に対する慈愛に満ちた顔。
俺に向ける、悲しそうな笑顔。
どれもこれもが、俺の胸の奥を抉ってくる。
――ただ、顔の造形が好みなだけだ……。
――でも本当に、それだけか?
思わず浮かんでしまう疑問符に、嫌気が差す。
だから、己を誤魔化すために訊いた。
「それはそうと――どう思う?」
「何が?」
「このまま、打ち止めかと思うか?」
何が――そんなの言うまでもない。聖女もおらず、まともな魔導士すらいない。そんな状況で、動ける兵士は二十人足らず。何匹の魔族を退けることができるか……悲観しか見えない。我ながら愚問だ。
それに真摯に答えてくれるルーフェンは、俺なんかよりよほど人間が出来ているのだろう。
――どうせなら《あの女》も、こんな男に惚れればいいのにな。
「だといいな、と願わずにはいられねぇってのが本心だな。明日には王都からの援軍も来るということだが……やはり規模は期待できるほどではないらしい」
「それでもいいさ。いざとなれば、王太子直々に兵士を引き連れて――」
「もういるが?」
「は?」
背後からの思わぬ声に、俺は舌打ちしながら振り向く。
そこには、覚えのある青年の顔があった。黒髪、青い目。少々世間知らずそうな雰囲気はするものの、しっかりと理知を兼ね備えた顔つきの男は、兜を脇に抱えて、甲冑を着ていた。うっすら記憶に残っているのは……直近でいえば、俺は何度もこいつをぶっ飛ばしたことがあるということ。そして胸の奥をざわめかせるのは、嫉妬の残渣。
そいつがルーフェンに名乗る――ミーチェン=ウィルス=アルザークだ、と。
「エラドンナ侯爵らの主張があまりにもうるさいのでな。オレが直々にこの目で確かめに来た。さすがにオレが直接見たとなれば、反論できる者もいなくなるだろう」
「だ、だが、王太子自ら前線に来るなんて――」
「貴殿も似たような立場だろう」
恰好からして、本当に兵士に扮してやってきたのだろう。後ろに控える兵士らも、甲冑の簡素なデザインのわりに、精鋭が多いように見受けられる。その数十名程度。自らの近衛騎士を連れてきたか。
そんな王太子は、この場にいる全員に聞こえるように言ってのけた。
「ここはオレの国だ。それなのに他国の王太子が前線にいて、オレが後ろで昼寝をしているなんて……それこそ民に示しがつかん!」
「だ、だけど、護衛はどうしたんだ?」
「ここに最強可愛い歩く砲台が居ますが?」
その中で、ひときわ小さいのがヒョコッと手を上げた。兜を取りたいようだが、上手く外せないらしい。あまりに不慣れな手つきに、思わず兜の固定金具を外してやると……これまた覚えのある白い髪がふわっと飛び出してくる。
それは《あの女》にそっくりな――だけど、もっとはつらつとした風貌の少女の名前を、俺は思わず零した。
「シャナリー……?」
「やっほー、イクスさん。とりあえず殴るね?」
「は?」
疑問符をあげると同時に、頬を思いっきり叩かれた。
音のわりに……あまり痛くはない。だけど、王太子やルーフェン含めた大勢からの「おぉ……」と同情されるような感嘆符がムカつく。まるで俺が惨めみたいじゃないか。
だけど、叩いた張本人が涙と共に怒声をあげた。
「お姉ちゃんをどれだけ泣かせりゃ気が済むんだ、ばかっ!」
「どうして俺がいきなり殴られにゃ――」
「聞いた!」
「……だからと言って、貴様には関係が――」
「全部、聞いたっ‼」
たとえ彼女に関する記憶も混濁していようとも……数日間の村での生活から、伝わってきた。超高難易度魔法で通信してくる彼女の、姉への愛情。なんなくやってのけているように見えるが、あれはかなり魔力も体力も消耗するものだったんだろう? 苦労してようやく身に着けたんだったよな。そういや見習い時代に、よく練習に付き合わされたもんだ。……通信がバレて問題になっても、イクスさんならいいだろう、てな。
だから今度は、その魔法技術を応用した通信道具の開発に取り組んでいるとも、《あの女》がいない時にこっそり通信してきた時にも言ってたな。これらを覚えているのは……一応《あの女》がいない場所での出来事だったからか。
こうしたシャナリーの努力は全部、大好きな姉のため。
ずっと離れて生活せざるを得なくなった姉と、少しでも交流するために――『天才』と自ら鼓舞していたことを、俺は知っているから。
「そうか……」
と、何も言い返すことができない。
そんな俺に、王太子までも追撃をかけてくる。
「悪いが、オレも聞かせてもらったぞ。一応これでも、未だ彼女の婚約者だからな」
「……とっとと結婚でもして、幸せにしてやってくれ」
目を逸らす俺に、王太子は言った。
「情けない男になったな」
「は?」
いくら王太子とはいえ、甲冑に着られているようなひょろい男に言われる筋合いはない。
だけど思わず見返せば、王太子は微塵も笑ってなどいなかった。
「村に居た頃の貴殿は、もっと強い目をしていた。正直、この男になら婚約者を奪われても仕方ないと、そう思えるほどにな。それが今はどうした? まるで母に怯える子供のようではないか」
「……婚約者を奪われるって、それは貴方様が自らお捨てになろうとしたのでしょう?」
俺の嫌味から、ミーチェン王太子は目を逸らさない。
「その通りだ。己の弱さから逃げ、その結果ナナリー殿を傷つけた。この罪は、生涯に渡り償っていかねばならんな」
思わず、舌打ちが出る。
なんなんだ、どいつもこいつも。
俺の何が悪い。そんなイイ女なら……俺みたいなやつに捕まるより、他のやつと結ばれた方が、よほど幸せになれるじゃないか。俺の判断は間違っていないはずだ。こんな自分勝手で、何回人生繰り返しても幼稚で、利己的な男より、きっと――
「腹を括れ。記憶はなくとも、彼女の幸せを願う気持ちがあるのだろう?」
王太子が静かに圧のある言葉を発したのと、それは同時だった。
けたたましいほど、鐘が鳴らされる。
新たに来た者たちは「何だ?」と狼狽えているが……嫌でも慣れてしまった者たちの動きは早い。固い表情で、各々武器を取る。俺も無意識に腰に差した剣に触れていた。
その中で、呑気な少女は腕を伸ばす。
「さ~て、天才美少女魔導士の出番ですかね~」
そして、シャナリーは指示を飛ばしていた。自分が最前線に出ること。そして兵士らは自分の詠唱が終わるまでの時間稼ぎをすること。合図をしたら、即座に退避すること。
さすれば、全ての敵は自分が焼き払うと。
そんな魔導士は、俺に向かって片目を閉じてくる。
「イクスさん、魔族と一緒に吹き飛ばしちゃったらごめんね♡」
「……わざと巻き込むなよ」
「あはは~。それじゃあ、お姉ちゃんが戻ってくるまで気張ってみようかぁ!」
「戻ってなんか来ないだろ」
嘆息交じりに吐いた俺の言葉に、シャナリーは目を細めて、
「戻ってくるよ、お姉ちゃんは」
そして、彼女は似合わない鎧を全て捨てて。誰よりも前に、戦場へ赴く。
たった十五、六の可憐な少女が、白い髪と黒いマントを靡かせて。振り返った。
「お姉ちゃんはああ見えて、執念深いからねっ!」
そうそう逃げられると思わない方がいいよ、と不敵に笑う愚かな少女に、
「どーだかな」
俺は彼女の予想が外れるように祈りながら、あとに続こうとした時だった。
ルーフェンに強く肩を組まれる。
「あとで話、詳しく聞かせろよ――酒の肴にちょーど良さそうだ!」
戦のあとの、勝利の宴。
それを開くと、暗に告げた代表の陽気な宣誓に、俺は苦笑を返した。
「気が向いたらな」
あと4話です!