女神の御前×慈悲を
砦から逃亡したとはいえ、やっぱり気になることがある。
――どうして、教会が支援に来なかったのか。
お国が動かないのは、あの豚……じゃない、何度も踏まれていたエラドンナ侯爵らが邪魔しているという話は聞いた。そう考えると、やっぱりあの魔族侵攻も一部の貴族が絡んでいるとみて、間違いないと思うんだけど……それとは別に、どうして教会が動かなかったのか。
国と教会はまったくの別機関だ。むしろ笑顔で握手しながら、心の中でいがみ合っているような、そんな間柄の組織関係である。
だから本来なら救援要請に国が動かないからこそ、ここぞとばかりに教会が動いて民衆へ見せしめたり、領主に恩を売って援助など取り付けたりと動きそうなものだが。
ルーフェンさんの話では、教会からは要請に対して返事すらないとのこと。
そして、あそこから一番近い教会支部が、ウロードの街にあるというわけです。
以前は人気のない方ということで、山へ大きく迂回したけれど。
まっすぐ行けば、あまり大した道のりではない。一泊野宿して、宿場町で一晩休んでから、乗合馬車ですぐである。
「おお~。大きな街ダナ!」
「目的地は少し離れた場所なんですけどね」
学生街ウロード。
以前訪れた時は、魔族の少女と操られた次期公爵とのデートを尾行したんだっけ。
学生という若者が多い土地柄ゆえ、様々な甘味がたくさん売られていて。街の中の雰囲気もどこか爽やかなの。たまたま寄った服飾店でも、背伸びしたい若者を狙った高級志向のお店で、ど肝を抜かされたなぁ。
そんな懐かしさに、少しだけ浸りつつ。
私たちが向かうのは、中心街から少し離れた場所にある教会だ。
街のど真ん中にある教会もあるけれど、ウロードの街では比較的外れの区画に建築されていた。その代わり、とっても立派。このアルザーク王国内にある支部の中では、一、二番目を争う豪華さなんだとか。てっぺんに座す黄金の十字架は、はるか遠くからでも見えていた。今は門の前に立つ聖騎士さんの隙のなさにたじろぎたい気分だけどね。……まぁ、イクスほどじゃないけれど。
「ソレで? アノ騎士らを全員ブッ飛バセばイイのか?」
「道場破りじゃないんだから。いきなりはしませんよ」
――そう、いきなりはね。
以前ここの支部の人たちをぶっ飛ばして逃げてきた手前……まぁ、今回も荒っぽいことになる可能性は否めないんだけど。
でも今回、いきなり交戦的でいくのはタブーだ。
だってここへは、支援を求めてやってきたんだもん。
なので、
「アルバさん……お嫌なら断ってほしいのですが」
「ナンダ?」
「腕を組んでもいいですか?」
「……‼」
普段は獰猛な目をまるまると見開き、顔を真っ赤にするアルバさん。
ごめんなさい、アルバさん。こういう、身元を誤魔化したい時に……どうしても思い浮かぶ作戦は、これしかないんです……。
「戦場から逃げ延びてきたカップルの設定でいきましょう」
幸か不幸か、どのみち私たちの格好は、決して綺麗とは言い難いからね。
落ち武者みたいな変装には、そう困らなかった。……落ち武者って、東方の言葉だっけ。それはともかく……まぁ、この偏った思考は全部イクスのせいですよ。ほんと、責任を取ってもらいたいくらい。そんなこと、口から漏らせりゃしないけど。
今、私はアルバさんと一緒に礼拝堂の中央部手前で両ひざをついていた。顔や髪に泥を塗って、気分はまさに落ち武者。今から女神像の前におわす敵国の将に、情けをもらうの。
「どうかお願いします……私たちの父や母、家族のみんなをお助けください……!」
ただですね……結局私たちは姉弟設定になりました。だって「あなた」と呼んだら、天を仰いで動けなくなっちゃったんだもん。なので、私がお姉ちゃんです。アルバさん、その時の後遺症(?)で、口を開けると変な声が出ちゃうみたい。
内陣から私たちを見下ろす司教さんは、以前私を捕まえようとしたおじさんだ。今のところ『元国家聖女』だと気付いた様子はない――けど、顎を撫でながらせせら笑う顔は歪んでいる。
「ほう、エラドンナで魔族がねぇ……。そんな大惨事が本当に起こっているなら、ちゃんとした衛兵が正式に嘆願書を持ってくると思うのだが」
――だから、それをあなたが握り潰してるんじゃないの?
今すぐ魔法ぶっぱしてやりたいところだけど……我慢我慢。円満に行くなら、それに越したことはない。私は頑張って泣きそうな顔を維持しつつ、懇願してみる。
「領主様はとっくに支援要請を出したとおっしゃっておりました! 怪我人も多く、次の波が来たら今度こそ危ないと……だから、どうかお願いします! エラドンナに神の慈悲をお与えくださいませ!」
「あいにく、神でも嘘つきに与える慈悲はない。嘘つきに与えるのは――正し思し召しだ! 聖騎士よ、ただちにこの者らを捕らえて、指導部屋へ連れて行きなさいっ!」
よ~~し、早くも交渉決裂だねっ!
このままひっ捕らえられたら、指導部屋という名の拷問部屋、その後どっかに売り飛ばされでもするのかな?
そんなの御免なので、私がとっとと立ち上がると、アルバさんもそれに倣ってくれる。
「イイのか?」
「やりましょう?」
私は錫杖を巻いていた古布を取り外す。とりあえずこの場の全員をとっちめて――どうして要請を無視するのか、徹底的に口を割らせてやる、と意識を錫杖に集中しようとした時だった。
「女神の御前で乱暴はよくないなぁ」
それは、祭壇奥のステンドグラスから、浮き出てきたように見えた。
厳かな祭服が似合わない若き少年は、十歳くらいか。くせ毛の多い赤黒い髪。利発そうな瞳。どことなく覚えがある風貌は……今もエラドンナで戦っているだろう、代理領主の隣国王太子に、酷似していて。私はとっさに、彼の名前を呼ぼうとしてしまう。だって私は、何度も彼の生まれ持った病の治療をしてきたんだもん。
ルーフェンさんの死んだはずの弟。
固まる聖騎士や慄く司教の後ろに浮かんだ彼が、私に向かってにっこりと微笑む。
「お久しぶりですね、僕を殺した聖女さま」







