目覚め×高山の若長
あ~、身体が重い。
全身がとにかく怠くて、このまま動きたくない。このまま溶けて、ずーっと、ずーっと眠っていたい。そんな気分。だけど、起きなきゃ。
「ナナリー? ナナリー⁉」
誰かが、私を呼んでいる。
男の人だ。そして、私を「聖女」ではなく「ナナリー」と呼ぶ人。
――イクス……?
そう、目を開けると。
――だれ?
思わずそう口走りそうになった口を、とっさに抑える。
言っちゃいけない。だって見覚えある顔だもん。
だけど……なんであなたがいるの? って話で……。
「大丈夫カ? ドコか痛いトコロはナイか⁉」
独特な口調で心配してきてくれるのは、高山で知り合った、アルバさん。
集落の若長という立場の同年代の立派な少年である。浅黒い肌。引き締まったしなやかな四肢。民族衣装的な派手な服と刺青。一見少しビックリするけど、その眼差しはとても真摯で真面目なところは、数か月経っても変わらないらしい。
でも……辺りを見渡すと、ここはやっぱりエランドナ砦内の立派な一室。ここ、領主の使ってた部屋じゃないかな。内装が立派すぎるし、ベッドもふかふか。うわ~、こんな部屋独り占めとか、申し訳ないっ!
でもとりあえず……なんでこんな所にアルバさんが?
「お、お久しぶりですね。お元気でしたか?」
まず挨拶してみると、アルバさんが途端涙ぐむ。
え? えぇ⁉ なんかダメだった⁉
「あ、あの~……」
「ヨク、務めたナ」
「はい?」
奥歯を噛み締めつつも、優しく微笑んでくれるアルバさんに、私は疑問符を返す。
務めた――なんか働いたっけ?
思い返すと……心当たりは、一つしかない。ベッドの横には、羽根を模した錫杖が立てかけられている。そうだよね……あれは、夢じゃなかったんだよね。
私のせいで、ピースケくんが……。
あ~、泣きたい。このまま泣いて。泣いて。何も考えられなくなるまで、ただただ泣きたい。だけど、目の前にアルバさんがいるから。……いきなり泣かれちゃ、困るよね。
「……でも本当に、アルバさんはどうしてここに? ご存じなかったのかもしれませんが、今ここは――」
「行商ノ季節だから、ミンナで反物売リに山から下リてキタ。ソシたら、魔族と戦ッテいた。オレらの仲間、戦エルやつ多イ。だから手ヲ貸ソウとシタラ、砦ノ魔法が発動シテ――ナナリーが錫杖持ッて、倒レテて――」
「なるほど」
そーいえば、年に一度だかでお金を稼ぐために麓に下りるとか言ってたっけ?
運悪く、ちょうどその時期だったのか。たしかにあんな高山じゃ、情報もなかなか届かないだろうし……そこで知り合いの聖女が砦の大規模魔法ぶっぱして倒れてたら、そりゃあ心配にもなるよね。
「いやぁ、いきなりお恥ずかしい姿をお見せして――」
すみません、と笑おうとした時だった。
「恥ズカシクなんかナイッ‼」
いきなりの大声に、私の肩が跳ねる。
だけど、アルバさんの顔があまりに真剣だったから……私は思わず、話を逸らした。
「……私、どのくらい寝てたかわかります?」
「まる一日くらいだ。大したことない」
「大したことありますよ。もしかして、その間ずっとアルバさん、私の看病していてくれたり?」
「……オレだけじゃナイ」
なぜか、悔しそうな顔をするアルバさん。
ん? 別に色んな人と交換で看てくれてただけでも、大感謝だが?
アルバさんは続ける。
「部屋ノ外で、アノ男がズット見張リをシテイル。一睡もセズに、ズット――」
――あの男。
その言葉に、私は慌ててベッドを飛び降りた。「ナナリー⁉」とアルバさんに抱きとめられちゃって、動けなくなっちゃったけど。でも、行かなきゃ。この錫杖を持って――彼に、彼に話さなくっちゃ。ちゃんと私から、謝らなきゃ――
「――騒がしいぞ」
ゆっくりと、扉が開かれる。
そこにうんざり顔でいるのは、やっぱりイクスだ。
「痴話げんかはいいが、静かにしろ。下には怪我人が大勢いるんだ」
「チワゲンカ……」
なぜかその単語に顔を真っ赤にするアルバさん。恥ずかしがる場所が少々おかしい気がするが――それどころではない。ゆるんだ腕から離れ、私は錫杖を持ってイクスに近づく。
「イクス……あの、あのね……」
うつむく私に、何を察したのか。
イクスは「聞いている」と小さく嘆息した。
「あの鳥が、その錫杖になったんだってな? 食わなくてよかったな、高値で売れそうじゃないか」
「イクス――⁉」
あまりの発言に顔を上げるも、私は目を見開くことしかできなかった。
だって、ものすごい勢いでイクスがアルバさんに殴られていたから。
アルバさんが激昂していた。
「なんて物言イだっ! オマエはカラドリウスをナンだと――」
「……別に、あんなの小うるさい鳥だろう」
私は覚えている。二人で高山に登っていた時、イクスがキラキラした目でカラドリウスを見上げていた姿を。ふわふわまるまるのピースケくんと、いつもじゃれていた姿を。
だけど、唾を吐きだした今のイクスが、ゆっくりと立ち上がる。「でも違うのだとしたら」と、彼は私を一瞥した。
「だったら――貴様があの鳥を殺したんだ。貴様がこんな場所に来なければ、あの鳥は死なずに済んだ。ちがうか?」
「何を言う⁉ ナナリーがいなかったら今頃ここの――」
「けど事実だろう。聖女、貴様がピースケを殺した。これに懲りたら、とっとと家にでも帰るんだな」
……私は、何も言い返せない。ただ、イクスの冷たい目が、どこかぼやけるような、そんな気がして。アルバさんが懸命に何かを言い返してくれているようだったけど、私は、何も――
「……どうせなら、さっさと食ってやりゃ良かったんだ。あんなやつ」
そう、吐き捨てて。
イクスは踵を返し、この場から立ち去る。階段を下りる音が、どんどん小さくなった。
彼の姿が見えなくなって。私はようやく、口から嗚咽を零す。
「うぅ……」
泣きたい。……でも、私には泣く資格なんかない。
だって、イクスの言ったことは本当だから。
――私が不甲斐ないから、ピースケくんは死んだんだ……。
なんとか、私は立っていた。私の身丈ほどある錫杖に体重を預けて。
その錫杖に、アルバさんが触れる。
「生キテルゾ……」
「……え?」
「カラドリウスは、死ンでナイ。今も、ナナリーノ手ノ中で、生キテル!」
ほらっ、と。
彼はぐいっと、錫杖を押し付けてきた。それを、もう一度握りなおせば。
――あたたかい……?
金属のはずなのに、それはあたたかかった。それに自分の呼吸を抑えれば、錫杖は小さく脈打っているような気までして。
「ピースケくん……?」
それは、前までのように「ぴぃ」と鳴いてくれるわけではないけれど。
代わりに呼応するように、大きく脈打ったかと思えば、淡く、だけど確かに輝いて。
「ピースケくん……‼」
私は錫杖を抱きしめて、静かに涙をこぼした。







