ケジメ×カラドリウスの錫杖
それから、避難所は静かだった。
外の音で赤ちゃんが泣きだしちゃったから、静かにしたんだよね。私が魔法で。悲鳴とか、壊れる音とか。怖いと思ったから。
そしたら、赤ちゃんは泣き止んでくれたけど、誰も喋らなくなった。
重たい空気が、避難所を包む。
それに耐えられるほど、私は強くない。
「少しだけ、上から見てきます」
砦の中の構造は、なんとなく覚えている。
前に屋上に上がった時は、ルーフェンさんの亡き弟さんを弔わせてもらった。
そして、今は――
「なっ……」
あまりの状況に、言葉が出なかった。
魔族の数は、三十匹はいたのだろう。すでに倒れてるものもあったけど、半分以上は未だ武器を振り回し、雄たけびをあげている。昨日ですら燃えていた町だけど……もう瓦礫ばかりで、町の原形もわからない。当然、倒れて動かない人影もある。
それでも、この遠くにも聞こえてくる二つの声。
「さっさと下がれ! 代理とはいえ領主だろう⁉」
「黙れよ! 代理とはいえ領主だからこそ――民草を守らねぇーでどうするんだ⁉」
その言葉に、残ったわずかな兵士らの活力があがるのが見て取れた。
それでも、状況は変わらない。劣勢なのは……ひとり、またひとりと倒れていく光景は、変わらない。
だから、私は固唾を呑んだ。
――私は、誰だ。
国を守るとか、そんな大きなこと、私は未だによくわからない。
聖女として未熟なんだと思う。人としても……何度人生をループしたところで、大した成長はできていなかったんだろう。
それでも、
――私は、聖女?
こんなに、みんなが頑張って戦っているのに。
――私は、私‼
無事を祈っているだけの聖女なんて、私じゃない!
「いい女とは、無縁なのかもね」
そう自嘲してから、私は目を閉じた。
集中しろ。
砦の装置を起動させるのに、必要な聖力は五十人分。
「砦に一匹侵入……」
「大丈夫、中には聖女ちゃんが――」
目を閉じたシンと静かで暗い世界の中に、戦う男の人らの声を感じる。
だけどそんなの無視しなきゃ。身体の内から。頭の先から、つま先まで。髪の毛の一筋からも、私は力を集め、砦へ注ぐ。あぁ、目が燃えるように熱い。砦の全体が、淡いエメラルドに染まるのを感じる。この大きな砦が、まるで私の体になったような気持ちになる。
「あいつを頼るなっ‼」
――あ、ダメだ。
それでも、足りない。私のすべてを賭けても、足りない。
闇雲に増幅した聖力を放つだけじゃ足りない。もっと精査して、助けたい人の間を縫うように放出しないと。自分の手足のように、その力の末端まで私が支配できないと。だけど、指先が届かない。私が、足りない。
「くそ……」
ギリギリまで。ギリギリまで。視界の端で、自分の髪が金色に燃えているように揺れ動いているのが見える。伸ばした指先が、そのまま溶けていきそう。
そんな、時だった。
「ぴぃぃぃぃぃぃぃ‼」
……何が起こったのか、わからなかったの。
ただ、ピースケくんの鳴き声が聞こえて。思わず祈りを中断して、振り返る。
そこに居たのは、黒い影。影の持つ剣の先に、小さな小鳥が刺さっていた。白くて、もふもふした、可愛い――
「ナナリー=ガードナーを怒らせる者に、静粛なる裁きをっ‼」
空に生まれし金色の巨大鎌が、黒い影を真っ二つに切り裂く。音もなく、声もなくハラハラと風に流されていった黒い影のあとに、残った焼け焦げたような人相に、私は見覚えがあった。たしか十回目のループの時に、私を殺した少年兵だ。
だけど、今はそんなことどうでもいい。どーでもいいの。
地面に倒れる白い毛だまり。それをそっと抱き寄せる。流れる血はまばゆいまでにキラキラしていた。その非現実的な血色に、一瞬大丈夫なんじゃないかな、と思うけど。
ピースケくんは言う。
「まま、いくす……だいすき」
「……わたしのこと、守ってくれたの?」
「ぴーすけ、なまえ、うれしかっ……」
あぁ、やだ。もっと話して。もっとたくさんお喋りしよう?
「まま、ありがと……だいす……」
思い出が脳裏を駆け巡る。高山で出会って。私のことを『まま』なんて呼ぶから、イクスがものすごく嫉妬してきて。しょっちゅう餌にするなんて脅されながらも、いつもイクスのそばにいて。いろんな物を食べたね。温泉浸かるピースケくん、本当に可愛かった。もっと……もっと、いろんなものを一緒に食べて、いろんなことをしたかった。
だけど……それも、もうおしまいなの?
私は治癒の魔法をかけようとする。だけど、ピースケくんが「やー」とくちばしで指を突いてくるから。私はただ、気持ちを伝えることしかできない。
「うん。うん……私も大好きだよ。イクスも、私も、ピースケくんが大好きだよ」
その、直後。
シャランとした音と共に、手の中に重さが生まれた。
羽根を模した造形が可愛くも美しい、見事な錫杖。それは聖典の中で見た、女神が片手に持っていた錫杖だ。
聖鳥カラドリウスの逸話を思い出す。
神の御子である鳥は生きる時に未来を視て、死した時に神の道具となる。
それらはすべて、愛する母のために――母を未来へ導く糧となる。
その錫杖が、涙で濡れる。
「こんなこと……私は頼んでないよ。ばか……」
「でも、カラドリウスの錫杖があれば、この砦だって起動できるんじゃないかの?」
忽然と。飄々と。
現れた魔王さんの襟首を両手で引っ張る。
「あなた、わかって見てた――」
「言ったじゃろう。こやつも、この未来を迎えるケジメを付けていたと」
だけど、私の手はすぐに力を緩めた。襟首を直した魔王さんが、視線を下げる。
「これが、こやつの願いじゃ」
「……ピースケくんに、東方の格言を教えておけばよかった」
そう吐き捨てながら、私はシャランと錫杖を鳴らす。
涙は止まらない。嗚咽だって、隠せない。
それでも、私は錫杖を鳴らす。
――助けるよ、必ず。私が‼
淀みなく、『私』が砦中に広がっていくようだった。
全体が、エメラルド色に染まる。
ねぇ、イクス。ごめんなさい。
私、あなたが大切にしていたこども、守れなかった。
ダメな『まま』でごめんね。足を引っ張ってばかりでごめんね。
戦場の挙動の全てが、息遣いの全てが、鼓動の全てが。
この手の中にあるような感覚。
生きる者と、死す者を、私が選ぶ――そんな超越者になったような。
砦に刻まれた魔法陣が空中に浮かび上がる。
それは、一斉に放たれた。
「行け――」
それでも……私は少しだけ、ほっとしているの。
おかげで、あなたを失わずに済んだから。
私って最低だ。ほんとに……本当に最低な女だ。
拡大された聖力が、魔族をすべて駆逐する――
全てが終わったあと、私は仰向けに倒れながら、空を見る。
あぁ、今日はとてもよい天気だ。
「ナナ……ナナリー⁉」
遠くで、私を呼ぶ声がする。
うっすら見える人影は……誰だろう?
それでも私は腫れたまぶたが重くて。
どうしても目を開けていられない。
来週2回はイクス編です。
1話が11回目の死、そしてもう1話が現在のお話になりますのでお楽しみに。
(ちなみにちゃんとピースケくんの活躍は続きますので、びっくりしてブクマ外さないでくれると嬉しいです)







