はじまり!勇気の物語 第四話
十年前のある朝。
その日は、いつもより目が覚めるのが早かった。
窓から射し込む光がまぶしかったからだ。
セトは生まれて初めて、その日太陽を見た。
青い空の中で輝く太陽に、ちいさなセトは夢中になって窓から身を乗り出して片手をあげた。
そして、はっと何か気がついたように部屋を飛び出した。
大好きな母親に、このすてきな景色を見せたかったのだ。
セトがどたどたと騒がしくリビングに出てきたが、玄関に立っている母親を見て、静かに足を止めた。
母親は誰かと話をしていた。こんな朝早くから誰だろうか、とセトは不思議に思った。
母親は何も言わない。ただ、その胸には、布に巻かれた長い何かを抱えていた。その両手が、わずかに震えているのを見て、セトは胸の中がざわついた。
「おかあさん?」
セトは恐る恐る声をかけた。
母親はセトの声に気がついて、誰かに何かを言った。その人は悲しそうな顔をして、小さくお辞儀をして去っていった。母は静かに扉を閉じた。
そして、そのままその場で膝をついて肩を震わせた。
「おかあさん!」
セトはびっくりして母親に駆け寄った。
「どうしたの?」
セトはそっと母の背中に手を寄せた。
「セト……」
母親は顔を上げて我が子の顔を見た。
セトは母のその泣き顔を見て、胸をぎゅっと掴まれたような気がした。
母親はそのままセトを抱きしめた。両手から離れた布の塊が、床に鈍い音を立てて落ちた。
布から出てきたのは白銀の剣だった。
セトは母親に強く抱きしめられ、訳も分からず涙が出てきた。
大好きな母親に抱きしめられているのに何故か苦しくて、そして、胸の内に何か大きな穴があいたように、声をあげて泣いた。
それから、母が病気で倒れたのはすぐのことだ。
自室のベッドで寝ている母親を、村長や、村の人たちが見舞いにきてくれたり、看病をしてくれたりで、家の中は前より少し賑やかになった。
しかし、臥している母の症状は悪くなっていくばかりだった。
村の人たちが帰っていった夕方に、母の様子を見に部屋へと向かった。
扉を静かに開くと、母は体を起こして窓から見える景色を見ていた。
夕日に赤く染まった部屋の中で、母の姿は頼りなく細く、セトは寂しい気持ちになった。
セトの存在に気付いた母が、優しく名前を呼んで、おいで、と言ってくれた。
少年はその一言だけで、寂しい気持ちなんて忘れて嬉々としてベッドに駆け寄った。
「セト、見てごらん。真っ赤な夕日。きれいだね」
「うん」
母はセトのちいさな頭を撫でながら、夕日を眺めた。
セトはくすぐったい気持ちで、その横顔を見ていた。
「お父さんが守った空……ほんとうに、きれい」
母はつぶやきながら、優しく頭を撫でている。
「セト、困っている人を助けられる人になってね」
不意に母は、じっとセトの目を見つめた。
いつも青白い母の顔は、夕日の赤を受けて、なんだか生き生きとして見えた。
母のその真っ直ぐなまなざしに、セトは緊張した面もちで頷いた。
「うん、こまっている人を守る。だからね、おかあさんのことは、これからずっとぼくが守っていくよ」
その言葉に、母は驚いたように目を丸くして、やがて目に涙を浮かべて、そっとセトを抱きしめた。
セトには、このすてきな夕日が世界のどこまでも届いているような気がした。
そして明くる日、母は静かに息を引き取った。
セトは母の墓の前で座り込んでいた。
墓前には母の好きな桃色の花が供えてある。
セトは昨日の母の温もりを思い出していた。
「おかあさん」
呼んでみた。もちろん、返事はない。
「一人でいると寂しいわね」
不意に後ろから女性らしき声がとんできた。セトは振り返らずに母の墓を見つめている。
「おかあさん、おとうさんに会えたかなあ」
セトはのんびりとした口調でつぶやいた。
「おかあさんね、村の人たちがよくしてくれるから、つらくないんだよって言ってたんだ。でもね、時々すごくさみしそうな顔をするんだ。きっとどこかで、こまってたんだと思う。でもね、助けてって言ってくれないから、どうしたらいいのか分からなかった」
セトは正直に胸の内を言葉にした。そう言葉にした瞬間、彼の小さな心の中には悔しさがあふれてきた。
「お母さんとの約束、覚えてる?」
不意に女性はそう尋ねる。
セトにはその約束が、あの夕日のときのものだと気付いた。その場に彼女はいないはずだったが、セトにはそう伝わった。
「うん……」
曖昧そうに頷く彼に、それでも女性は安心したように微笑んだ。
「約束は必ず守りなさい。あなたはあの勇者と、優しいお母さんとの子なんだから」
その優しくも、厳しく、そして慈しみも含まれた声色に、セトはたまらなくなって涙を流した。
セトは声をおさえて泣いた。母と同じように、静かに泣いた。
「子供が静かに泣くんじゃないよ」
女性はセトの隣に座った。
その人は、気が強そうなはっきりした顔立ちの女性だった。
「泣くときは、大きな声で泣きなさい」
そう言ってセトの頭に手を置いて乱暴に撫でた。
母とは違った、なんだかとげとげしたような優しさをセトは感じた。
そのとげとげした優しさが胸に刺さり、セトは途端に大声をあげて泣き出した。
「うん、約束を守るよ……! こまっている人を、ぼくが助けるんだ……!」
涙でにじむ視界の中でも、目前には母親の墓標がある。
彼はつっかえながらも、うなずきながら、泣きながら、誓いを立てる。
女性は静かにセトの頭を撫でている。
そのまなざしは、寂しそうな色も含まれていたが、何か大きな決心も映っていた。
突如、轟音とともに突き上げるような揺れを感じ、セトは思わず踏みとどまった。
音の方を見ると、煙が上がっている。
一瞬よぎるあの魔物たちの姿。
嫌な予感を感じて、セトは迷わず視線の先へ走り出した。
ひらけた草原にたどり着くと、そこにはあの少女が立っていた。何か大きな物と対峙している。二人の間は抉られたように地に穴があいていた。そこから煙があがっている。
セトは大穴をあけたのであろう、その大きな存在に視線を移した。
魔物だ。
森で遭遇したヤッギーナの魔物とは違い、筋骨隆々とした体躯に、大きな頭、剛胆なその手には人間一人ぶんほどの大きさの棍棒が握られている。2メートルは越すであろう身の丈からは闘志が満ちあふれている。
二本足で立っていること以外は、セトもよく知るあの動物だ。
「ウッシーナだー!!」
セトははしゃいだように指を指して大声をあげた。
ウッシーナとは乳のおいしい草食動物である。地球のみなさんは牛と呼んでいるので、以降はそう表現することにする。
牛はその頭をゆっくりと動かし、視線をセトに向ける。
「ここの村の坊主か!」
牛は快活そうな声で話しかけてきた。
が、話しかけられたセトは今度は目を丸くして叫ぶ。
「しゃ、シャベッタアアア!」
「かっかっか! 元気の良い坊主だ! こんにちはあ!」
「こ、こんにちは!」
セトは反射的に挨拶を返した。
その様子に、牛頭男はずいぶんと上機嫌である。
「良い挨拶だ! 挨拶は良いなあ、実に良い! 我が息子も坊主ぐらい元気があればなあ!」
地を震わすほどの声量に、セトはあからさまに迷惑そうな顔をした。
「そ、そうっすか……って、お前、この子をさらいに来たんだろ!」
セトは少女の前に立ちはだかり、牛頭男と対峙する。
牛頭男はそうだった、と手に持った棍棒をセトへと向けた。
「少女をこちらへ渡してもらおう。魔王さまの脅威になる者は、排除しなければならんのでな」
その言葉に、セトはむっとした。
「俺はそんなこと決められない。そもそも、この子は物じゃないぞ! 渡すとか渡さないとかの話じゃねえ!」
牛頭男は大口を開けて笑った。その笑い声だけでビリビリと身体が震える。
「うぅむ、確かにその通りだ。これは我が輩が無礼を働いたな。少女よ、すまんな」
律儀に謝る男に対し、少女も不思議そうな顔で小さく頭を下げた。
男はまた大笑いをすると、セトを真っ直ぐ見据えてこう言い放った。
「なるほど、坊主はなかなか良い男だ。どうだ、力比べをしようじゃないか」
「力比べ?」
「筋肉の喜びをともに感じようじゃないか!」
「なんだこのおっさん……」
男の突飛な提案に、セトはげんなりとした。
「さあさ、どうだ坊主、これを受けてみよ!」
と、言うが早いか、男はセトに向かって突進してきた。
「いきなりだな、このおっさん!」
セトは背後の少女をかばうため、その場で男の攻撃を受けようと体勢を整える。セトは腰に携えた剣を鞘ごとそのまま引き抜き、正面から男を受ける体勢に入る。
「あんたは下がってて!」
セトは背後に言い放ち、足にぐっと力を込める。
男は目をぎらつかせ、セトの胴体へ体当たりを仕掛ける。
「っぐ」
体中を震わせる振動に、セトの喉から苦い声が漏れ出る。
「よくぞ受け止めた!」
男はそうセトを誉めつつ、セトの両脇をがしりと掴む。
「なんだ!?」
セトは目を白黒させる。
「ほうら、高いたか〜い!」
派手な声をあげて、男はうれしさが爆発したかのようにセトを持ち上げ空に投げた。
視界と脳が追いつかない映像にセトは目を回した。
しかし、地に叩きつられる寸前に反射的に手で衝撃を殺し、跳ねて体勢を整えた。
「な、なにすんだよ!」
「やはり人間はすばしっこい! 良いぞ、良いぞ!」
男の体は歓喜に満ちていた。その喜びを表現するように、さらにセトへと近づき棍棒を振り上げ、力任せに振り下ろす。
「っと!」
これはさすがに自分の身では受けられないと、後ろに飛び去って避けた。
地の抉られる轟音と煙が上がる。
「良い動きだ、坊主よ!」
「力比べって、俺負けてるじゃん……」
セトは思わずこぼした。
その言葉に男はむっとして言い返す。
「心が折れた瞬間から坊主は負けたことになる。どうだ、坊主、貴殿はもうお手上げか?」
煙の向こうから声がする。
セトは剣を持つ右手に力を込めた。
(ただの力比べって言ってたけど、ここで負けたら、あの子が危ない……!)
そう思うと、不意に右手に温かさを感じた。
その温もりは剣から伝わってくるように思えた。
セトは剣を見つめ、やがて決意したように走り出した。
「いいや!」
否定の言葉とともに、セトは煙の中に飛び込んだ。
男の影をめがけて走る。
男の頭はあたりをきょろきょろとみまわし、視界の悪さにしびれを切らせて棍棒であたりを振り払った。
闇雲に振り回したそれに殴られそうになりつつ、避けつつセトは素早く男の背後にまわる。
そして、鞘を左手で抑え、右手で剣を引き抜く。
剣は光を放ちながらその姿を現した。
セトはその流れのままに一閃。
煙が切られたように二つに分かたれる。
その先に、あの男が立っている。
背中を棍棒で守りながら、立っている男が。
「その剣は……!」
攻撃は一切効いていないように見えるが、男が目を見張ってその剣を見つめていた。
男はくるりと振り返り、セトに向かって棍棒を振り下ろした。
「ぐえっ!」
逃げるのが遅れたセトは、すんでのところで避けたものの、その衝撃波に押されて背中から倒れてしまった。
「いってー!」
セトは身をよじって痛みに耐えた。
「その剣、久しくあいまみえる。なるほど、坊主が手にしたか」
男はゆっくりと近づいてくる。
セトは背中の痛みを感じながら、起きあがって男を見据える。
視界の端に、剣の輝きがちらちら映る。
「父さん、こんなきらきらした剣使ってて目痛くなかったのかな」
そのつぶやきに、男は足を止めた。
「坊主、あの男の子供か」
「父さんを知ってるのか?」
「ふむ……お前が、あの男の……」
その瞳は懐かしさを含めたような色をしていた。
セトは不思議にもその瞳に優しさのような感覚を感じ取り、首を傾げた。
すると、セトと男の間に空間すら裂く雷が落ちた。轟音と、突然の光に男はとびすさり、セトはあまりにも見過ぎたその光景にさっと血の気が引いた。
「こんなところまで魔物が来ているなんて。人間の世界で暮らしていると感覚が鈍るのね」
毎日聞いているその凛とした声音に、セトは反射的に背筋をのばして正座した。
「ね、姉ちゃん、これは、その」
「よくも私のかわいい弟を虐めてくれたわね」
姉はセトの横に並び、腕を組んで堂々と仁王立ちした。
姉が使うこの雷はセトがいたずらや失敗をしたときに落ちてくるもののため、過去のトラウマによりセトはこの雷を見ると反射的に正座をする癖がついていた。しかし、どうやら今回は例外らしいことを察すると、頭にはてなマークを浮かべながら姉の顔をのぞき込んだ。
「姉ちゃん……?」
「こういう感じで出てくる謎の助っ人っていうのも、RPGとかでよくある演出よね」
はしゃいだように、してやった、と嬉しそうにはねる姉。
「さてさて、ここで力強いキャラクターが出てきたら、一度退くのが賢いと思うんだけど?」
姉は男に臆することなく試すように提案をする。
男はしばらくは静かにしていたが、その言葉を聞き、大声をあげて笑いあげた。
「かっかっか! 実に愉快! 筋肉が喜びを叫んでいる! 今はこの場を去ってやろう。しかし、筋肉は決して我が輩を裏切らない! 我が勝利は目前にあり! 名乗りが遅れて失礼した。我が名はシプレである、よく覚えておくがよいぞ! 坊主、また手合わせをしよう!」
男はそう言い放ち、棍棒をふりふり、上機嫌に村を去っていった。
「あのおっさん、徒歩なのか……」
「セト、大丈夫?」
姉はセトに手をさしのべる。
セトは姉の手をとって立ち上がった。
「ありがと、姉ちゃん」
「やっぱかっこいいと思うのよね、こういう助っ人の登場シーン」
「それはわかんねーけど」
言いつつ、セトはあたりをみまわした。
すると、こちらに近づいてくる少女の姿を捉えた。
セトはほっと胸をなで下ろし、
「怪我はないか? 大丈夫だった?」
と、言いながらセトは少女に歩み寄った。
ずかずかと近づいてくる少女は、なにやら怒った様子に見えた。
セトの正面に立った少女は、その優しい顔立ちを怒りの表情に変え、セトに詰め寄った。
「わたくしはあのとき、貴方に逃げてくださいと言ったのです! なのに何故、こんな、こんな危険な目に……!」
少女は言葉を詰まらせながら抗議した。
セトはその少女の変わらぬ言い分に、ついにカチンと頭にくる。
少女に負けじと、前のめりになって対抗する。
「なんでそうやって抱え込もうとしてるんだよ! あんた、困ってるんだろ!」
「困っているなど一言も言っていません! わたくしが未熟なせいで、多くの人たちを巻き込みました! だから、もう、わたしは」
「でも怖いんだろ! 一人じゃどうにもできないって、分かってんだろ!」
セトは少女の言葉を遮って言い放った。
少女にもその気持ちはあったのか、唇を強く結んで黙った。
「だからっ」
セトは少女の肩を力強くつかみ、息をいっぱい吸い込んだ。
セトの脳裏には、一瞬母の姿がよぎった。
「助けて、って言え!!」
力任せにセトは叫んだ。
「……」
少女はセトの声に吃驚したように目を丸くした。すべてがリセットされたような表情のあと、やがて紫色の瞳からぽろぽろと涙を流した。
「……助けて、ください」
小さな声だった。
少女は流した涙を拭うこともせず、セトを真っ直ぐ見据えた。
「わたしを、助けてください!!」
少女は声をあげて泣いた。
セトはその姿にほっと安堵しながら力強く頷いた。
「あぁ、絶対に助けてやる」