はじまり!勇気の物語 第三話
思わぬアクシデントに遭遇したが、森を抜けて丘にたどり着く。
晴れている今日なら王都が見えるだろう。
セトはここから見る王都の町並みも好きだった。鼓動を高鳴らせながら丘をのぼっていく。しかし、丘の先に見える空に、セトは言い得ぬ不安感を覚えた。
黒々とした暗雲が見える。
セトは思わず駆けだして、丘の頂上に来た。
「なんだよ、これ」
セトは思わず声をあげた。
そこに広がる光景は、今までに見たことのない景色だった。王都の頭上の空を暗雲が包み、城や城下町にはところどころ黒い煙があがっている。
今日は王都でもお祭りがあると聞いている。賑やかな様子とは打って変わって、まるで絶望そのもののようだった。
「一体、何が……」
すると、目の前に金色の光が集まってきた。
セトはぎょっとしてその光を見つめる。それは先ほどあの少女と見た光によく似ているようにも思えた。
「たいへんなことになりました」
光の中から女性の声がした。清らかで美しいその声のあとに、その声の主と思われる人物が目前に現れた。
セトは丘の先頭に立っている。つまりはその女性は宙に浮いているのだ。
セトは目を丸くして女性の足下を見ている。
「え、宙に浮いてんのこのおばさn」
セトは吹っ飛んだ。文字通り、何か大きな衝撃を顔面に食らって吹っ飛んだ。
目を白黒させながらいつの間にか倒れている自分の半身を起こす。
「え、今、蹴った? 顔を蹴った?」
「アウラから毎年やんちゃに育っていると年賀状が来ていたけれど、口のききかたは教えていなかったのかしら?」
はあ、と大きなため息をつく女性。
「怖すぎるこの人……」
セトは蹴られた頬をさすりながら女性を見つめた。
白い衣装を身に纏った女性は、美しい顔立ちを不安で曇らせていた。
「こんなコントをしている場合ではありません。たいへんなことが起こってしまったのです」
「言い方がまずいのは悪かったけど、いきなり暴力はどうかと」
「魔王が復活しました」
「話聞いてる?」
女性は深刻そうな表情でセトに告げた。どうにも腑に落ちないセトだったが、先ほど遭遇した魔物のこと、そして今自分の目に映る王都の様子もあり、これは本当のことのようだった。理不尽な暴力を水に流し、セトは再び女性の目前に立つ。
「魔王が復活って、どうして」
「何者かが封印を解いたのです。このままでは、再び世界が闇に呑まれてしまいます」
父が命がけで守ったこの世界に、再び危機が迫っている。ということよりも、セトは先ほどの女の子が気がかりだった。
女性はセトをじっと見据え、口を開いた。
「セト。勇気の剣をこちらにください」
「いいけど、これ錆びてるのか抜けないよ」
「野暮なことを言うのではありません。これはそういうものなのです」
ぴしゃりと女性は言った。
多少の理不尽さは感じつつ、セトはおとなしく剣を女性に渡した。
白く細い女性の手がするりと伸びてきて、その剣を受け取った。
「もう二度と、この剣が抜かれることはないと祈っておりました」
女性はぽつりと呟き、鞘からその剣を抜いた。
難なく解かれたその剣は、白銀の光を放ってセトの前に現れた。
「これが、父さんが使ってた……」
セトは息をのむ。
「どうか、この剣で再び魔王を封印してほしいのです」
女性はセトを真剣な眼差しで見据え、抜かれた刀身を差し出した。
「セト。あなたが勇者の息子であるから、という理由でこの使命を授けるわけではありません。あなたには勇気があります。あの少女を迷わず助けたこと、わたくしは見ていましたよ」
「見てた、って、あんた何者……」
「わたくしはこの世界を守る女神族です。しかし女神族は直接この世界に干渉はできない。人間である貴方たちに助言をすることしか許されていないのです」
「ちょっと話が難しいんだけど、じゃあ、さっき俺を蹴ったのって、世界的にはだめなんじゃ……?」
未だに痛む頬を気にしながらセトは全うに抗議する。
女神はにっこりと微笑んだ。
「先ほどのは然るべき処置です」
「えぇー……」
「さあ、セト。その勇気を持って、魔王を再び封印するのです」
セトは女神の言葉にあまりピンと来てはいなかった。
剣をとるのを一瞬躊躇う。その躊躇って止まる自分の手を見つめて、あの少女の震える手を思い出した。
セトは決心したように手を伸ばし、剣をとった。
すると剣は応えるように光り輝き、力を取り戻したかのような美しさを放った。
「よく受け取ってくださいました」
「いや、俺もまだよく分かんないけど」
セトは剣を見つめながらつぶやく。
自分の中でもよく分からない感情だった。これをなんと表現すればいいのか今のセトには分からなかった。
白く光を反射するその剣を鞘に仕舞い、セトは女神を見据えた。
「とにかく、やってみるよ」
セトのその目に、女神は満足げに頷いた。
「魔王を封印するにはその剣だけでは不十分なのです」
「そうなの?」
「勇気の剣の本来の力は四つの宝玉とともに発揮します。魔王を封印するための力はとても強大です。むやみに人間が使わぬようにと、わたくしたちは力を分散させたのです。その力をこめた宝玉がこの世界の各所にあります」
「姉ちゃんがよく言うあーるぴーじーみたいだな」
「……あの子はまだピコピコをやっているのですね」
女神は呆れたようにため息をついた。セトはその言葉の意味がよく飲み込めず、首を傾げた。
「いいえ、此方の話です。まあ、貴方にもいずれ分かることでしょうけど。話は戻しますが、その四つの宝玉を見つけだし、魔王の元に向かいなさい」
「分かった!」
「場所は聞かなくてよろしいんですか?」
やけに物わかりの良い返事に、さらりと聞き返す女神。
「いや、わかんない。教えてくれんの?」
「いいえ、わたくしたちにも場所は分かりません」
「……」
この人とはちょっと話しづらいな、と心の中で思うセトだった。
「貴方の村の村長なら何か知っているはずです。かつての勇者に助言をした男ですから」
「じいさん、そんなにすごい人には見えないけど」
「年長者は敬うべきですよ」
「はーい」
素直に返事をするセトに、女神はくすりと笑った。
「あなたのご両親が亡くなって、一人になってしまったときはとても心配致しました。けれど、本当に、素直でとてもよい子に育ちましたね」
慈しみを込めた様子で、女神は言った。
セトは母の最期の姿を思い出したが、力強くにっこりと笑った。
「姉ちゃんがいたから寂しくなかったよ」
その言葉に女神は頷いた。
「セト。貴方の旅に女神から祝福を授けます。一番大切なのは、勇気と愛ですからね」
「おっしゃ! とりあえず村長のじいさんのとこに行けばいいんだよな!」
意気込み、来た道を振り返る。
「じゃあな、女神のねえちゃん!」
後ろ手に手をふるセト。
女神は困ったように微笑みながら、優しく手を振り返した。
帰路につくセトの胸の内には自らの決心と、そしてあの少女への気がかりがあった。
村に戻ってきて最初に出迎えてくれたのはヤッギーナのユキちゃんだった。
「ユキちゃあぁあん! お前は良い子だなー!」
カランカランとベルを鳴らしながら頭をすり付けてくる姿にセトは愛しさ全開だった。
ユキちゃんは村の入り口すぐにあるラタローの家の子だ。
「セト、おかえりなんだぜ」
セトの弟分的存在のラタローがてこてこと歩いてきた。
「ラタロー、お前はユキちゃんが悪者にならないように、愛情込めて育てるんだぞ」
セトは真面目にラタローに切願した。
「セトはたまに変なこと言うだなあ」
「これは身をもって経験したことだ」
「変なことはたくさん起きるもんだな。さっきも知らない人来たっけ」
ラタローはぽけっとした顔をしながら何気なくそうこぼした。
セトは知らない人? と首を傾げた。ユキちゃんの頭をなでる手は止めない。
「めんこい女の子が来てただけえが、村長はどこですかって、おりに聞いてきたっけやあ」
「女の子……」
セトは森で出会った女の子を思い浮かべた。確かに、彼女が走り去った先にはこの村がある。
「おり、恥ずかしくってちゃんと見れんくてな。だけん、ちゃんと村長の家は案内したんだぞ」
「その子、今も村長のとこにいるかな?」
「さっきだから、まだいると思うんだぜ。そろそろユキを解放しろ!」
「あ、すまん」
セトは手をぱっと離した。ユキちゃんは無表情でラタローのそばに歩いていった。
「セトはその子、知ってるだか?」
ラタローはユキちゃんをなでながら聞いてきた。
セトは曖昧な表情で、しかし確かに頷いた。
「たぶん、知ってる。なんか、困ってる子だ」
セトは再び村長の家に戻ってきた。
村長には、魔王が復活したことも報告しなければならない。
セトは力強く扉を開けた。
「何故、わたくし一人では駄目なのですか」
最初に飛んできたのは怒りも混じったような少女の声だった。
「力のないおぬしだけでは到底たどり着けないと言っているのだ。おぬしは賢い。分かっているだろう」
「わたくしは、一人ででもこの使命を果たさなければなりません」
「だから、一人ではその使命も果たせない、と言っているのよ」
姉の声も聞こえてきて、セトは村長の後ろを見た。
そこにはいつもとは違った厳しさの姉が少女を見つめていた。
「あら、セト」
姉はセトに気づき、視線を向けた。
「姉ちゃんまで、なんでここに」
「あんたが帰ってきてないか見に来たの。そしたらこのお嬢さんがいて」
姉は困った顔をした。
セトは家に入り、少女を見る。横からのぞき込むと、森で出会った女の子だ。
やはり暗い顔をしている。何か、悔しいような感情も見て取れた。
唇をきゅっと結び、少女は黙っていた。
「おぬしが一人でここまで来たということは、王都で何があったかはだいたいが想像はつく。焦る気持ちはわかるが、ここは冷静に」
「わたくしの判断がみなを犠牲にしたのです! わたくしは、これ以上誰にも傷ついてほしくはない! ここにいるみなさんにも、だから……っ」
少女は言葉に詰まった。セトは少女の瞳に涙が揺れていることに気付いた。
いたたまれなくなったのか、たまらず少女は家から飛び出してしまった。
セトはその背中を呼び止めようとした。しかし、目に焼き付いた少女の切迫した顔に、セトは何も言えなかった。
呼び止めようと空しく向けた手を、セトはじっと見つめた。
「なんで止めなかったのよ」
少女の傍らにいたセトに、姉はちくりと言った。
「今、イベントムービーだったから動かせなかった」
「最近のやつはイベント中もある程度動かせるわよ」
「そうなの!?」
セトは重苦しい雰囲気を無視して素っ頓狂な声をあげた。
「おぬしら姉弟は空気が読めんのか」
村長は大きくため息をついた。
「じいさん、さっきの子って……」
「この国の姫君じゃ」
「え、あの女の子が!?」
セトはまた素っ頓狂な声をあげたが、確かに思い返すと身なりや言動に気品がある。
「プリムヴェール・ロジエ。はじめて会ったけど、なかなか責任感の強い子ね」
「森で会ったときからなんか、焦ってたみたいだけど……」
「あら、道中会っていたのね」
「魔物に追われてたんだ」
「魔物じゃと」
村長は緊迫した面もちで割って入ってきた。
「もうこのあたりまで来ているのか」
「魔物はあの子を狙ってたみたいだったけど」
セトはそう言いつつ、何か嫌な予感がした。
「あの子、一人にして大丈夫なのか?」
思わず独り言として呟いた。
と、そう思った瞬間、セトの体は動きだしていた。
「ちょっと追いかけてくる!」
そう言い残して、セトは村長の家を飛び出していった。
残された二人は、案の定、といった雰囲気で見送っていた。
「すぐに行動してしまうのは、父親譲りじゃな」
姉は肩を竦めて頷いた。
「きっと、あの子も勇者と同じように旅に出るんでしょうね」
「おぬしの役目もこれで終わりか」
村長は隣に立つ彼女の顔を見上げた。
どんな表情をしているかと思って顔を伺ったが、その姿に村長は思わず微笑んでしまう。
「お前も、母親によく似たな」
村長がそっと口にすると、彼女ははっとして村長を見た。
そして、誇らしげに笑った。