はじまり!勇気の物語 第一話
自然に囲まれたプルミエ村。
農村であるこの村の住人はほとんどが農家として生計を立てている。時たま見かける謎の大穴以外は、ふつうの村だ。
十年前、魔王を封印した勇者と呼ばれた男が生まれ育った村である。
しかしそれまでもそれ以降も大きな発展もなく、のんびりとした時間が流れている。つまりはど田舎である。
「セト、早く起きなさーい」
謎の大穴に囲まれたとある家。外にも聞こえるほど大きく快活そうな女性の声が聞こえてくる。
「うぅ……」
呼ばれた先の部屋。ベッドで寝ている少年は、大きな声を迷惑そうに思いながら寝返りを打った。
「今日は大事な日なんから、早く起きなさい!」
先ほどよりも怒気を含めた様子で女性は言い、ばん! と勢いよく部屋のドアを開ける。
「あと五分……」
セトと呼ばれた少年がか細い声で答える。その返事に、強気そうな顔立ちの女性はまったく、と嘆息した。
「あなたがそのつもりなら、またこの部屋を吹きとばすけれど、覚悟はできているかしら?」
女性は言いながら腕まくりをする。
「ちょちょちょ、待って! それ俺だけの迷惑に収まらないから!!」
セトは文字通り飛び起きる。頭に芸術的な寝癖をつけてはいるものの、目覚めはスッキリらしい。
女性の横暴さに、しかし慣れたようにため息をついた。
「ふつうに起こしてくれればいいんだって」
「だって、そうまでしなきゃ、あなた起きないじゃない」
「起きるよ! 危ない目に遭わなきゃ起きないわけじゃないよ! 姉ちゃん、それやめてくれって村長からも言われてるだろ……」
姉は袖を丁寧になおし、肩をすくめた。この二人は姉弟であるが、顔は全く似ていないようだ。気の強さを表した氷のような顔立ちの姉に比べて、弟のセトは人懐こさと、日溜まりのような優しさが表れた顔立ちをしている。
「まあ、きれいな花火だと思ってくれればいいのに」
「ハナビ、がなんなのか知らんが、被害が大きすぎるよ……」
姉はセトの突っ込みを気にした様子もなく、リビングへと戻る。セトは着替え終わると、リビングの自分の席へとついた。
「ご飯食べたらすぐに村長さんのところに行きなさいよ」
「ついに俺にもこの役目が来たのかー」
感慨深そうに頷くセトだったが、姉は呆れたように嘆息した。
「十五の子なら無条件になるものよ。あんたが特別じゃないの」
姉は言いながらてきぱきと朝食をテーブルに並べた。
「元々は豊穣を願うお祭りだったけどね。十年前からは平和を祈って、勇気の剣を清めるお祭りに変わったの。父さんが遺した大切な剣なんだから、大事に扱ってよね」
姉はきつく忠告する。
「そっか」
父が遺した、という言葉に、セトは素直に頷いた。
言葉通りの重さを受け止めた弟を見て、姉は優しく微笑む。
「……母さんだって、あんたの晴れ姿、楽しみにしてたんだからね」
姉は静かに言い放った。
セトは窓から見える青い空を見た。
「何やるのか知らねーけど、そろそろ行くかな!」
なんとなく重い空気を吹き飛ばすように、セトは元気よく立ち上がった。
「村長さんの家に行くんだからね。寄り道しちゃ駄目よ」
「わかってるって! ごちそうさま!」
いつまでも子供扱いする姉を不服に思いながら、セトは騒がしく家を出ていった。
「本当に、大きくなったものね」
勢いよく閉まったドアを見つめながら、姉は一人つぶやいた。
セトはずんずん進んでいく。
十五年過ごしたこの村が、セトは好きだった。
父の姿が記憶にないセトは、母親に育てられた。女手一つではわんぱくな彼を制御できるはずもなく、村の人たちも優しく見守っていてくれたのだ。
世界を救った勇者の息子であるセトは、この村では有名人である。遠くで農作業をしている人に手を振れば、穏やかに振り返してくれる。
優しい時間の流れたこの村が、セトは大好きなのだ。
自然豊かだが、不自然に大きな穴が視界にはいると背中に悪寒が走る。あれはセトの姉の所行なのだが、セトはあまり思い出したくない記憶のようだ。
さて、寄り道もせずにセトは村長の家へとたどり着いた。
「おじゃましまーす」
間延びした声でセトは返事も待つことなく、遠慮なしに村長の家へ上がり込んだ。
「セト、返事をしてから家に入ってきなさい」
「あ、すんません」
ぴしゃりと叱咤され、素直に謝るセト。
村長はゆらゆらと揺れる椅子に座っていた。穏やかで柔和な顔立ちだが、白く濃い眉からは厳格さも窺える。
村長の家はこぢんまりと生活するために設計されたような無駄のなさがある。しかし、その無機質さを感じさせないのがこの壁紙である。一人暮らしである老人の家には似つかわしくない花柄の壁紙。それにはかつてここに住まう老夫婦の物語があった。
この村長も若かりし頃、ある一人の娘を嫁に迎える。彼女は誰にでも優しい穏やかな女性だった。魔王に支配されたその当時は空にはいつも暗雲がかかり、村の活気は落ち込んでいた。村の行く末を案じた村長はその重さに気を病んでしまう。そこで、倒れた村長を自分の身より心配した夫人はこの小さな家の壁に花柄の壁紙を張った。
「こうしたら、家の中だけでも自然豊かな感じがするでしょう? そのうち、きっと家の中だけじゃない。村も明るくなって、この世界に光が戻る日が来るわ」
彼女の気丈な振る舞いに、村長は愛しさと、大きな希望を胸に抱いた。
それから村長は持ち前の頭脳と人望により、魔王の支配下でありながら村のみんなを何とか食いつなぎ、やがて本物の太陽を見ることとなる。
その太陽は、病でこの世を去った妻によく似た温かさがあった。
という話も露知らず、セトは無遠慮に部屋の中へ入っていく。
「まあよい。座りなさい」
「はーい」
セトは促されるまま向かいの椅子に座った。
「さて、おぬしをここに呼んだのは他でもない。明日は年に一度の祭りの日だ」
村長は椅子を緩く揺らしながら、話をし始める。
セトは村長の話が長くなることが分かっているので、壁紙の小さな花柄たちを眺めた。
「十年前より、魔王を封印した日を祝福し、これからの平和を願うために女神様に祈りと誓いを捧げるための祭りを執り行ってきた。祭りの日にはおぬしの父親……みなからは勇者として称えられているが……あやつが使っていた勇気の剣を女神像の前に立て、村の住人たちが祈りと誓いをこめて踊るのだ」
このあたりでセトはうとうとしている。
「毎年十五歳になった子供を勇者の剣の禊ぎのために使いに出している。しかし、あの小さかったお前がもうこんなに大きくなるとはのう……おぬしの父親が魔王を倒しに行くと言い出したときも驚いたが、時の流れというのは早いものだ。おぬしの父親は本当に勇敢な若者だった。彼が作った平和を、残された者が守っていく。今年でちょうど十年になる。わしにとってはまだ日は浅いが、この十年の平和を永遠のものとするための、大切な十年だ」
セトは完全に寝ている。
「王都では戴冠式をやるそうだぞ。今年、十六歳となったプリムヴェール様が、王位を継がれる日らしいのだ。王様も王妃様もまだ若くいらっしゃるが、プリムヴェール様の人望を見据えてのことなのじゃろう……」
などなど、本題からはだいぶ逸れてきまして。
「プリムヴェール様に仕える専属騎士を知っているか? 国で一番の腕利きと言うが、わしも一度遠めに見たことがある。妻と王都に旅行に行ったときじゃ」
そこで村長は深く背もたれに体を預け、ため息をついて天井を仰いだ。
「ほんとうに、美人じゃった……」
しばらく沈黙が訪れる。
何故なら、セトは寝ているからである。
ぐらぐらと船をこいでいる。
「国で一番と噂される女性の子らしい。子供であれだけ美人なのだから、お母上はどれほどの美人か……いや、わしはきっと女神様なのではないかと目論(?)でいる」
突然びくり、とセトは跳ね起きた。
「階段踏み外す夢見た……」
つぶやきながら涎を拭う。
「セト、大事な話をしているのだから寝るのではない」
「難しい話をされても分かんないって」
「安心せい。わしでも何が言いたいか分からなくなってきている」
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「簡単に言うと、この剣を浄化してきてほしいのじゃ」
そう言って、村長は椅子の横に手を伸ばす。茶色い鞘にしまわれた剣を重そうにセトに差し出した。
「この剣って」
「お前の父が使っていた剣……魔王を封印した勇気の剣じゃ」
セトはごくりとつばを飲み込んだ。
おそるおそる両手を伸ばしてそれを受け取った。村長がそっと手を離す。セトはその重みに一瞬、前のめりになった。
「村長、力持ちだな」
「農業で鍛えたのじゃ。まだまだ衰えてはおらんよ」
村長はふおふおと笑う。
セトは再び剣に視線を落とす。小さな四つのくぼみがある。使い込まれ、不思議な馴染み方をする柄を握り、セトの胸が熱くなった。
一瞬よぎる母の背中に、唇を結んだ。
村長はセトのその表情を見て、少し間を置いた。
「その剣を森を抜けた先にある丘で浄化してきてほしいのじゃ」
「浄化ってどうやるんだよ」
先ほどの表情はすっかり消えて、セトは口をへの字に曲げて文句混じりに言う。
「それは丘についたら分かる」
言いながら村長は立ち上がった。
「ついたら分かるって……テキトーだなあ」
「さて、これからわしは墓参りじゃ。とっとと丘に向かわんかい」
「呼びつけといてこの扱い!」
むきーっと喚いたが、むなしく追い出されるセトであった。