魔王復活
不気味な冷気が首筋をなでる。
薄暗く、湿気の漂う洞窟の中を複数人の兵士が進んでいく。
鎧の音を立てながら、足下の悪い道を歩いている。しかし、洞窟の淀んだ空気に負けず、兵士たちの声は明るく弾んでいた。
「ついにプリムヴェール様も王位を継がれるのかあ」
「優しく強かな女性に成長したものだ」
「小さい頃は人見知りだったのになあ」
兵士たちは昔を懐かしみ、朗らかに笑いながら語り合う。
「王都では盛大なお祭りになっているんだろうなあ」
「国王陛下の戴冠式より盛り上がっているだろうな」
「プリムヴェール様はお父様によく似て人柄が良い」
「慕われているんだろうなあ」
「国王陛下にも、女王陛下からも、よく愛を受けて育った」
彼らの話は尽きない。
先頭を行く男がそわそわと話を切りだした。
「めでたいことは重なってな、今日は息子の誕生日でもあるんだ」
その言葉に、さらに活気が溢れかえる一同。
「そうなんですか! おめでとうございます!」
「隊長の息子さんって五歳になるんでしたっけ? 大きくなりましたねえ!」
隊員に慕われている表れか、口々に祝福の言葉があがる。
隊長は嬉しいような照れたような表情を浮かべて続けた。
「この仕事が終わったら、一緒に祭りに行くんだ」
それはいい、と隊員がそれぞれ頷いて同意した。
暗い洞窟の中で、どこからか水音が反響する。
「早く仕事を終わらせなきゃですね」
「いやいや、仕事はちゃんとやるさ」
「隊長は真面目だな〜」
若手の隊員はのんびりした口調で言った。
「魔王が再び復活しないとは限らないだろう」
「そんな縁起の悪いこと言わないでくださいよ〜」
隊員はあくまでも冗談としてとっているようだ。しかし、隊長は首を振る。
「魔王が封印されてからまだ十年だ。平和を作り上げるのはこれからの私たちなんだ」
隊長は熱い意思を込めてそう宣言する。
魔王が突如として現れ、世界が暗雲に包まれたあの光景を、昨日のことのように彼は憶えていた。
「魔法使えなきゃ封印は解けないんだし、魔王が復活するなんてあり得ないですって」
「そう願いたいが……そのための私たちなのだ」
そして隊長は足を止める。
目前には石で作られた祠があった。ところどころ、縄で縛られたその祠からはどことなく不気味な風が吹き込んでいる。
見慣れぬ造形に、これが女神がもたらしたものだと告げている。
十年前、魔王が封印された祠だ。
「今日も異常なし」
隊長は深く頷いた。
さて帰ろうときびすを返す。
しかし、振り返った先で、隊員たちが次々と崩れ落ちる姿をとらえる。
隊長は驚きに目を開く。
「な、貴様、いったい!?」
隊長は叫んだ。
祠の前に立つのは自分と、そしてもう一人だけだった。
倒れている隊員と同じ鎧を着た男は細身で、長く目にかかる前髪の奥の瞳は幼さを残す琥珀色をしている。
隊長の問いに、青年は答えない。ただ、抜き身の剣を携えて静かに佇んでいる。その異様なまでに落ち着いた様子に、隊長は一歩退く。
水が反響する音がする。
青年はやがてゆっくりと隊長を見た。
その瞳は怨念めいた輝きで怪しく光っていた。
「何をしようとしているのか、分かっているのか!?」
隊長の怯んだ声だけが洞窟に響く。
青年に答える気配はなかった。
ただ、静かに足音を殺し、近づいてくるだけだった。
「魔王の手先が残っていたなんてーー!」
隊長が腰の剣に手をかけた。
しかし、隊長は剣を握りしめたまま、その場に音を立てて倒れた。
いつの間にか傍らに立っていた青年は、ゆっくりとした動作で祠に顔を向ける。
「……」
青年は唇を固く結び、腕を伸ばして祠へと向けた。
青年の手から黒い光が現れ、くくられた縄が焼け落ちていく。
恐ろしさを掻き立てるような、不気味な光に照らされる青年の表情。それは、消えいく意識の中で隊長の脳裏に刻みつけられる。
見えぬ希望を抱きながら、絶望に焦がれた蒼白の血色に、琥珀色の瞳が炎の光に揺れている。
「魔王さま」
青年は呼びかけた。落ち着いた中低音の声色だった。
「お迎えにあがりました」
彼が言うと、その祠が揺れた。いいや、揺れているのは洞窟全体のようだった。
「おまえ……」
青年は足下から聞こえたかすかなうめき声に目を向けた。
倒れた隊長が、意識を朦朧とさせながらも彼の足に手をかけた。
「な……ぜ……」
「……」
再び青年の唇は固く結ばれ、その手は無慈悲に足で振り払われる。
青年は無表情で、祠から沸き上がる黒い影を見つめた。
隊長の意識は遠のいていく。
青年の向こう側に、黒く禍々しい存在が見える。
隊長は帰りを待つ家族のことを思いながら、意識を失った。