59 睡魔
持ち帰った本をローテーブルの上に積み上げ、改めて見るとけっこうな量だということがよく分かる。突然、大量の本を持ち帰った私にロゼッタは少し、戸惑っていた。
「マリナ様。上級者向けの魔導書をこんなにお借りして、一体どうなさるおつもりなんですか?」
「それは勿論、読むためよ」
「えっ、でも初歩魔法が使えない状態なのでは?」
「うん。まぁ、そうなんだけどね。しかし、さすがに量が多いわね……。ひとまず、先に必要な医療器具を書き出した方がいいわね」
女官長ミレイユさんが明日、必要な医療器具について話を聞きに来てくれるはずだ。ざっと手術に必要な器具名と医療器具の形状、用途をインクと羽ペンで紙に書き記し用意を終える 。さらに、それが終わったらグラウクスさんから借りた魔導書を開き、高難度の術式についてのページに目を通し始めた。
「マリナ様。その本は?」
「ああ、グラウクスさんが言ってた遠見の魔法を発動する為の術式を読んでるの」
「そのように難しい術式を……?」
「うん。術式さえ読めれば、魔法が発動する仕組みの理解はできるのよ」
「そうなのですか」
水宝玉色の目を見開いてロゼッタは驚いているが、黒縁眼鏡の魔術師。グラウクスさんも確か最初の頃に言っていた『基本を把握すれば、応用もできる』と。
そもそも魔法の理解と応用のために、この世界で使われている文字を覚えたのだ。実際、難解に見える上級者向けの術式も基本を把握した今なら理解して読み解くことが出来る。
「うん……。術式を完璧に理解すれば、新しく見えてくる道もあるでしょうからね」
「え?」
「こっちの話。気にしないで」
「はぁ」
ロゼッタは訝しそうな表情ながらも私が読書している姿をしばらく見ていたが、やがて小首をかしげながら控えの部屋に去って行った。一方、遠見の魔法について記されている魔導書を読み終えた次には、幻影魔法について書かれている本に手を伸ばしてページをめくる。
その後は一度、食事休憩を入れて浴室で汗を流した後、再び読書に取りかかり魔導書を読み進めながら時間が経つのも忘れて羽ペンを片手に、セピア色のインクで手元の紙へと異世界文字を書きつづっていった。
「マリナ様。まだ読書をされているのですか? 夜もふけてまいりましたので、そろそろベッドに入られた方がよろしいのでは?」
「もうちょっと進めたいから、ロゼッタは先に休んでて」
「そうですか? あまり根をつめてご無理をなさらないで下さいね、マリナ様。では、お言葉に甘えて下がらせて頂きますが……。何かあったら、すぐに声をかけて下さい」
「うん。おやすみ」
「おやすみなさいませ」
その後、どんどん本を読み進めては紙の上にペンを走らせるという作業を進め続け、気がつけば窓の外が白み始めカーテンのすき間から朝日の光が差し込んできた。私の方も一晩かかって作業が終わり、ようやくペンを置いた。
「ふぅ……。これで合ってるはず」
「おはようございます。マリナ様? ……これは!?」
ドアを開けて、控えの部屋から客室に入ってきたプラチナブロンドの侍女はテーブルの上に積み上げられた本と、びっしりと文字が書き込まれた紙が大量に散らかっているのを見て唖然としている。
「ああ、おはようロゼッタ。今日もいい天気ね」
「それどころでは……。あ、マリナ様! 目の下にクマが出来てますよ!」
「えっ、そう?」
「そうですよ! まさか、眠っていないんですか?」
「うん。気がついたら朝だったのよね。ははは」
徹夜で目標をやりとげたことによる達成感で脳内麻薬が大量に分泌されているのだろう。肉体は確実に疲弊しているはずだが、私は謎の多幸感に包まれ妙なテンションになっていた。
一方、この状況を理解できないロゼッタは完全に困惑しながら足元に落ちている紙を拾い上げ、書きつづられている文字列を見て眉をひそめた。
「なんで、徹夜なんて無茶を? これは……?」
「あー。それ書いてたのよ。私の死んだおじいちゃんが『鉄は熱い内に打て』って言ってたし」
「マリナ様のおじい様は鍛冶師でしたっけ? お医者様だったのでは?」
「いや『鉄は熱い内に打て』というのは、私の世界にあるコトワザなんだけどね。まぁ、いいや……。ふぁ」
抑えきれなかったあくびが口からもれて、急激にまぶたが重くなってきたのを感じた。
「マリナ様?」
「ちょっと、仮眠とるわ……。女官長さんが来たら鏡台の上にある、必要な医療器具を明記した紙を渡しておいて」
それだけ言い残すと私はベッドに倒れ込み、睡魔に誘われるまま泥のように眠った。
 




