54 思いがけない来訪
ひとまず女官長やルチアさんと別れて、私とロゼッタは客室に戻った。そして早速、客室の片隅に置いている茶色いダンボール箱を開けて中身を物色するが、やはり品ぞろえが良いとはお世辞にも言えない。
一応、メスと替え刃はあるから腹部を切ることは可能だが、外科手術用の針と縫合糸が無い。つまり手持ちの器具だけでは縫合ができない。針は曲線状の小さい釣り針タイプの物や、持針器など器具の形状や用途を説明すれば、きっと金物職人さんが作ってくれるだろう。
糸に関しては最先端の吸収性縫合糸なら傷口を縫合した後、自然と体内に吸収されるから本来なら吸収性縫合糸を使用したいところだけど、そんな気の利いた物はない。術後に体内に残した糸が原因で感染症などが起こるリスクがあるが、この世界にある絹糸などを充分に煮沸消毒してから使用するしかないだろう。
「はぁ……。何か、とんでもないことになっちゃったわね。ハハハ……」
「マリナ様、顔色が悪いですよ? ご無理なさらないでソファにでもお掛けになって下さい」
「うん」
「国王陛下の診察があってお疲れですよね? お茶のご用意をいたしますわ。少々、お待ちくださいませ」
段ボール箱を覗き込みながら力無く肩を揺らして、乾いた笑いをもらしていた私を憐れむような目で見ていたロゼッタが控えの部屋に入った後、私はソファに座りながら頭を抱えた。
「それにしても、なんで私は電気メスを持って来なかったかなぁ……。モノポーラやバイポーラがあれば素早く止血しながら手術可能なのに……。まぁ、電気系は機器を持ってきても電気の動力問題があるけど」
一般的な電気メスであるモノポーラ。そして、ピンセット型で通電による止血が可能なバイポーラがあればと心の底から思う。あれさえあれば、小血管の止血が簡単にできるのに。
失われて初めて分かる最先端医療機器のありがたみを痛感していると、銀色の金属トレイで白磁器のポットやティーカップを持ってきてくれたロゼッタが琥珀色のお茶を入れてくれた。
「ねぇ、ロゼッタ」
「何でしょうか? マリナ様」
「仮に手術中、国王陛下が大量出血で死んでしまったら……。私は罪に問われるかしら?」
「それは、私の口からは何とも」
「もしかして手術を担当した医師が、死刑になったりする可能性があるんじゃないの?」
「……万が一、国王陛下が無くなった場合。確実に主治医の過失があると判断されれば、罪を問われる可能性はありますね」
「やっぱりそうよね」
ロゼッタが慎重に考えた末、その結論に至ったことに私も心の中で分かってはいたけどガックリと落ち込む。手術中に患者が死亡した場合、日本の医師なら業務上過失致死傷罪が適用されて五年以下の懲役か百万円以下の罰金ということになる場合があるが、この世界で国王が死亡した場合、なぁなぁで許してもらえるとは到底思えない。もう不安しかない。
「で、でも! マリナ様はユリ毒を無効化させたほどのお医者様なのですから! 国王陛下の病もきっと根治させることが出来ますよね?」
「道具がそろってたら根治を目指せるんだけど……。ロゼッタの時は胃洗浄セットがあったから、何とかなったのよね……。知識があっても道具がそろってないと厳しいわ」
「おじい様の遺品が入っているという、あの箱に道具が入っているのでは?」
「さっき女官長さんやルチアさんにも言ったけど、手術をするには医療道具が不足してるのよ。もともと、死んだ祖父の診療所で遺品整理をしてる時に急に召喚されて、この世界に来たから手術を前提にした医療道具が入ってるわけじゃないのよ。まして輸血ができない可能性が高いとなると厳しすぎるわ」
「そうなのですか?」
「そうなのよ……」
国王陛下を診断して、尋ねられるまま根治を目指すなら外科的手術しかないと言い切ってしまったせいで、とんでもないリスクを背負ってしまった気がする。肩を落として窓の外に広がる青空をぼんやりと眺めてみるが一向に妙案は浮かばない。
だいたい、輸血と言っただけで猛反発されたせいで聞けなかったが、この世界に麻酔はあるのだろうか? 元の世界なら紀元前から、欧州や中東などで鎮痛作用のある植物が栽培されていたという歴史がある。
この世界でも痛みを抑えるという需要はあるはずだから、そういう作用がある植物があると信じたい。なにしろ、麻酔や鎮痛剤がない状態では外科手術で腹部の切開などできるわけがないのだから。
それに事前の検査でCTスキャンやレントゲンなどが使えないのが痛すぎる。実際に腹を開けて肉眼で見れば臓器の表面は分かるが、切り取らねばならない部位が内部にまで浸潤しているなら、見落としてしまう可能性もあるのだ。もちろん切れば内部の状態が分かるが、まさか肝臓や他の臓器を千切り状態にして切断面を徹底的に調べるわけにもいかない。
「マリナ様」
「もしかして……。もしかしなくても私、詰んでるのかしら?」
ロゼッタが心配そうに見守る中、私はひとり打ちひしがれる。そんな時、客室の外から数回、ドアがノックされた。はじかれたように顔を上げたロゼッタが早足でドアに向かって行き、金属製のドアノブに手をかけて扉を開く。
「はい。どなたでしょうか? で、ディルク殿下!?」
「え?」
驚きの声を上げたロゼッタの前にはこの城に召喚された当日以来、顔を合わせていなかったダークブロンドの第一王子が口元に不敵な笑みを浮かべてたたずんでいた。
「久しいな。黒髪の聖女」
「ディルク王子……」




