夢の化石
木々の隙間から、焼けるような日の光が落ちてくる。
地面の上に水溜りのように溜まることで、次代の命を育んでいるのだろう。
少年はそんなことを考えながら、森の中を歩いていた。
「やっぱりつらいなぁ……。五年ぶりだもん、しかたないよね」
滝のように流れる汗をぬぐいながら少年はひとりごちるが、つらい理由はブランクだけではない。
まず彼の格好は、とても森の中を歩き回るそれではない。運動靴にブランド物の服、伸縮性に乏しいジーンズ。
その上彼の身体能力は、同年代の平均的なそれを大幅に下回るようなものだった。体力がもたなくても仕方がないというものだろう。
むしろ彼には、この暑さの中での移動をつらく感じない理由の方が少なかった。
それでも少年は、純粋な想いに突き動かされ、森の中を歩いてゆく。
「セミを見つけるんだ。入院する前に見た、あのセミの羽化。もう一回だけでも見るんだ…」
そんなことを言いながら、一生懸命に歩を進める。
やがて、穴がたくさん開いた崖が目の前に現れた。
「ここならセミの幼虫、たくさんいそう…!」
唇の端を緩ませながら、崖にかけよる。
小さい掌をスコップにして、ねばっこい赤土を掻く。手にくっついて来る土を時折はがして、懸命に土を掻く。
……と。
「……あれ? これ、なに??」
土の中から転がり出てきたのは、光の加減か、七色に輝く滑らかな石。それも一つだけではない。数えられないほどたくさん、ゴロゴロと姿を現す。
不思議に思って、一つを手に取る。
……途端、少年の視界は真っ白に染まっていった。
上下左右も分からなくなり、何も考えられなくなる。
次の瞬間、彼は部屋を見ていた。
全く片付けのなされていない汚い台所に、敷きっぱなしの布団。少年の常識では、人間の住むところではないといった様子のアパートの一室。
そこにいるのは、少年と同じくらいの年頃の、やせ細った少女と、その母親と思しき神経質そうな女性の二人。
女性が少女に向かって、何事かを怒鳴りつけていた。
『どうしたらいいかな……』
唐突に、不思議な声が響く。
女性の叫び声は、フィルターがかかったように判然としないにもかかわらず。
『おかあさん、どうやったら笑ってくれる……?』
その一言は、少年の心に深く突き刺さった。
『いっつも怒鳴ってる』
(いっつも悲しんでる)
響く声とはまた別の声が、重りあうようにして聞こえ出す。
『目を吊り上げて、つらいの吐き出してる』
(目じりを下げて、悲しいを吞み込んでる)
『おかあさん、そんなにつらいことばっかりなんだ』
(お父さんも、お母さんも、悲しいばっかりなんだ)
『笑ってほしいな』
(笑ってほしいな)
『(みんなで笑えるようにならないかな)』
最後に女性の声が大きくなり、一言だけ言葉を拾う。
「あんたなんかが生まれてくるから私が……」
それっきり、また視界がかすみ、次に気が付くと目前には太陽を背にした緑が広がっていた。
少年の頬には幾筋もの涙。少年には、彼女の気持ちが痛いほどわかった。あの後少女がどうしたか、見えずともわかってしまった。
握り拳で頬を拭い、身体を起こす。
掌を覗き込めば、変わらぬ輝きを放つ七色の石。
少年の目には、その輝きは痛々しいほど悲しいものに見えて。
両手で包んで胸に抱く。
「この夢だけは、僕が大事にするからね。僕が何を言っても、もう君には届かないんだけど…」
股の間に目を落とす。
「あっ!? セミの幼虫!!」
土から這い出たばかりのセミの幼虫が、のそのそと土の上を這っていた。
石を持っていない方の手で幼虫をすくい上げ、急いで家へ帰る。
来るときはこらえ切れなく感じた道のりも、帰りは一瞬。
家へ着くと、両親が頭を抱えて力なく座り込んでいた。
「お父さん! お母さん!!」
両手に持った今日の成果を見せながら駆け寄る。
「どこに行っていたの!?」
「心配したんだぞ!!」
「えへへ、ごめん」
満面の笑顔で、少年は言う。
「でもセミの羽化が見たかったの! 一年生の夏休みの時見たあれ! ほら、みつけてきたんだよ?」
両親は、虚を突かれたという顔で、お互いを見合う。
「ほら、このこどうしよう?」
「あ、あぁ。外の垣根に引っ掛けてあげよう」
「うちの中で羽化させちゃだめよ? あの時それで怖い思いしたんだから!」
「うちの中飛び回ったよね!!」
「確かにあれは大惨事だったなぁ」
「笑い事じゃないわよ!! あんなの二度とごめん! 外でやって!」
「「あはははは!!」」
それは、少女と少年、二人ともが夢見た、家族で笑いあう光景。
「うん? おい、その手の中のそれは?」
父親が気づき、少年に手を開かせる。
「あ、これ? これははねぇ……。夢の化石!」
「なによそれ?」
「僕の宝物なんだよ!!」
「そうか、大切にしろよ?」
「うん!!」
病の床に臥せった少年が拾った、日の目を見ることのなかった少女の、夢の化石にまつわる物語。




