無題
小さくしぼんだ、ツツジの花。
少し前までは大きに咲き誇っていたものだが、日差しのせいか、温度のせいか、半分干からびた状態でその首を垂れている。
五月の半ば。
半袖では肌寒いものの、長袖では蒸し暑い、微妙な季節。
男が、彼を照らす陽気で透明な空から逃げるようにして、足早に歩道を過ぎ去っていった。
地面を睨み付けるその目はやけに鋭く、その雰囲気は下手な針よりも尖っている。
その頭の中で渦巻くのは、理解されないもどかしさ。
如何ともしがたい激情が身体の中で暴れ狂い、彼の足を速めさせていた。
大学進学を機に親元を離れ、一人暮らしの自由に触れて、趣味である小説執筆にのめり込んだ。
時代の流れに身を任せ、インターネットに自前の小説を公開したりもしているうちに、欲が出てきて小説家になることを夢見るようになる。
問題はそれからだった。
どれだけ書いても誰も読まない。
目に触れることがなければ感心される機会もない。
じれてインターネットを覗けば、自分よりも後に小説を披露し始めた見知らぬ誰かが、トントン拍子で本を出していく。
挙げ句審査員から上手い構成になっているなんて言葉をもらった上で、新人賞は一次落ち。
向いてないなんて考えることもなく、ただ小説家になりたいから文字を連ねる昼夜。
学校からの帰り道は、どうやって自己主張をするのかを考える、茨の道だった。
ふと、男の視線が上がる。
複数の女子が騒ぐ声が、耳に入ったからだ。
視線の先には、道端の街路樹にスマホを向ける一人の女性。その周りにたかる、仲よさげな雰囲気の女の子達。
迷惑げに眉根にシワを寄せ、あからさまにそっぽを向く男。
男が通り過ぎる間にも、彼女等の話は続いている。
「うーん、こんな感じかな?」
「わー、すごーい!!」
「ミキちゃんの目にはそんな風に映ってるんだねー!」
「えへへ」
「えー、どうやったらそんな綺麗なのが見つかるの?」
「いや、自然に入ってくるって言うか……」
「うわでた、天才ってやつですか」
「ううん、そんなことないよ」
なぜか、男の視線が吸い寄せられた。
周りの女子に照れながら話す、写真好きの女の子へ。
「探せば意外とそこら辺に転がってるんだよ。『綺麗』も『幸せ』も『凄い』も」
右手で左手の肘を掴みながら、どこかを見つめて話している。
「私が写真を好きなのは、私の見てるそういうのを、残しておいたり他人に見せたかったからなのかなぁ」
男はその横を通り過ぎた。
女子達は男が来た方向に歩き始めている。
今まで考えていたあれこれが、頭の中から水蒸気のように消えてなくなっていた。
代わりに湧き上がる、どうしようもない楽しさ。
「自分の見ている凄い,綺麗を見せたい、か……」
目の前にある、ツツジの花。
一輪だけ、顔を上げて太陽を見つめている。
「そりゃすげーって言われたいよな」
同じ空なのに、今までよりもずっと綺麗で、気分を上向かせるものに感じることに、唇を歪めた。
「案外相反しないかもな。すげーって言われたい気持ちと、誰かに自分の感動を伝えたい気持ちって」
家に帰ってから、男は短編を一作仕上げた。
ネットに上げたところで相変わらず読まれなかったが、一言の感想がきた。
『この界隈に、こんな淡々とした話を書く人がいたとは思いませんでした』
男はそれを誇りに思う。