君の名は…それからの始まり
「ネーデルファウスト、転移魔法陣を止めろ!さもなくば、この娘を斬る!」
エドウィン様の剣で、首からつうっと血が垂れるけど、痛みは感じなかった。それどころじゃなかった。
「レイ、ええん、レ、うっ」
「娘、暴れるな!」
括った髪を引っ張られながら、私は泣いてもがいた。
「その髪に気安く触れるな!」
レイは魔力を這わせると、髪を引くエドウィン様の手首を絞め上げた。
「レイ、忘れないからっ、ひっく、ワンコなクロが大好きだったよお!あのモフの幸せだった時間を、ずっとずっと覚えてて、想い出に浸るよお!クロの美しい艶々な尻尾の毛触り、匂い、味、全て忘れないよお!うわああん、ラブリーワンコぉ!愛してるよおお!」
「わ、わかったわかったから……はうっ」
真っ赤なレイは息も絶え絶えになりながら、タリア様達に守られる私の両親に目を向けた。
「レティの両親、昨夜の返事は?!」
昨夜?ああ、話していたのは何だったっけ?
眠ってしまい知らない私は、急なレイの言葉に訳がわからない。
騎士達の間から、お母さんとお父さんが顔を出した。なぜかもらい泣きしてる。
「ぐすっ、いいわ、あなたに任せます。幸せにしてあげてちょうだい」
「うう、娘を頼んだ。不幸にしたら許さんからな」
それを聞いて、レイは満足そうに頷いた。
「承知した」
しゅるしゅると魔力がエドウィン様の剣に巻き付き、私の喉から離れていく。
レイは魔法陣ぎりぎりから、私に向かって手を差し出した。
「レティ、来い」
「………え?」
「……魔族は執念深くて一途、狙った…好きになった女は離さない……そう言ったはず。俺がお前を置いて行くと何故思うんだ?」
恥ずかしそうに話すレイを、ぼうっと見つめる。
彼の言葉を時間を掛けて呑み込んだら、違う種類の涙がまたボロボロと流れて止まらない。
「うわあああん、レイくん、そんなこと、考えもしなかったよお」
「ほ、ほら……レティシア」
現金なもので、力が抜けたはずの体の底から再び力がみなぎってきて、私はぱっと立ち上がった。
両親の方を見たら、頷いて促される。
「タリア様ぁ」
「安心なさい、あなたの両親は我が国の民。必ず守る。だから……行きなさい」
悪戯っぽい王妃様の笑顔に後押しされて、私は駆け出した。
「裏切り者め!」
エドウィン様が剣から魔力をほどくと、私の背中に斬りかかる。
「縛れ!」
少しだけ振り返り、剣を振りかざしたままの姿のエドウィン様を拘束すると、レイの魔力がその足に巻き付いて王様を地面にひれ伏させた。
私の足が、魔法陣を踏んだ。
レイは差し出した手で私の手首を掴み引っ張り、前へと体を少し傾けた。
背の高くなったレイは、そうして私を両腕で抱き締めると深く息を吐いた。
「─している」
その吐息に載せて囁かれた言葉は、私だけに聴こえるぐらいに小さく、それなのに私を包んで満たしてくれるようだった。
「ネーデルファウスト!深紅!」
白亜様の拘束の術を、私の結界とレイの魔力が打ち消す。
レイの背中にしがみついたまま、私は叫んだ。
「白亜様、ごめんなさい!例え裏切り者でも、私は……私は……レイしか選ばない!」
私は人間から見たら、裏切り者で聖女失格だ。
でも、それでもいい。
それでレイが守れるなら、一緒にいられるなら、彼が笑っているのなら……
「ああもう……レティシア……レティ」
わあわあ泣いてる私を胸に押し付けるようにして、強く抱き締めたレイは、呻くように何度も私の名を呼んでくれた。赤い髪に彼の唇が触れて、ふわりと風を孕んだ。
淡い青の光に包まれた私達は、この人間の世界から去ることにした。
周りの景色は薄らぎ、朝日は青い光で遮られた。
不安は感じなかった。悲しみと淋しさは、レイの体温に紛れてぼんやりと影を潜めた。
これから知る世界に、ワクワクは、だいぶあったけれど。
ドキドキは、いつもレイと共に。
人間界、旅編終了!
次は魔界編が始まります!




