君は誰4
「あなたがへたってる間に、あの方とあの無駄に色気のある人間の女が、小さい方の竜は倒しました。しかし親竜らしき中級魔族が、あなたに気をとられていたあの方を背後から襲って連れ去ったのです。おそらく巣で最高級ディナーをゆっくり味わいたかったのでしょう」
猫耳の話では、レアな中級魔族の中には上級魔族を食べたがる美食家もいるらしい。普通は、上級魔族は強いから食べられることはないのだが、クロはまだ弱体化により少年の姿をとっていて狙われたということだ。
「本当はもう少し強かったはずですがね」
え、あれでまだ弱いってこと?
「ええっと、猫兄さん」
「ギールバゼアレント」
「はい?」
山の中を、先に歩く兄さんが立ち止まり、前を見据えたまま言った。
「私の名です。ギールバゼアレント」
「ギールバ、じぇ、がぶっ、いだ!」
噛んだ!魔族さん名前長っ!
冷えきった瞳が、唇から血を滴らす私を射抜く。
「………これでは、あの方の名など呼べないでしょうね」
「やっぱり知って…ボタボタ、ギル兄さん」
ああ、血が足りない。
「ギル……馴れ馴れしい。まあいいです、深紅さん。当然でしょう、あの方とは封印される前からの幼馴染ですから」
何百年前の話なんだろう。
「あの方の名は」
「あー、聞きたくない、クロから直接聞くー、あー」
耳を押さえて聞こえないように大きな声を出す私を、じろりと睨んだギル兄は、「はいはいわかりましたよ、けっ 」と吐き捨てた。
私はフードファイター化していた時に、クロが私を助けるために自分の血を代償にギル兄さんを呼び出したことを聞いた。ギルさんの力もだけど、ヒト一人呼び出すことは魔族でも珍しい力だそうだ。
私は、死にかけた時にクロがひどく取り乱していたことを聞き、もう本当にいてもたってもいられなくて次の日には中級魔族の棲み処である山へと向かっていた。
色々クロのことを聞きたくて、うずうずしてしまうが、それよりも……今はゼェゼェ息切れが辛い。
「ギルさん、ハァゼェ、ちょっと待って、ゼェ」
「………完全回復ではないようですね」
息切れを起こして、急斜面の岩場に手を付いた私を冷静に見てギル兄は呟いた。
「あら、追い付いてしまったわ」
背後から突然声がして、ビクッと驚く私の横に王妃様が立った。
「王妃様!一人で来たんですか?」
以前見た鎧姿ではなく、動きやすい服の上に革の籠手やすね当てしか着けていない軽装で王妃様は微笑んで私に手を差し出した。
「怪我が治ったばかりで弱っている貴女と、我が国に直接関係無い魔族さんだけで行かせるわけないでしょう」
私を起こしながら、王妃様はギル兄に少々警戒した視線を向けた。
鼻を鳴らして、ギル兄はツンとして再び先を歩き出す。
「お一人で大丈夫なんですか?国王陛下は何て?」
「ああ、反対されたりはしないわ。私は国の防衛を担っていて、あの人は政務を担う。役割分担だと割り切っているから」
「はあ」
あんなにベタついていたのに、心配じゃないのかな?
私が釈然としない返事をしたら、王妃様は後れ毛を指で上げながら淡々としている。
「もし私が死んでも、あの人も歳だし直ぐに冥土で会えるからいいのよ。それにあの人、私の後を追うっていつも言ってるし」
「ええ?!」
何、ノロケ?何か怖いよ……
ギル兄は背中しか見えないけど、頭の上の猫耳がピクピク動いているから聞き耳を立てているみたい。
王妃様が細い指で、顔の高さの邪魔な枝をパキッと手折った。
「………私は今は死ねないのよ。結婚する時に誓ったの、必ずあの人を看取ってから死のうって。だから生きて帰るわ」
「…王妃様」
格好良い女性だなあ。つい御姉様って言いたくなるけど、こう見えて私と同じくらいの歳の子供がいるそうだ。うーん、それでも美人で若々しくて色々憧れちゃうな。
下級魔族がいて、たまに私の結界に当たって灰になる。
数時間かけて、ようやく頂上付近に辿り着いた。
また一匹灰になって風に吹かれて消えるのを、息も絶え絶えになりながら見ている。
「ぜーハー」
「深紅、大丈夫?体力が戻ってないのでしょうに、無理をさせたわ」
申し訳なさそうに、王妃様が背中を擦ってくれる。
「ほら、さっさと行きますよ」
思いやりなど無い猫耳は、休む時間も与えない。
「ギルさん、おんぶ」
迷惑そうな顔をするなら、迷惑かけたれ。しんどくて苛立った私は、ギルさんに両手を伸ばした。
「は、なぜ私が?」
予想通り私を冷めた瞳で見下す猫耳に、更に手を揺らしながら上目遣いで言ってみる。
「お兄ちゃん、お願い」
「……………」
「ね、戦隊もので主人公言ってたよ。弱きを助け強きを挫くって……カッコいいセリフだったよね」
「仕方無いですね」
「ふえっ」
説得が効いたのか、私を俵担ぎにして(肩に荷物のように担いで)ギル兄は歩みを早めた。後ろを行く王妃様は、「流石魔族殺しね」と血生臭い言葉を感心したように呟いていた。
山の頂上付近は、木が周りを囲うようにして拓けた場所だった。そこには木の枝で作られた巨大な巣があった。
「これは……」
巣には馬車ほどの大きさの卵が五つもあった。
雌の竜が卵を温める横にクロはいた。
巣の床に押し付けられるようにして、竜の大きな脚に踏まれていたクロが気配に気付いて、俯せのまま顔だけ上げた。
「クロ!」
頭から血を流し、顔も血まみれで、クロは竜の重さに耐えながら懸命に目を開けて私を確認した。
「………クロ、私生きてるよ。ありがとう」
「し、深紅……お前、お前!」
竜の脚の下で、クロは這い出ようとして、指で巣の床を引っ掻いた。
「なん、で、ギルに担がれてんだ!くそ、尻に触んな!腰もだ!あ、肩に胸当たってんだろ!離れろ!」
「………元気そうですね」
ギルは私を担いだまま、冷静にクロを見守っていた。
「……………え、そこなの?」
感動の再会を想像していた私は、残念な目でうるさいワンコを眺めた。
「ふふふ、煩悩のイヌね」
王妃様は慈愛に満ちた表情でイヌを見つめた。




