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君しかいらない

 

 ディメテル国は、山に囲まれた小さな国だ。農業と酪農が盛んで、葡萄や桃の名産地として名高い。


「アレキサンドリとかピオにジャイアにシャインとか葡萄の種類は豊富だよ。うちの家も葡萄農家なんだ」


 首都の街並みもアテナリアとは違い、田園が所々あったり農業用馬車が行き交い牧歌的な雰囲気が漂う。


 懐かしい。

 やっぱり私には、田舎が性に合う。


 私とクロは川沿いを歩いていた。雨が降った後で、水量が増えているみたいだ。でも、今は田んぼの水入れ期だし、雨が降ることは喜ばしいことなんだよね。


「ねえ、折角だしどこかでフルーツパフェとかどうかな?果物美味しいよ」


 ご機嫌な私の手をしっかり握って、クロは物珍しげに周りを見ている。

 数百年振りに外へ出たクロには、今の世界はどう映っているのかな。せめて私の故郷であるこの国は美しく見えていて欲しいな。


 ポーン、と私の少し前をボールが横切った。それを追い掛けるように小さな男の子が通って行った……


「あ」


 その子がボールと一緒に、ふわりと川に落ちるのを見届ける前に、私は握られた手を振りほどいた。


「深紅!」


 クロの叫ぶ声が聞こえた時には、既に川に飛び込んでいた。


「う、ぷあ、ぐ」


 増水した川の流れが思ったよりも激しい。視線を巡らせると、左に小さな手が確認できた。


 水をかきながら必死でその手を掴むが、流れが速くて思うように体が動かない。何とか引き寄せ、男の子の体を片手で抱いて、岸に手を伸ばす。


 くるくると視界が巡り、方向感覚が掴めない。


「ごぼっ」


 水を飲んで、呼吸をする間もなく、また水を飲んで…

 子供だけはと思うのに、意識が遠退く。


「この馬鹿!!」


 クロの怒鳴り声が聞こえたようで、唇に何かが押し当てられる。


「ん……は、ごぼっけほっ!」


 息を吹き込まれて、気管に詰まっていた水を吐き出した。


「ハア、ハア……けほっ、クロ」


 目を開けると、クロの怒っているような泣きそうなような顔が、私を見下ろしている。

 川岸に寝かされて、足元ではさっきの男の子がしくしくと泣いていた。


「良かった…クロ、助けてくれてあり、んむ?!」

「んー、人工呼吸せねば」


 私に再び唇を重ねてきて、驚いて抵抗しようとした手をクロが押さえつける。

 いや、さっき喋ったから!もう大丈夫だよ!


「ん、く、ろ」

「ちゅ、ちゅ」


 しつこくキスをされていたら、男の子のお母さんらしき人が気付いて走って来た。


「ああ!ヨゼル!良かった!」


「んん!?」

「ちゅ、ちゅ」


「ありがとうございました!助けて下さったんですね!……あ、あの、大丈夫ですか?」

 

「んー!」


 ちゅうに夢中のクロの腰を、がっと両足で挟み込んで引っくり返す。

 以前仕掛けた体術が再び決まり、クロは私に押し倒されて目を丸くした。そして更に興奮したようだ。


「はあ、はあ、い、いい加減に」

「ハアハア、深紅さん、宿に行こう。イヌと大人のプレイを」

「クロ君、変態魔族か」


 訳のわからないことを言うクロを放って、親子に目を向ける。よく見たら、男の子の額からは血が出ている。落ちた時に、どこかで擦った怪我のようだ。


「大丈夫?ちょっと怪我見せて」


 手をかざして、男の子の怪我を治していたら、空いている方の腕をクロが持ち上げた。私も肘を擦っていたようで、クロの舌が滲んだ血をペロリと舐める。


「はい、もう痛くないよ」


 治癒が終わり、まだ泣いている男の子に笑い掛けて、ふと周りを見渡すと人だかりができていた。


「あ、あなたは聖女様ですか?」


 怪我の消えたヨゼル君の額を確かめて、ヨゼル君のお母さんは私を驚いて見ている。


「ええ、まあ、そうです」


 そう答えたら、人だかりが更に騒がしくなった。


「聖女様だって?」

「本当に?」


 あ、これは覚えがある。私に向けるこの視線は、期待と好奇の視線だ。聖女候補時代に、ごく稀に王宮の式典に参列した時や街への野外研修で向けられた人々の視線。


「きゃ」


 舌打ちしたクロが、いきなり私を抱き上げた。

 ぐっと足に力を込めると、次の瞬間には高く跳躍して、人だかりを飛び越える。


「クロ?」

「深紅は見世物じゃない」


 驚いている人々を眼下に、二階建ての家の屋根まで跳び、屋根伝いに遠くへ離れて行った。


「クロさん、お姫様抱っこ初めて」


 おお、憧れの姫抱っこ!今までは荷物担ぎだったもんね。

 私がにまにまして口許を手で隠していたら、恥ずかしさが伝染したらしく、クロは顔を赤らめながら呟いた。


「これが一番恥ずかしいのか?キスは平気なくせに」


 いや恥ずかしいよ。


 首に手を回して、肩に顔を擦り寄せると、クロも満更でもなく嬉しそうに私の髪に顔を埋めて匂いを吸い込んだ。


 その夜。

 後をつけられたのか、聞き付けたのか、宿の前に沢山の人が押し寄せて来た。


「聖女様!」

「出て来て下さい」

「怪我を治して下さい」


 気付いた私が二階の窓から見下ろし途方に暮れていると、後ろからクロが私を抱き締めた。


「だから人間は嫌いだ」


 不快さを露にして、クロは私を守るように腕に囲った。

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