君を喰らい尽くしたい5
雨が激しくなったようだ。
窓に打ち付ける雨音がパタパタと響く。気温が下がった室内に、雨音とは違う水音が微かに聴こえる。
家具は倒れ、ドアノブはひしゃげて開かない。散乱した荷物の中身が床に散らばる。
「やめて……や、いや」
布団のずり落ちたベッドの上で、手足を魔力に縛られた私は、身体を震わせて啜り泣いていた。
クロの魔力の爪が、私の服を臍の辺りまで縦に引き裂いていた。それにより鎖骨から腹までに長い傷が作られ、クロは滲む血を舐め、吸っている。
ジンジンと痛む傷から、じわじわと浮かぶ血を、覆い被さるクロが貪る。
「聖女の血は、やはり美味い」
残酷な獣が、くくっと笑う。
怖い。初めてクロを怖いと思った。
このまま私を、なぶり殺すのだろうか。
カインとの待ち合わせの場所へ行こうとした私を、クロは怒りを露にして縛り上げた。
殺気すら感じる魔力の放出に思わず結界を張れば、クロは難なくそれを引き裂いて私を捕らえようとした。
ドアを壊して開かないようにして、拘束の術で動きを封じられれば直ぐに解いて、次の詠唱を唱える前に私を抱え上げてベッドに転がし今に至る。
クロの舌が、半分ほど見えている胸の間を通り、臍へと下りる。ピチャピチャと血を丹念に舐め上げて、再び鎖骨から下へと繰り返す。
「ああ、血が止まってしまった」
「ん、うっ」
血を舐め取ったクロが傷を手のひらで、つうっとなぞる。
「どうせ直ぐに治癒できるんだ。たくさん傷を付けてやる」
そう言いながら、クロの手は頬を撫で首を伝い、胸の膨らみを少しだけ掠めて腹を撫でた。
「あ、う、んん…」
肌を愛でるように優しく撫でられて、混乱する。
わざと私を怖がらせているのか、本気で殺す気なのか、いたぶって楽しんでいるのかと思えば、私の肌を撫でる手が優しすぎる。
私もおかしい。怖いのに嫌なのに、恥ずかしくて隠したいのに、見つめられ触れられると身を委ねたくなるなんて。
「どうして……クロ…なんでこんなこと」
「俺を解放しようとするから」
「ちが、違う」
「行こうとしたくせに!」
誤解してる。クロは捨てられると思って悲しんでる!
「違うの、聞いて」
「何が違う!」
怒りと悲しみと憎しみと、その他の知り尽くせない感情が金の瞳に入り交じる。必死に首を振っていると、大きく口を開けたクロが、私の肩に強く噛みついた。
「きゃあああ!!」
驚きと痛みに突っ張る体を、クロが押さえつける。
「うっ、うう…」
泣いている私の肩から、クロは長いこと顔を上げなかった。ズキンズキンと脈打つ傷に、クロの息が掛かる。
「……うっ、ひく、ク、ロ」
クロの吐息は震えていた。気付いて、涙がまた溢れた。
私を傷付けて、自らも傷付けて、何もかもを傷付けて。
静かに顔を上げたクロは、傷付いて疲れて諦めた目をしていた。
その表情に、戦慄する。
クロは、全てを捨てる気だ。
「…っ、私、クロを」
「もういい。黙れ」
言わなければ、今言わなければクロは…
「わ、私は捨てたりしない!クロ」
「信じられない。お前の言葉は信じられない。真に受けたら、ほら……こんなに痛い目に合う」
可笑しそうに笑うクロが、泣いているようで息を呑む。
「私、クロが好きだよ」
そう告げると、動きを止め考えるようにして、また自嘲する。
「俺はもう、お前のペットじゃない。クロじゃない」
言葉が彼の心をすり抜ける。どうして伝わらないのだろう。
もどかしさでいっぱいだ。
「そうじゃない、そうじゃない!」
「聞きたくない」
私の口を、クロが乱暴に塞ぐ、自らの唇で。
「んんん!」
こんなに痛くて酷い目に合っているのに、なぜだろう?自分のせいだと思うと、クロを抱き締めて安心させたいと、ただただ願う。
それすらも、縛られた私にはできない。
「………深紅……深紅」
唇を何度も合わせて、合間に苦しそうにクロが仮の名を呼ぶ。
そうして私の舌を絡め取り、貪るような深いキスをされて目を閉じる。
無自覚にクロを傷付けたのは、私。それならば、この身を喰らい尽くされても仕方ない。
でもだからといって、クロをこのままにしておけない。
「……は…んう?!」
「……ん、ん」
キスを通じてクロの魔力を吸収すると、驚いたクロが唇を放そうとした。
私とクロは息の掛かる近さで視線を交わした。涙を流しながら、私は彼を見つめ続けた。
「……クロ、ごめんね」
鈍くてごめん。傷付けてごめん。バカでごめん。
クロの気持ち、知っていて知らないフリをしてごめん。
行くなと言いながら、逃げてごめん。
「ごめん」
唇をわななかせたクロが、私の目を手で覆う。
そして再び唇を合わせて、私に魔力を吸収されながら、何度も長いキスを繰り返した。
「ん………」
魔力は数日すれば、元の量に戻るだろう。だがクロは、まるで命さえも渡すかのように、膨大な魔力を私に吸収され続けても私を離さない。
これ以上は、と顔を反らそうとしても追ってきてキスをねだった。
私が傷の痛みと、吸収した魔力に気が遠くなりかけて、クロはようやく体を離した。
「………クロ」
散乱した荷物から外出着を掴んで着替えて、雨具を纏ったクロがドアを蹴破った。
「………次に会う時は、俺を封じろ。聖女深紅」
私を見ずに言い捨てたクロが、闇の中へと姿を消した。
「クロ!クロぉ!!イヤだ!」
刻まれた傷なんかよりもずっと、心が痛くて堪らなかった。
クロによって引き裂かれたのは、心だった。




