君惑うことなかれ3
「セリエ様は、幸せなのかな」
布団の中で、クロの髪を撫でながら考える。
ぽつりと漏らした『他人の思惑』という言葉は、きっと今は亡き領主とセリエ様との結婚のことだろう。
元聖女候補という箔のせいで、好きあってもない人と結婚して、セリエ様はどんな気持ちだったのだろう。
「……好きでもない人と結婚なんて嫌だな」
短い髪を撫で続ければ、気持ち良さそうに目を細めて、クロは私の独り言を無言で聞いている。
「………私は、一生連れ添うなら、愛し合う人とでないと結婚なんてしたくないなあ」
欠伸をして、私はクロの額にキスをした。
「おやすみ」
向かい合うクロの肩に手を伸ばせば、逆に私より小さな手が、私の頭を抱き込む。
初めは嫌そうにしていたのに、こんなに懐いて居心地の良い関係になれた。
これからのことを考えれば、不安で泣きそうになるけど、できるだけクロと過ごす時間が長ければ良いのにね。
「ねえ、クロ」
「ン」
「私が結婚しても、ペットでいてくれる?」
「……グウウウウ」
唸りながら首を振ったクロに、私はショックを受けた。
「クロ、ひど、もういい、お嫁になんか一生行かない」
「え、ウ、ワ、ワン…」
何でクロが今度は落ち込むのかな?
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広い庭は、薔薇が咲き誇っていた。
真っ赤な薔薇、薄紅色に黄色、橙に紫がアーチのように私達を囲っていたりして、どこか浮世離れしていた。
「凄く綺麗」
「そうでしょう?私の自慢の庭よ」
セリエ様は、薔薇の中にテーブルセットを拵えさせて、手ずから紅茶を注いでいた。
「ミスラムと私と使用人達では、この館は広すぎて…」
セリエ様は、寂しそうに微笑んだ。
「この庭の手入れをするのが、私の安らぐ時間です」
「そうですか。素敵な庭ですね、私大好きです」
少し離れた薔薇の陰から、ミスラムのはしゃぐ声が聞こえる。同じくらいの年頃だからと、クロに遊び相手をさせているのだけど、大丈夫だろうか。
口下手で、あまり愛想はよくないと、ミスラムには念を押しておいたけど。
「待て待てー」
どうやら追いかけっこをしてるみたい。
「奥方様!!」
ふいに茶器が割れる音がして、驚いてセリエ様の方を見た時には、護衛の女性兵士に介抱されて蹲る彼女がいた。
「セリエ様?!」
胸を押さえて、苦しそうな表情に慌てて駆け寄れば、片手で制する仕草をする。
「…だい、じょうぶ」
「セリエ様は心の臓を病んでおられるのです。発作を起こされたのです。急ぎ医師を!」
護衛の女性が、他の使用人に医師を呼ばせ、セリエ様を支える。
「おばあ様!」
クロに片手で襟首を掴まれていたミスラムが気付いて、転びそうになりながら駆け寄ってきた。
「しっかり、しっかりなさって下さい!おばあ様!」
半泣きですがるミスラムが痛々しくて、私はクロに手を握られて目を反らした。
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「やはりダメかしらね。長生きできると淡い期待を持っていたのだけど」
ベッドで横になるセリエ様が、弱く笑う。
私は気休めではあるが、痛み消しの術を施していた。
「だんだんと発作の回数も痛みも酷くなってきてるの」
困ったわ、と彼女はやはり微笑む。
「ミスラムが成人するまではと思っていたのだけれど」
「セリエ様」
何も言えない。でも、一つだけ聞きたいことがある。
それが、ただ私が知りたいだけのことなので、私は喉につかえる問いを呑み込んだ。
「心配なの、あの子が……」
「……………」
私が黙っていると、セリエ様が唐突に話題を変えた。
「ところで、弟さんとは仲が良いのね」
「は、はい、そうだと思います」
「………そう、大事に思っているのね」
身体の弱っているセリエ様は、そう言うと静かに寝息をたて始めた。
紅茶と薔薇の薫りが微かに漂い、私は悲しくて寂しくて、彼女の胸が呼吸の度に上下するのを長いこと見守っていた。
その夜、魔族の襲来があるなど夢にも思わなかった。




