君の尻尾をモフりたい
朝。
洗面台の前で、腰まである長い赤い髪を丁寧に櫛梳る。
私は自分の派手な赤い髪が、あまり好きじゃない。だって、目立つし、顔が髪に負けてしまうし、赤い色自体が好きじゃないから。
学校では、翡翠の銀色さらさら髪が羨ましくて、綺麗で、いつも見とれていた。
癖があってウェーブがかっていて、お手入れをさぼると直ぐに広がっちゃう私の髪。
それでも、腰まで伸ばしているのは理由があった。
「その赤い髪、凄い綺麗な色」
まだ私が故郷にいた小さい時、近所に引っ越して来た男の子が何気なく言った言葉。
そこそこ珍しい色だから、幼い友達によく物珍しげに触られたり、ガン見されたりで、うんざりしていたのに、初めて会ったその男の子は、純粋に褒めてくれた。
「見て、秋の夕焼けの色と一緒。綺麗」
今まで馬鹿にされることはなくても、奇異の目で見られることの多かった私は、その子と二人で夕焼けを眺めながら嬉しくて、晴れ晴れとした気分だった。
互いに神官候補、聖女候補としてアテナリアに旅立つことになった時、その子は私に言った。
「その素敵な髪を伸ばしてごらんよ。また会う時に、見せて欲しい。きっと綺麗だろうなあ」
ごめんね、見せられなくて。
私は傍に用意したハサミを手に取ると、髪に宛がった。
「カイン、ごめん」
髪を切る為に、指に力を入れようとした。
「わ!クロ?!」
後ろで無言で見ていたクロが、いきなりハサミを奪った。
不機嫌そうに私を睨み、片手に持ったハサミを私から遠ざけるようにして掲げる。
「返して、クロ。髪切るだけだから」
「……………」
バキッ、グシャ
クロの手の中で、ハサミが音を立てて木っ端微塵になった。
「…………散髪屋さん、行ってくる」
恐ろしい馬鹿力を目にした私は何も抗議できず、そのまま洗面所を出ようとした。ハサミだったものを放り投げ、クロはそんな私の腕を掴まえるや、難なく壁に押し当てる。
「ク、クロ?」
「……グルル」
赤い髪を一房握ると、クロは上目遣いで私を見ながら……その髪に唇を押し当てた。
「……切るなってこと?」
頷くクロに、嬉しくなった。
「私の髪、好きなの?」
腑に落ちない微妙な顔をしながらも、クロはまた頷いてくれた。
「ありがと」
はにかんで笑い、壁に凭れたまま座ると、クロの目線と高さを一緒にする。
「でも、またいつ見つかるかわからないから、目立たないようにしなきゃ。この髪色は目立つから切らないと」
言いかけた私の頭は、強引に引き寄せられてクロの肩に押し付けられてしまった。
そして、ゆらゆらと黒い魔力がクロの身体から浮かび、それが私の髪に絡み付いた。
「なあに?」
不思議に思って、髪を見ていたら、髪の毛の色が赤から黒へと次第に変化していった。
「おお……」
鏡に目をやれば、黒髪の私。意外に似合ってるみたい。髪色が違うだけで、印象も随分変わる。
そう言えば、姿を変えるのは魔族には簡単なんだった。
他人の色も変えられるのは知らなかったな。
「元の色にも戻せるの?」
「ワン!」
「良かった!カインとの約束守れるかもしれない」
「ウウウウ」
機嫌悪いな。
「クロとお揃いの色だね。君の色に染め上げられちゃった」
「ハアハア…ワン!」
今度は嬉しそう。
クロの変わりように苦笑して、肩掛けバッグから紙袋を取り出した。
「それじゃあ、これはイメチェンのお礼ね」
そう言って、アクセサリー屋で買った魔道具のネックレスを、クロの首に掛けてあげる。
クロは、それを手にして、しげしげと見つめる。
「その赤い石に、クロを守るための術を込めてるの。御守りだよ」
そうして座って、クロをぎゅっと抱き締める。
「……そのペンダントは、いつかクロが私と別れて魔界に帰る時までの……私のモノだという首輪だよ」
「………」
「だから、それまでは私のイヌでいて」
私が手を緩めるのを待って、クロは無言で私の頬を両手で包んだ。
「クロ、待て」
顔を反らして言うと、またもや唇を寄せようとしたクロは、ビクッと体を揺らして止まった。
「ダメだって」
なぜか胸がきゅっと締め付けられて、息が苦しいようだった。
私の頬から手を離したクロは、怒ったように鋭く私を見ていた。
何とも言えない空気が漂い、どうしてかクロを直視できない。
耐えきれずに、私が立ち上がって此処から去ろうとしたら、クロが抱き付くようにして飛び付いた。
「きゃ」
バランスを崩し、倒れた私をクロの手が押さえつけた。
鋭い目で大きく口を開けたクロは、いきなり私の首にかぶりついた。
「あっ!んん…」
身を震わせて、反射的に痛みに備えて目を瞑ったが、少しだけ痛いだけで肉を食い破られたのではなかった。
「ク、ロ?」
歯を立てた状態で、しばらくクロは動かなかった。
噛まれたところが熱い。
私は声を震わせて、目を閉じたまま小さく言った。
「一口なら、食べてもいいよ」




