【旧版】インターミッション
前作の終盤で負傷したレンの、その後を書いたものです。
残酷な描写はないと思われますが、シリーズものとして統一するために、R15指定を入れています。
ジャンルについては、吸血鬼を扱っているもののホラー要素はないので、消去法で「ヒューマンドラマ」を選びました。
前作同様、楽しんでいただけたら嬉しいです。
みすみす手放してなるものか。
決して逃がしはしない。
自分の運命、課せられた使命を受け入れろ。
おまえの生き延びる道は、それしかない――。
☆ ☆ ☆
レンは雪の上に仰向けに倒れていた。ときどき顔につもる雪を力なく払いのける。起き上がって室内に移動しようにも、それだけの気力は残っていなかった。
心臓の鼓動にあわせて、切られた右足から血が噴き出し、雪を赤く染める。
染まっているのはここだけではない。大きな洋館の広い庭に積もった雪は、いたるところが踏みにじられ、血の跡が点在していた。
先ほどまで繰り広げられていた死闘の痕跡だ。レンはそのようすを一段高いところから観察していた。
月島聖夜――あのダンピール――を見くびっていた。
自分の能力を知らずに育った聖夜が、覚醒したところで大して役に立たないだろう。だが犬死させるわけにはいかない。
――組織で訓練を受けさせたのち、ブラッディ・マスターと対決させる。
それが幹部たちの決定だった。レンは彼らの命令で、身分を隠したままドルーに近づき、新たなダンピールの誕生を待っていた。
そんな未熟なはずのダンピールが、ブラッディ・マスターを倒した。まったくの計算外だ。
それだけではない。人間の身体を流れる血の道を、正確に読み取った。これまで訓練を重ねてきたレンはいとも簡単に傷を負わされ、今こうして死の淵に立たされている。
「ダンピールとはそこまでの能力をもっているのか」
組織の、そして自分自身の判断ミスだ。悔やんでもしかたがない
手足が少しずつ冷えてくる。だが止血に使えそうな布がない。
「仕方がないか」
レンは最後の力で体を起こしてコートを脱ぎ、袖の部分を傷口に固く結びつけた。
寒さを防ぐより血を止める方が先だ。愛用の黒いコートだったが、血を吸ってしまえばもう着られない。もっとも着る人間が死んでしまっては、コートが無事でも意味がない。残されたところで形見分け程度の価値すらないだろう。
「はぁ」
一息ついて雪の上で仰向けになると、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、部下にもう一度連絡を入れた。
『す、すみません。まもなくそちらに到着しますので……』
聖夜を組織に連れて帰るために待機させていた者たちだ。現状を説明すると、声に動揺の色がにじんだ。
「月島――聖夜か」
こちらが差し伸べた手を取り、素直についてくればよいものを。
ダンピールと自分たちの組織は、ヴァンパイアを倒し、昼の世界を守るという同じ目的を持っている。それなのになぜ拒否する? 組織のメンバーは皆、ダンピールの手足も同然だ。協力することはあっても、敵対するために集まったのではない。
「おまえはまだ、自分が何かを理解していない」
人々がダンピールに寄せる期待と畏怖、課せられた仕事、そして人間を凌駕する能力――ハンターを目指す者が手にしたくとも届かないすべてを持っている。
悲しく冷たい聖夜の瞳が脳裏に浮かんだ。不意に噛まれた首筋が熱くなる。降る雪に体温を奪われているのに、そこだけが熱を持っている。
全身が冷え、手足の感覚が消え始めた。寒さは雪のせいか、あるいは血を流しすぎたためか。
もう、我が身に降り積もる雪を払いのける気力は残っていない。冷たいはずの雪が暖かく感じられる。まぶたが重くなり、気を緩ませると今にも眠ってしまいそうだ。
意識が途切れるのと、部下たちが迎えに来るのと、どちらが先だろう。志半ばで死にたくはなかった。
遠くで車のエンジン音がかすかに聞こえる。救助の者たちだといいが。
だがそれを確認する前に、レンのまぶたは閉じられ、意識が途切れた。
☆ ☆ ☆
明るい光に刺激され、レンは目を覚ました。腕に刺されているのは、点滴の管だ。消毒薬の臭いと固いベッドのおかげで、自分のいる場所が病院だと理解できた。
「わたしは生きているのか」
あのまま死んだら、闇の住人として蘇ったのだろうか。
「いや、それはないか。ダンピールは犠牲者をスレーブにできない」
聖夜に血を吸われたレンは、暗示をかけられて取り逃がしてしまった。
自分がヴァンパイアになる可能性を恐れ、過去の記録を隅々まで調べた。幸いなことにダンピールに噛まれてヴァンパイアになった例は見つけられなかった。
だが数世紀におよぶ組織でも、ダンピールについては解らないことが多い。ヴァンパイアの父と人間の母の間に生まれたのに、変化する者としない者がいる。その差がどこにあるのか。そしてなぜ彼らは、生まれながらにしてヴァンパイアを倒す能力を持っているのか。
疑問の答えを得ようにも、サンプルが少なすぎた。過去に組織に入ったダンピールもいたが、その数はわずかだ。絶対数の少ないダンピールを見つけるのは困難を極める。ただ幸いにして彼らは長命ゆえに、後継者たるダンピールを探すだけの時間的余裕はあった。
それでも空白のときは存在する。組織にひとりもいなくなって、すでに何十年もの時が流れた。
今でも語り継がれているのは、コナーという名前のダンピールだ。驚いたことに聖夜と瓜二つの顔立ちをしている。コナーはあるブラッディ・マスターと戦い、消息が解らなくなった。記録では「死亡」とされていたが、まさかこんなところで消息がつかめるとは。
それにしても月島聖夜は、なかなか見どころのあるダンピールだ。
仲間のために命をかけようとする自己犠牲の精神と、獲物を目の前にしたときの冷酷な顔。手を差し伸べたレンを、気に召さないというだけで迷うことなく切りつけた。
傷つけた相手を何の感情もあらわさないで見つめる。氷のような冷たい目に射抜かれて、レンは恐怖を感じる一方で、その非情さに歓喜した。
ヴァンパイアと対峙するのに、情けはいらない。
敵に向ける非情さと冷酷さ、仲間を守り抜こうとする献身的な行動。
理想的なハンターだ。敵と味方を正しく理解すれば、これ以上はない大きな力となるだろう。
「草の根を分けても、探し出してやる。そしてこの手に入れてみせる」
聖夜を見つけ、仲間に入れた日を思うと、我知らず笑いが漏れた。
「あら、レンさん、気がつかれたんですね」
目に優しい薄いピンク色の白衣をまとった看護師が病室に入ってきた。
この若い女性は、一年ほど前にレン達が助けた人物だ。
善人を装って彼女に近づいたヴァンパイアは、相手が心を開いたとたん牙をむいた。内部調査を続けていたレン達は、間一髪のタイミングで救出に成功したのだった。信頼していた恋人が魔性だったことに傷ついた彼女は、組織の丁寧なケアによって立ち直ることができた。そしてヴァンパイアの存在を知ると、昨日までの生活に戻ろうとせず、組織に入る道を選んだ。
人々はすぐ隣に存在する闇を知らない。わが身に降りかかって初めて、伝説の生き物が実在することに気づく。彼女がそうであったように。
看護師はレンの手を取り、脈を確認した。その間もレンの笑いは止まらない。
「さっきまで意識のなかった病人とは思えないくらい、元気でうれしそうですね」
「ああ、やっとダイヤモンドの原石を見つけたからな」
「それはよかったです。うれしいことがあるなら、すぐ歩けるようになりますよ」
「歩けるように……だと?」
「はい、足に深手を負っていましたから。でもリハビリ次第で普通の生活はできるようになりますよ」
「――つまり運動能力が完全に戻らないということか。ならばわたしは……」
ヴァンパイアと戦うことは、もう不可能というのか? ハンターとしてこれまで積み上げてきたものは、無駄になるというのか?
レンの人生は組織の中にあり、物心つく前からここで生きてきた。幼少のころから運動能力のみならず学問にも秀でていたレンは、組織のおかげで大学に通うことを許された。
身に着けた資格は身分を隠して活動するときに役に立つが、それがレンの真の職業ではない。ヴァンパイアを根絶やしにするという目的は、一度もぶれることがない。
「今後の治療について、ドクターから説明があると思いますわ。先のことを考えるのはそれからにして、今はゆっくり休養してください。仕事とはいえ、ヴァンパイアのもとにずっといたんでしょ。心も体も疲れ切っているはずです。いくら上からの命令だといっても、無茶しすぎですよ」
看護師らしい気遣いを残して、彼女は病室を後にした。
レンはリモコンでベッドの背もたれを起こした。シーツの上から右足のあるあたりまでゆっくりと手を伸ばし、恐る恐る手を当てる。
固い感触があった。だが足のほうは手が乗せられたという感覚がない。
「まさか、そんなことが?」
最悪の事態を予感すると、黒い霧が胸の中で濃度を増す。レンはシーツの端をつかみ、しばらく動きを止めた。めくればそこに真実が見える。だがそれを素直に受け入れられるだろうか。
深呼吸して気持ちを静め、唇をぎゅっとかみしめると、勢いよくシーツをめくった。
そこには包帯でぐるぐるにまかれた自分の右足があった。
ふっと肩の力が抜けた。切断されたわけではないようだ。
「しかしこのままだと、この仕事はできないかもしれない」
ヴァンパイアと一戦を交えることが可能になるまで快復できるだろうか。身体に叩き込んだすべてを生かせなくなったら、自分はここに残る資格を失うのではないか。
月島聖夜――借りは必ず返す。このまま好きにさせるつもりはない。
噛まれた傷跡が、不意に熱くなる。あの、背徳的な快楽が全身を貫いた。強烈な麻薬だ。犠牲者がスレーブになるのは、これを求めるからなのか。
だがレンには関係ない。幼いときから心のコントロールを訓練してきた。
「なに、焦ることはない。無理に探し出さなくとも、すぐにでも会えるさ」
ヴァンパイアを追っていれば、必ずどこかで巡り合う。聖夜が逃れたくとも、一度踏み入れた世界から抜け出すことはできない。宿命とはそういうものだ。
いつかは組織に入れてみせる。決して自由にはさせない。自分の使命を忘れさせるものか。それまでは、ひとりの時間を楽しんでおくことだ。
「何があっても、決して逃がしはしない」
レンはそうつぶやくと、口元に小さな笑みを浮かべた。
かのヴァンパイアを思わせるような、不敵な笑みを。
― 了 ―
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。