五
大きいけれどやわらかくたおやかな感じのする手が私の頭を撫でる。
「検査がすんだのならまず目のほうを先にしていただけませんか」
「では先ほど取得したデータでバイザーをつくってまいりましょう」
ごそごそと音がするのは防護服だろうか。すぐ近くの空気の塊が動く。検査員さんが部屋を出て行った後、すぐ隣でふう、と重いため息が聞こえた。
「実はさあ、ほんとはこの支店たたむ話をしにくるつもりだったんだけど」
昭三さんのお姉さんがゆっくりと私の頭を撫でる。
昨日、昭三さんと健太さんからも聞いたが、このうさぎ屋常磐潟店は宇宙港建設を見越してオープンしたという。建設中はもちろん、宇宙港が完成すれば人の出入りが多くなって定食屋さんも繁盛するに違いない。しかし外れのない計画のはずだったのに宇宙港建設話そのものがなくなってしまった。惑星アウェス政府高官がらみの汚職が露見したせいだからだという。どこの世界も世知辛い。
「煽りを喰らったのはうちの店だけじゃないけどもさ、それにしても腹立つわあ」
横から身体に腕をまわされた。がっし、と引き寄せられた先で頬に馴染みのふわふわがあたる。何回お姉さんに叱られても上着を着ない昭三さんもどうかと思うよ。たった一日で馴染んじゃう私もいかがなものか思うけど。
「できれば撤退したくないんだが」
「別にかまわないのよ。収益が上がりさえすれば」
「うっ」
宇宙港建設がなくなったのは痛い。それでも着工前で店舗の正式オープン前だったからまだ傷は浅い。
「俺はバリーが元の世界に帰れるかどうかはっきりするまでここにいたい」
「ああ――ううん――ううう」
昭三さんに抱え込まれているが背中の向こう側で大きなものがぐねぐねと悶えているのを感じる。
ひとまず自分に意見が求められることはなさそうなのでおとなしくしておく。正直、下手につついて放り出されることになってはたまらないという打算もはたらいた。伝説どおりに目から危険光線を発することができるのだったらビーム発射を我慢するなり、「焼き尽くしてやるう」と脅迫してサバイブするなりやりようがありそうだが、そんな都合よく目からビームなんぞでるわけない。むしろ惑星アウェスの環境が私の目に全方位からビーム照射してる。視界が塞がれたままではどうしようもない。
「ええっとぼくには権限がないので断言はできないんですが――」
少し離れたところから声がかかった。検査員さんだ。
昭三さんの膝の上でぐるりと向きを変える。昭三さんの両腕ががっちりおなかをホールドしていて安定感はあるんだがちょっといたたまれないというか何というか。恥ずかしい。上半身裸の男の膝の上に子どもみたいに乗っかってる自分を想像して赤面した。どめちゃくちゃ恥ずかしい。検査員さんはそういうところ気にならないたちなのか、私の顔に金属製のなにかをあてながら昭三さんたちと話している。
「撤退を決めるのは早いかも」
ないしょですよ、と検査員さんは前置きしてちょっぴり声を潜めた。
「それはつまり?」
昭三さんのお姉さんが食い気味に話の先を促す。
「ここを含む元宇宙港建設予定地あたり、人類拡散連盟が買い取ることになりそうなんですよ」
「なるほど――ちょっと本部と話してくる。昭三、ここよろしく」
「おう」
今の話ではよく分からないけど昭三さんと健太さんのお店はたたまなくて済むということだろうか。相変わらず私はどうなるのか、はっきりしない。
「――さっきの情報、助かります」
昭三さんが私の頭に機械をあてては戻し、を繰り返し調整している検査員さんに話しかけた。
「いえいえ。うさぎ屋さんのごはん、好きなんですよ。だから撤退されるとちょっと困るかな。もしかしたらぼくもこちらに赴任することになるかもしれませんし」
「ご愛顧ありがとうございます」
ふふふ。検査員さんが機嫌よさそうに笑った。
* * *
目隠しの布が外された。圧迫感があって煩わしかったのに、いざなくなるとふわふわすうすうと心もとない。しっかり閉じているのにまぶた越しに光が目を射る。大きさを調整された機械が頭にかぶせられてやっとまぶしさから解放された。
「ゆっくりと目を開けてください」
検査員さんの声に従いゆっくりとまぶたを開ける。暗い。瞬きをしても視界がはっきりしない。
「少し明るくしますよ」
暗闇が薄らぎ、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。
「目は大丈夫か、痛まないか」
「はい」
少し離れたところから昭三さんの声がする。そちらへ目を向けるとぼんやりと大きな塊が見える。
――ああ。見えそう。
たかだか一日だったけれど、視界を塞がれたままできつかった。周りを自分の目で見るなんて今までごく当たり前にしてきたことなのに、とても新鮮でうれしい。
「もう少し明るくしますよ」
目の前の検査員さんの丸っこいシルエット(鳩人間だった)も、白い飾り羽根がひらひらきらきらしている健太さんも、背が高くぱりっとしたスーツに身を包んだいかにもてきぱきした感じの海鵜人間の女性(きっと昭三さんのお姉さんだ)も、部屋が明るくなるにつれはっきりと見えるようになってきた。ただ
――ん?
ついさっき言葉を交した昭三さんの姿がない。その代わりひとり見覚えがない人がいる。昭三さんと背格好が似ているのだけど上着をきちんと着ているし、昨日見たその人とは羽の色が違う。頭が白い。
――種類の違う鵜人間? 親戚とか?
じいっと見つめて首をかしげると
「どうしたバリー、目が痛むのか」
頭の白い異種鵜人間の口から昭三さんの声がした。
「えええええ?」
「うわ、変な声で鳴いた――もしかして目が痛みますか」
「バリー、どうした!」
「バリーちゃん!」
検査員さんは慌てた様子でひょこひょこ首を上下させてモバイルに表示されたデータと私を見比べ、健太さんとバリキャリスーツの女性、そして白い頭の異種鵜人間がどっと駆け寄ってきた。
「ああ、昨日一度見ちゃってるわけね、生え替わり前をね。なるほど。そりゃあびっくりするわね」
昭三さんのお姉さん、三千子さんが肩をすくめた。
「昭三、いつまで拗ねてんの、うっとうしいわよ」
頭の白い異種鵜人間がこちらに背を向け壁にもたれている。
異種鵜人間は昭三さんだった。なんと頭部の羽が一夜で婚姻色に生え替わったのだとか。
――でも今朝のしょーちゃんの様子なんか明らかに――
――色気づいてんじゃないよボケエエエ!
なるほど、それで健太さんと三千子さんがああいっていたわけだ。婚姻色って色気づく(物理)なんだ。
「婚姻色ですかー、興味深い。今時珍しいですね」
検査員さんが首をひょこひょこと上下させた。亜人類鳥人種が作られたはじめの頃、婚姻色が強く出る種族がいたそうだ。昭三さんは先祖返りタイプらしい。
昭三さんはもちろん自身の羽の色の変化に気づいていたけれど、「婚姻色? 何で?」とカジュアルに流してしまっていたらしい。無理もない。昨日からマレビトである私を迎えて大変だったものなあ。何より、昭三さんは今朝まで私のことを男の子だと思い込んでいたんである。今、昭三さんはお父さん的自信を失い壁と仲良しになっている。私が視覚を取り戻したらいのいちばんに駆け寄ってくるものと思っていたらしい。はっきりと決めていたわけではないが私だって吝かではなかった。むしろ「昭三さああああん」と抱きついたりする気満々だったのに出鼻をくじかれた。
――違う人みたいに見えたんだもん。
何度か「ごめんなさい」「すみません」と声をかけたのだが「気にすんな」の一点張りで昭三さんはどんよりと壁と仲良くしている。