三
機嫌を損ねて戻ってきた昭三さんは
「これから姉貴たちが来る」
と言ったきり口をつぐみ私を抱き上げると膝の上に載せた。そしてぎゅううう、と抱きしめる。
「――ああ、もう! 確認してくる」
健太さんが忙しなく部屋を後にする気配がした。
しばらく後、拘束を緩めた昭三さんはため息をついた。
――どうなるんだろう、私。
昭三さんは何も言ってくれないけれど、きっと私の今後に関することで連絡があったんだろう。
――どうすればいいんだろう、私。
家族。友人。大学の先生。近所のおばちゃんたち。みんなに会いたい。帰りたい。なのにどうやって帰ればいいのか分からない。たった一日離れただけなのに遠い。毎日顔を合わせた両親の姿すら記憶がおぼつかない。「この人はあなたのお母さんですか」と写真などを示されれば「はい、そうです」「いいえ、違います」ぐらいは返答できる。
――じゃあ、あなたのお父さんの左の人差し指はどれですか。
――友人の唇はどれですか。
――この中にあなたのおじいさんの眉毛はありますか。
――アルバイト先の店長の目はどれですか。
そう提示されたら自信がない。
――そんなことも分からないのにほんとうに元の世界に帰りたいのですか。
きっと答えに詰まる。急速に遠くなる私の世界。心細くて息がつまる。自分がが記憶しているつもりの私の世界はほんとうに存在するのだろうか。
「すまねえな、バリー」
――いい子、いい子。
昭三さんの大きくて硬い指が私の頭を撫でる。
「ほんとは――大学とか研究機関とか、人類拡散連盟とかな、そのあたりのお偉いさんにバリーを任せるのがいちばんだって分かってるんだけどよ」
ふうう、と昭三さんはため息をついた。
ここは鳥人種が住むアウェスという惑星で、大昔、異世界から来たとしか思えないマレビトに生存を脅かされたことがあるとかいう伝説があって、そもそも他の惑星でも獣人や鳥人など亜人類がほとんどでわずかながら真人類と呼ばれる私と似た姿をした人もいて――私の知っている世界とはまるで違う。
「なんつうかその……バリーと離れられそうにないっつうか、嫌なんだよ」
かたたた、とわななきとともにくちばしが微かに鳴った。吐息が震える。つやつやでふわふわの羽毛に頬をすり寄せて私は不思議な気持ちをもてあました。
まだ一日も経ってないのに。昭三さんが私を離しがたいと思っていることが嬉しい。自分のアイデンティティが揺らいでいて心もとないからそう感じるのかどうか、分からないけれど昭三さんの気持ちが嬉しい。ぐずず、と頭の上ですすり上げる音がした。
「昭三さん、泣かないで」
「――いや、泣いてねえし、これ鼻水だし」
「じゃあなすりつけんな」
「すんません、鼻水じゃないです目から汗出ました、怒らないでくださいすみません」
ぷぷぷぷぷ。
ふたりで同時に吹き出した。先ほどのわななきとは違う。昭三さんの胸が笑いに弾んでいる。羽毛越しに伝わるぬくもりと鼓動が嬉しくて私も笑った。
嬉しい。こうして昭三さんが笑っていると嬉しい。
でも思ったこと、考えていることそのままを伝えていいのだろうか。自分の記憶が事実なのかどうか分からない不確かな私の気持ちなどあてになるのだろうか。幼馴染みの健太さんと二人で新しくお店を立ち上げたばかりだという昭三さんの生活に、人生に踏み込んでしまっていいのだろうか。
――そんなこと、していいわけがない。
腕がゆるんだ。昭三さんがまじまじとこちらを見つめているのを感じる。私が首をかしげると
「バリーは真人類なんだなあ。俺たち鳥人種とは全然違う」
昭三さんの指がそっと頬を撫でた。私とは違う硬い指が肌を這う。昨日と今朝、二回だけ見た昭三さんの口は前へ伸び尖っていた。頭が海鵜でくちばしがあるんだもの、当たり前だ。でも――だから――構造が違いすぎてきっとキスすらできない。
「――やわらかいな。傷をつけてしまいそうだ」
おずおずと唇に触れていた指が離れた。目隠しをしているから、離れてしまうと昭三さんの手がどこにあるか分からない。離れた指を追って私の両手が宙を掻く。昭三さんが手を握らせてくれた。四本指の大きな手を撫でる。鱗のような硬い肌。掌にそっと口づけた。
「私――昭三さんといっしょにいたいです」
「バリー」
ぎゅう、と再び抱きしめられた。
「ああ、俺もそうしたい。バリーはまだ小さいから分からないかもしれんが俺たちは男同士だ。結婚できなくもないが子どもはつくれないんだ」
「いやだから――」
違うっつうの男じゃないし――いや待てこの世界は同性婚ありなのかそれはともかくとにかく私は男でもなけりゃ子どもでもないっつうの話聞けよこの海鵜野郎、ゼロ距離レベルで密着していても身体の凹凸が分かりませんかささやかすぎますか海鵜人間にとってのセックスアピールってどんなんだよ、どんなんだったら大人の女だって分かるわけこのボケがああああ――、そうまくし立てようとしたそのとき、前、厳密には昭三さんの後頭部ががすっと剣呑な音を立て
「この馬っ鹿もんがあああああ!」
大音声が部屋中に響いた。