壁
俺は朔那を連れて聖職者の町に飛ぶ。店売りの『魔法の書』を全部買って、朔那に渡した。
魔法はレベルが上がると自動で覚えるのではなく、規定のレベルに到達した状態で『魔法の書』を使用すると覚える事ができる。
そのため今すぐは覚えられなくても事前に用意する必要があった。
【今、大変な事に気が付いた】
【〈聖職者〉のモンスタードロップする方の魔法が手に入らないんでしょ?】
俺は思わずチャットではなく、声で答える。
「正解!」
それぐらい俺にとっては落とし穴な出来事だ。
露店や掲示板を探して、例え高額に設定されていたとしても買う予定でいた。
お金があろうが、買えない状況。
このままではレベル三〇の魔法までしか使えない。
難易度が高すぎる。
ごめん。単純なレベリングだけなら簡単に終わるけど、必要最低限の魔法を集める方は俺一人じゃ到底無理だ……。レア度の高い物になると同じモンスターを半日以上狩り続けても出ないという話を聞いた事がある。
だからこそ売ったり買ったりが成り立つんだ。
一ヶ月で何とかなると見積もっていたが、考えが甘かった。このままでは一年かかっても救出は無理だろう。
【ちょっと待っててくれ】
俺はログインさせたまま、部屋を出る。
廊下で一度深呼吸。
朔那に弱音を吐いちゃダメだ。
動揺を悟られてもダメだ。
希望がなくても希望があるようにみせるんだ。
その間に必ず解決策を見つける!
俺は一階に移動して、居間の扉を開く。
朔那がいないだけで重苦しい空気が漂う。
居間を照らす蛍光灯も、どこか寂しそうだ。この一週間でずいぶん暗くなった気がする。
会話などない。父さんはつまらなそうにテレビを見て、母さんはいつも通り父さんが使った食器を洗っていた。
「父さん、母さん……。話がある」
父さんはテレビの電源を消し、母さんは蛇口の水を止めた。
静かになっても俺が話を始めないから、母さんが聞き返す。
「なに? 改まって?」
父さんは朔那がいなくなってから、お酒を飲む量が増えた。仕事から帰ってくると夕食前から飲んでいたりもする。休みの日に至っては昼間だろうが、酔い潰れるまで飲んで気分を紛らわせていた。
信じてもらえるかはわからない。でも、ここから始めなくちゃいけないんだ。俺は不安な気持ちを何とか圧し殺して答える。
「さ、朔那の……居場所がわかった……」
父さんがガタッと椅子を後ろにずらしながら立ち上がった。
母さんは手に持っていた食器を落とす。ガシャーンッと割れる音が響く。
近寄ってきた父さんに肩を掴まれて前後に揺さぶられながら矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「どこにいたんだ? 生きてるのか? 無事なのか? どうなんだ?」
家族を明るく照らしてきたのは朔那だ。
みんなに笑顔がなくなったから家の中が暗く感じるのか。
俺だけじゃなくみんなが心配していた。今ならそれが痛いほどわかる。
「生きてる。でも、すぐに戻って来られないところにいるんだ……」
「どこにいるんだ?」
「ゲームの世界……」
「こんな時にふざけるな!」
父さんは俺の言葉に怒りを表し、右手を振りかぶった。
馬鹿にしたわけじゃないけど、簡単に信じられないのも無理はない。俺も朔那とチャットをしていなければ、こんな事は信じられなかった。
俺は覚悟を決める。
しかし、振り下ろされる直前。母さんの声が飛んだ。
「お父さん! 待って。豪は嘘をつく子じゃないわ。きちんと話を聞きましょう」
「……そうだったな。急な事でカッとなってしまった。飲み過ぎたみたいだ。ごめん」
俺は二人を部屋に招き入れ、これまでの経緯を説明するとともに、朔那には両親が部屋に来ている事を教えた。
俺の部屋に親を入れる事には抵抗があったけど、この際仕方ない。
注目して欲しいところに指をさしながら始める。
「ここを見て。この日付と時間。朔那がいなくなった直後だ。それから毎晩、メールが来ている……」
ノーパソのチャット画面を見せようかとも思ったが、ゲーム内メールの方がいい気がした。
母さんは細かい事はどちらでもいい人だ。俺の説明を受けてディスプレイに指を押し付けて確認する。
「この手を振ってるのが朔那なの?」
装備から武器を外し、両手で元気に手を振っている。
こんな状況下でも親に自分の生存を知らせる事ができて嬉しそうだ。
画面に付いた指紋は後で拭き取ろう……。拭けばいいだけだ。ここは我慢!
「そうそう。疑うなら家族しか知らない事を質問してみる?」
朔那本人だと認めていない父さんがさっそくお題を出す。
「なら、家族全員の生年月日を聞いてみてくれ」
【朔那、家族全員の生年月日を答えてくれ】
【あー。きっついところきたな……】
顔に手を当てて悩みのポーズが画面に反映されている。これが今の連動状態?
何かとても頼りない。どうしたんだ?
「この反応は朔那ね」
「朔那だな」
それでいいのか!
「朔那はお父さんの誕生日は答えられても、きっと西暦の部分が答えられないのよ」
チャットを見ていると、母さんの予想通り、自分と俺と母さんの生年月日は正解したけど、父さんは誕生日だけだった。
「……やっぱりね」
母さんがせっかく朔那と会えたのに、どこか悲しそうな顔をしている。
朔那……お前なぁ~。
普通は全問正解して格好良く決めるところだぞ……。
違う意味で簡単に証明が終わってしまった。
画面の朔那は顔を真っ赤にして『ごめんなさい』をしている。実際にこれをゲームでしようとすると片方ずつの動作しかできないのに、二つ同時にキャラクターが再現している。
連動レベルがすごい。
「このゲームは会社が倒産して、本当ならゲームが出来ない」
両親が眉間にシワが寄って、んっ? って顔になる。
「俺もどういう理屈でゲームが出来ているのかは、正直わからない。でも、一つだけわかっている事がある」
ここが正念場だ。朔那の無事は確認できた。でも、本当の意味では無事ではない。
「ボスを攻略するためには二人の力がどうしても必要なんだ。お願いします。力を貸して下さい」
俺は両親に頭を下げる。
「ゲームなんて一度もしたことないわよ?」
「俺は学生の時に少しだけ……」




