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有田金太の通っている高校の中庭は時間が止まったかのごとく静かだった。
誰もが目の前で起きた信じられないような出来ごとに言葉を失い、虚ろな目で佇んでいる。動くものは唯一人を除き他には誰もいない。
「さてさて、僕は忙しいからこれまでだよ」
動く事が出来ている唯一人の人間、というよりも人間の姿をした化け物である金太。
彼は当事者であるにも関わらず、まるで何事も無かったかの様にそう言うと、調子よさげな足取りで目的地へと進んでいく。
目指すは学食、そこで販売されている食材に少女の毒を仕込み学校そのものを占領してしまう事が、パンドラの今回の目的なのである。
毒を飲んでも誰も死なないという事が分かっている以上、それがどのように人の道から外れた事であっても金太は疑問も躊躇いも抱かない。
むしろ自分が嫌っている人間を吹き飛ばし、嫌っている高校を滅茶苦茶に出来ると分かっているからその足取りは軽いのだ。
「・・・・・・嘘だろ、あの二藤部が瞬殺・・・・」
「てかなんだよ、有田の奴完全に化け物じゃないか・・・・」
「・・・・・あの飛び方、二藤部危ないないか?」
「てゆーか何よ男子二藤部君を助けなさいよ!」
「そうよ! 有田なんて男子全員で袋だ叩きにすればいいんだわ!」
ようやく口が動くようになった外野は口々に喋り始めるが、体を動かし行動に移す事は無かった。
今金太の興味はみじんたりとも彼らに向いてはいない。故に攻撃を受けることも標的にされる事も無いのだが、もしも行動を起こし金太を下手に刺激してしまえばそれまでである。
その場にいた全員が今の数分のやりとりの間に、金太に対する恐怖を心の奥底に染み込まされていたのだ。
「邪魔だよ。どいて」
金太は自分の進行方向の前に立っている生徒たちに、一言そう言った。
「・・・・・・・・はい」
一人が泣きそうな顔と声でそう言うと同時に、金太の前にいた全ての生徒たちは必死に逃げ出しその場を離れていく。
金太の言葉はモーゼのように生徒たちを掻き分け、学食への道を開いた。
「・・・・・・人間って本当に醜いよね」
先ほどまで大勢で自分を囲い強気だった生徒たちが、僅か拳一つと一言でゴキブリのように逃げ出していく様は非常に滑稽だった。
だが同時に金太は人間の弱さに対する嫌悪感まで抱いてしまう。
ふと立ち止まり、金太は首を捩じって言葉を発した。
「君はどうかな? 醜くくて僕にぶちのめされる人間か、もっと醜くゴキブリのように逃げていく人間。どっちになりたいの?」
ほぼ90度という人間ではありえない程まがった金太の顔は、先ほどから一言も言葉を発していない赤川の方に向いていた。
「・・・・よくも伸治を」
赤川は眼鏡の奥に見える目を細め、あらん限りの恨みを込めて言葉を発する。だが彼も他の生徒たちと同じで動く事が出来なかった。
それこそ凄まじい勢いで壁にぶつけられた二藤部を助けに行く事すら出来ないほどにだ。
「なんだ。結局君も同じなんだね。つまんないの」
赤川の情けない様子を見た金太は興味を失ったのか、首を元に戻し学食へと足を進めるのだった。
既に赤川は金太の視界にすら入っていない、今ならば容易く攻撃を行えるだろう。
「動けよ、どうして動かないんだ僕の体は・・・・・・」
それでも赤川は動けなかった。既に彼の心は金太への恐怖で屈服してしまっているのだ。
「はっはっは。情けない、傑作だね」
つい先日まで学校内のカーストにおいて自分よりも遥かに格上の存在だった二人を、自分の手によって屈服させられているという事実。それが心底心地よく金太は笑った。
学食の直ぐ前まで近づいた金太はふと立ち止まった。扉のすぐ横の壁に逆さまに叩きつけられた状態で伸びている二藤部を見つけたのだ。
金太は残酷に笑う。
「良い事思いついた」
懐に潜ました小瓶の中には少女の毒が入れられている。本来ならば学食の食材に混ぜるためのものだが、少しくらいならば自由に使っても問題が無いだろう。
そう思った金太はこっそりと懐に手を入れて、中にひそましている小瓶に指を付き入れる。
「ああ、冷たくて気持ちいい」
僅かな湿り気を金太は指先に感じた。僅かな量とは言えしっかりと少女の毒は金太の指先に付着したのだ。
それを確認した金太は屈みこみすぐ傍で倒れている二藤部に手を伸ばす。
傍から見ればその光景は戦闘不能になっている二藤部に、容赦なく金太が止めを刺す光景にしか見えないだろう。中庭にいた多くの生徒たちが目を細める、顔を覆う目を反らすなどして金太の居る方向を直視する事を止めていた。
「止めろ、伸治に手を出すな!」
赤川は必死に叫んだ。だが行動を起こす事は出来なかった。それでは金太は止められない。
「止めてほしいのなら止めてみるんだね」
出来ない事を分かっていながら金太がそう言うのと、二藤部の口に金太の指が差し込まれるのは同時だった。
「「「「・・・・・・・・・・え?」」」」
一同の間抜けな声が中庭に木霊する。
「・・・・仕込み完了楽しみだね」
と同時に金太は二藤部から手を離し学食の扉を開いて中に入っていくのだった。
あまりにもあっけない想像していたよりは遥かに少ないどころか、暴力と呼べるのかすら微妙な金太の行動にそれを見ていた全員が緊張の糸が解れた様子で座り込んでしまう。
少なくともそれは金太という恐怖の元凶だった存在が、視界、からは見えなくなった事も大きく関係しているだろう。
「伸治、大丈夫か!?」
慌てて赤川は二藤部へと駆け寄っていくが依然として気絶している二藤部は何も答えられない。
「クソっ! 由美どころか伸治まで傷つけるだなんて、有田金太許さないぞ!」
金太に対する憎悪の炎を心の中で燃やしながら赤川は叫んだ。と同時に胸ポケットに入れていた派手な指輪を取り出しそれを強く握りしめるのだった。
「・・・・・・・・・・ええ、あいつの力は人間とは思えない。ひょっとすればイリーガルかもしれません・・・・・」
イリーガル、聞きなれない言葉を赤川は呟いていた。指輪はそれに答えるようにピカピカと鈍く美しい赤い光を放つのだった。
金太は当初の目的の通り学食内へと侵入することが出来ていた。あとは人の目を掻い潜り食材へと少女の毒を仕込むだけである。一見すればとても難しいように思える計画だが、人外の力を有している金太ならば容易い筈の作戦であった。
「・・・・・どうして、こうなるんだ・・・・」
頭を抱えて金太は言った。
この世の中何事も思い通りにいかないのが常とはいえ、こうまで何から何までアクシデントが起きてしまっては堪らない。
今回の場合二つ金太にとっての誤算があったのだ。
「ちょっとあんた! 外での声は聞こえていたよ! いったい何をしていたんだい!?」
「だいぶ暴れたみたいだけど、学食では暴れないでおくれよ!」
「大人しく買いたいものを買ったら出ていっておくれ!」
一つはつい先ほどまで学食の外で行われていた戦闘を、学食の従業員たちが認識していたという事だ。
金太の母とそれほど変わらぬ年頃の女ばかりで構成されている学食の職員たちは、皆一同に金太を警戒しており敵意に近い感情を有している事が容易く見て取れる。今の彼女たちは金太の一挙一動すら見逃さないだろう。
このような注目された状態ではさしもの金太とて誰にも気づかれずに毒を仕込む事は不可能である。
それに加えてもう一つ、大きな誤算が存在していた。
「あちゃ~。しまった・・・・・。売りきれてるよ」
学食の従業員たちの言葉の一切を無視して金太は頭を抱える。
高校生の食欲とはとんでもないものである、それこそ学食で販売されている食材が、昼休みの開始10分も経たずに売り切れてしまうほどにだ。だというのに金太はその最も食材が売れる時間に少女といちゃいちゃする事によって時間を消費してしまい、つい先ほども予想外の妨害を受ける事によって時間をロスしてしまったのだ。
金太が訪れた時には学食の食材がほぼ全て売り切れていたのは当然と言えるだろ。
「・・・・・・・考えが甘すぎたかな。また明日、今度は昼休みの前に仕込まないとね」
仕方なく金太は直ぐに次の計画を考え始めていた。 そもそも昼休みが始まって直ぐが一番の売れどきである学食に、昼休みに潜入して毒を仕込むのが間違いである。 それに気が付いた金太は次は昼休み前の休み時間か、授業中に抜け出して仕込もうと考えを纏めるのだった。
「ちょっと、どうしたんだいさっきからぶつぶつと。買わないのなら帰っておくれ」
従業員の中でも気の強そうな一人が急に考え事を初めて動かなくなった金太に声をかける。
依然として強い警戒心を持っている事は見て取れる彼女の言葉によって、金太は自分の世界から引き戻されてしまう。
「ああ、すいません。少し食べ足りないんです。何か残っている者があればくれませんか?」
とりあえずこの場を穏便に済ませるために、金太は一般的な生徒が学食において行うであろう行動をとった。学生が学食で食べ物を買うというのは当たり前のことであり何も違和感は無いだろう。金太は計関心をもろにぶつけられるのが嫌だったのか、勤めて穏やかな口調である。
「それならアイスがあるよ。ほら、そこの壁際の箱の中さ」
予想外に紳士的な物言いと穏やかな態度に、従業員は若干の警戒心を解いた様子で学食の隅に置かれている箱を指さした。
コンビニなどでよくみられる形をした冷蔵庫であり、その中には売れ残りと思われるアイスがたくさん入っている。
「どうも。ありがとうございます」
丁寧に謝礼を述べながら金太はその冷蔵庫に近づいていく。と同時に内心では黒い考えが浮かんでいた。
「・・・・・アイスだけでも、仕込もうかな」
手の中に毒の入った小瓶を隠しながら、金太は両腕を冷蔵庫の中に入れた。そしてワザとらしく言うのである。
「あれ~? 僕の好きなアイスが無いな~? どこ行ったのかな? 売り切れかな~?」
アイスクリームの山を物色しているように見せかけながら、密かに金太はビンの3分の1ほどの毒を冷蔵庫の中に入れ、それが全体に行き渡るように掻き混ぜていた。
もしも普通の人間が毒の付着したアイスに触れて、そのままの手で物を食べれば毒に犯されてしまうだろう。かなりえげつない行為だが金太は一切の罪悪感を感じてはいない。
「あったあった。これくださいなっと」
十分に毒が全体に回ったと思った金太は、適当なアイスを一つ手に取りワザとらしくレジへと向かっていく。
その顔はいたずらに成功した子供のようであり、どこか微笑ましくもあった。
「ほら、120円だよ」
従業員たちはそんな金太の表情を見て多少の警戒を解いたのか、先ほどよりは柔らかい態度でレジにアイスを通して金太に手渡した。
「ありがとうございます」
金太はそう言って金を支払い、アイスの袋を開けて喰らい始めた。丁度クッキーにアイスが挟まれている形のアイスであり食べやすい事が幸いしているのだ。
そんな金太の様子を従業員たちや、他に学食にいた生徒たちは若干警戒を解きつつもまだまだおどろおどろしい様子で見ている。
「あんまり喧嘩ばっかりしてちゃだめだよ。学生の本分は勉強なんだからね」
気の強そうな従業員はまるで母親が子に言い聞かせるような態度で金太に話しかける。
そんな従業員の態度はあまり金太が好きな態度ではないが、計画の一部を実行することが出来機嫌がよかった金太は特に不快感を感じることも無く話に答えていく。
「分かってますよ。僕もやりすぎたかなって後悔してますから」
心にもない事を言いつつ、金太はアイスにくらいついていく。アイスはどんどんと削り取られ、あっという間になくなってしまった。
「あんまり喧嘩ばかりしてたら、将来にも響くんだよ。ここの先生たちはそういうのには厳しいからね」
「ですよねー。本当にうざいです」
穏やかな口調ながらも、金太は毒を吐いていた。それと同時に金太の頭の中に再び黒い考えが浮かんでくる。
「そうだ、先ずは教師たちに毒を・・・・・・」
「どうしたんだい? またぶつぶつと言ってるけど?」
「いや、すいません癖なんですよ気にしないでください」
指摘された金太は慌てて取り繕い誤魔化した。今の計画を人に知られるのは非常にまずい事である。
何といっても金太は世間一般からすれば犯罪を通り越して、テロとすら呼ばれかねない行為をしようと考えているのだから。
だが幸にも人間の聴力しか有していない従業員は、金太が言っていた事を聞き取れていなかったようであり、警戒のレベルを下げながら金太と話を続けていく。
「変わった癖だね。今は良いけど直さないと将来苦労するよ」
「ははは、かもしれませんね」
適等に笑いつつ金太は背を向けて学食を立ち去ろうとし始める。
既に金太の中では学食の優先順位はとてつもなく低いものになってしまっていた。それは今できるだけの目的を果たしてしまったからであり、さらに大きな標的を見つけたからだ。
興味が無くなった場所にいつまでも居るなど、金太の性分ではない。そそくさと駆け足で学食の外へと飛び出していった。
「う~ん、なんだろうねあの子? 悪い子じゃないと思うんだけど、少し危ないというかずれてるのかしら?」
そんな金太の様子を見て、気の強そうな従業員はそう言っていた。
新たなる目標を見つけて学食の外へと飛び出していった金太だが、さっそく新たなる問題に直面した。
「有田、お前! 生徒指導室に来い!」
その声を皮切りに金太を取り囲んでいく教師たち。全員が屈強な肉体を持っており暑苦しい事この上ない。
「ちょっと何ですかいったい!? 僕が何かしましたか!?」
突然の暑苦しい集団に驚いた金太は慌てて尋ねるが、教師たちは有無を言わせずに金太を掴んで引きずろうとする。だが10人近い教師たちに引っ張られてなお、金太は微動だにしなかった。
「暑苦しいんですけど、離してくれませんか?」
金太の声は危険な声であった。中に黒い感情が浮かんできているのだ。このままでは数分後には教師たちの死屍累々の光景が広がっているだろう。
だがそれでも人数において勝っている教師たちは強気である。金太の言葉などまるで聞いてはいない
「話は聞いているぞ、さっきの喧嘩の件で話があるんだ!」
一人の教師は乱暴にそう言った。
「・・・・・・なるほどね~・・・・・」
それを聞いた金太は全てを理解すると同時に、抵抗するのを止めて連れ去られていった。
だがその獣以上に凶悪な瞳は、教師たちの影で嫌らしい顔を浮かべて笑っている5人組、赤川と青風、二藤部に加えて寡黙そうな見た目の男子生徒と、気の弱そうな女子生徒の姿を睨んでいた。
彼らは金太の標的となってしまったのである。