22
「だるい・・・・・」
忌々しい程にサンサンと照りつける太陽の元、金太は心底気だるげに呟いた。季節にはまだ早いはずの夏日によって、家から踏み出し僅かに進んだだけの金太のモチベーションは大きく下げられている。
「制服でしかも冬服なのが余計にきついね・・・・」
昨日までは浮浪者もかくやとばかりに酷い恰好をしていた金太だったが、今は黒く塗られた立派な学生服を身に纏っている。
学生服はそもそも陸軍の軍服を元に作られたものであり、立派なのは当たり前である。しかしその立派さが何よりも今は腹立しかった。
別に不登校などと称される部類の生徒ではない筈の金太の中で、帰りたいという気持ちが大きくなっていく。
「はあ、今更だけど帰りたくなったよ・・・・・」
だが金太に帰るという選択肢は無かった。今日自分は学校に行くと少女と約束しており、好意を寄せている者との約束を破る事も、それが原因で好意を寄せている者から嫌われるのも嫌だからだ。
一歩一歩、ゆっくりとだが確実に金太は高校への通学路を進んでいく。
「てか、化け物の僕がこの程度で暑さを感じるのとか変だよね・・・・・」
ふと気付いた疑問。と同時に金太の神経から熱い、という感覚そのものが抜け落ちてしまう。
なんて事は無い、暑かったのは金太の思い込みが原因だったのだ。
「おお、これならいけるぞ!」
暑さを感なくなった体はまるで別の生き物に生まれ変わったかのように良く動き、人間ではありえないほどの速さで道を駆けていく。
「・・・・・便利だな僕の体」
暑さを感じなくなった事と驚くほどに速く走れる事に喜びを感じつつも、改めて思い知らされる自分自身の人外ぶりに金太は若干の危険を感じていた。
「・・・・・高校とか行って大丈夫かな? 絶対暴走するよね・・・」
元々人間だったころから金太は高校になじむ事が出来ず、心の中では常に苛立ちが燻ってきていたのだ。それらは人間だからこそ持っている常識と、暴れたところで何も出来ないという虚無感で抑え込まれてきた。
残念なことに今の金太は違う。そもそも人間ではないし、暴れれば高校など容易く破壊させられるだけの力を持っている。
無論本人にはそこまでの事をするつもりは無いし、そもそもする覚悟も無い。だが感情が高ぶった時や不快感を感じさせられたときに何をしてしまうのか、金太にすら分からないし自分で自分を押さえられなくなる。2日前に当初の予定に反して親を殺しかけてしまった事から、それだけは分かっていた。
「まあ、ボスを信じるかな?」
希望があるとすれば少女の存在である。彼女は金太のために高校という詰らない場所を面白くすると言った。金太はそれを信じるだけである。
「暫く無心になろうかな」
そう思った金太は周囲の光景や一切の悩みに意識を向けずに、ただひたすら道を走る事にした。
「・・・・・着いちゃった」
ふと気が付くと視界に大きく映り込む校門。忌々しい高校の校門だ。そしてその前には忌々しくウザったい教師が立っている。
「有田! お前、昨日と一昨日と無断で学校を休んだな!? どういう事か説明してもらうぞ!」
声を荒げて叫ぶのはジャージに身を包んだ中年の男。高校に置いて生活指導の担当者であり、厳しい指導態度から生徒から嫌われている男だ。
「とりあえず反省文だ! 言い訳はそのあと聞く!」
無論金太も大嫌いである。具体的に言えば高々二日休んだ程度でこちらの言い分も聞かずに、ぐちぐちと乱暴に怒鳴りつけてくる所や、それを引っ張り続ける陰湿な所がだ。
「これは学校の方針だからな」
ついでに言えば二日休んだ事をさぞ大事であるかのように取り上げる、高校の不寛容さも大嫌いである。
「・・・・朝から目と耳が汚れたよ」
つい先ほど自分自身で釘を刺した筈なのに、もう金太の中には不快感から来る黒い感情が立ちこめていた。口から出た言葉はそれの端くれである。
「なに言ってるんだ、大人しく生徒指導室に・・・・・・」
言いかけた生活指導の教師の動きが止まる。
自覚が無いままに金太から発せられた殺気に当てられたのだ。化け物の殺気はそれだけで普通の人間を飲み込めてしまう。
「おはようございます」
そんな教師を内心で嘲笑いながら金太は何気ない顔で校門をくぐっていく。
「ああ、おはよう・・・・・・」
教師は心を失ったかのような声であいさつを返すことしかできなかった。
だがそれだけである。教師は特に肉体的苦痛を受ける事も、大きな恐怖を感じることも無かった。無様な教師の態度を見た事が幸いし、満足した金太はそれ以上何もせずに済んだのである。
生活指導の教師はある意味高校の救世主とも言える。
「今だけはあんたに感謝してやるよ」
吐き捨てるようにそう言って金太は校舎へと向かった。
「なんだ、あいつは・・・・・・・・」
「おいあれ、本当にあれ有田かよなんか変じゃないか?」
「怖すぎだろ・・・・・」
「つーか、ガチでびびったわよ」
金太が無自覚の内に発した殺気はその場にいた全ての人間を飲み込んでおり、彼らは暫く動けなくなっていた。だが動けるようになると同時に金太に対してあれこれと噂を立て始める。
「・・・・・・壊したいなー」
人外の聴力でそれが聞こえている金太は、誰にも聞きとられない小さな声でそう言った。
「おっといけない。気を付けないとね・・・・」
と同時に自分が口にした事の危うさに気づいて慌てて口を塞ぐ。
そして気分転換とばかりに今自分が歩いている校舎へと関心を向ける事にする。まだ早い時間だというのに、校舎の中では少なくない生徒たちがおり、そんな彼らの自分を見た時の反応が気になったのだ。
「さ~て、二日ぶりの金太さんを見た皆の反応はと・・・・」
若干の期待を抱きつつ金太は耳に神経を集中させる。だが聞こえてくるのは金太にとって関心の湧かないどうでもいい事ばかりであり、金太に関する事は何もなかった。
「はっはっは。まあそうだよね」
高校に入って以来あまり人とかかわろうとせず常に一定の距離感を保ってきた金太が、無断で2日休んだ程度では話題になる訳もない。
それ自体は予想出来ていた事なので何も感じない。
むしろ自分自身に変な噂が立っておらず話題になっていない事に安心感まで感じている。
「そうだ心配はいらない。何時もどおり普通に過ごせばいいんだ」
故に金太は何時もどおりこれまで通りの学校生活を心がける事にした。
「とりあえず、早く来たから始まるまで寝ようかな?」
これも金太にとっては何時もどおりの日常である。
「はぁぁ・・・・。良く寝た。もう直ぐ始まるね」
教室に入ってから席に着いた金太は、特に誰と話すでもなく本格的に学校が始まるまでの時間を眠って過ごす事にした。
一見意味も無く時間を消費しているだけのようだが、眠る事によって一切の情報を遮断し、自分が暴走する可能性を少しでも下げられると思っている。
「だるいけど今日も頑張りますか・・・・」
始業時間を告げるチャイムがなると同時に欠伸を一つ。それも金太にとっては何時もの事である。既に金太の中では何時もどおりの学校生活が送れるように設定しなおされているのである。
「はーい、今日も授業を始めるわよ~」
チャイムが鳴ってから数分遅れて入ってくる中年女教師、やる気が無く如何にも職業で教師していますといった見た目だが、そこまで煩くないのでむしろありがたい程である。
彼女の必要な事だけを伝えるだけのホームルームを終えて、退屈なだけの授業に耳を傾ける。そしてそれが終わると直ぐに家に帰る。それこそが金太が確立した生活スタイルであった。
だがその生活スタイルは突然の鶴の一声によって破壊されてしまう事となる。
「え~、今日は転校生を紹介します」
転校生、漫画やアニメでは良く耳にし登場するが現実の生活では殆ど目にすることも、耳にすることも無いその言葉にクラスがざわめき立つ。
「先生、その子は女子ですか?」
「イケメンですか?」
「かわいいですか?」
「大人しい感じですか?」
クラス内の噂好きや騒がしい生徒たちは、男女を問わずして思い思いの疑問を尋ねている。
その騒がしい光景が金太は嫌いである。
「・・・・・・転校生って・・・・・まさか」
だがそんな騒がしさなど気にもならない事、具体的に言えば転校生の正体についての心当たりが金太にはあった。
無論何ら根拠のない思い込みではあるが、あまりにも良すぎるタイミングがその思い込みを確信に近いものに至らせている。
「静かに! うるさいのは嫌いよ!」
騒ぎ出したクラスを沈めるべく、女教師は一括。そしてクラスが鎮まったのを確認して転校生を呼んだ。
「良いわよ入ってきなさい」
教室の前方黒板の近くに設置されている扉が開く。そしてその転校生は静々と、どこかの令嬢のように優雅な足取りで教室内へと入ってくる。
「・・・・きれい・・・・」
それは誰の言葉だったのだろうか。無意識の内にそう言わせる程にその転校生は浮くしかった。
雪のように白くシミ一つも無い肌に、上質の絹のようにさらさらとした長い黒髪。目はぱっちりとして愛らしく、かつ大人びた様も兼ね備えている。鼻を含めた顔のラインも、クラスの女子達など比較にならぬほど上品で人形の様である。
「ふふふ、ありがとう」
まるで物語の世界から現れたかのごとく美しい少女が発したその言葉に、クラスは呑まれてしまう。
教師を含めた誰も言葉を発せずにただ歩くという少女の行動に魅せられている。
「やっぱり綺麗だな、ボス・・・・・」
そしてそれは金太も例外でなかった。色々とあるツッコミ所よりも少女の美しさに見とれているのだ。
「あ、その、お前は・・・・」
「焦らないで、今書きますわ」
何時もの少女とは違う感情のこもった顔と言葉。しかし金太にはどこか演技じみて見えるそれを使いながら、教卓の前に立った少女は女教師からチョークを受け取る。
「胸でか・・・・」
「腰細・・・・」
「太股がエロすぎる」
そんな僅かな動作でもクラスメイト達が思い思いの感想を述べてしまうほどに、少女は顔だけでなく体も完ぺきであった。
胸は制服の上からでも膨らんでいる事がはっきりと分かる程に大きく、息をするだけで動いてしまうほどである。それに反して腰は細くまるでモデルのよう、あるいはそれ以上である。またその太股には男のロマンが詰っていると断言できるだろう。
「私のお名前は・・・・・」
少女は流れるような指づかいで美しい文字を黒板に書いた。
有田紀美子、と
「「「「えっ?」」」」
全員が惚けた声を出す。と同時に空気が固まった。
既に何人かの男子が金太を睨んでいるが今はまだ偶然のレベルである。
「初めまして皆様。南方紀美子改め、有田紀美子と申します。婚約者たる有田金太共々、どうかよろしくお願いいたしますわね」
見る人が見れば直ぐに演技だと分かる様な表情と声で、少女はとんでもない爆弾発言をしてしまった。
「えと、ボス・・・・・・?」
金太は冷や汗を流している。
今朝は殺気によって教師や多くの生徒達を圧倒した筈の金太が今はクラスの生徒たち、男女を問わないそれの発する凄まじい殺気によって呑まれているのだ。
だがそんな彼の様子などまるで知った事ではないとばかりに、少女は金太へと近づいていく。
「もう、紀美子って呼んでって言ってるでしょ? 金太」
指を口に当てウィンクをしながら発せられる言葉は、これまで金太が聞いたどれよりも甘く、美しく、聞くだけで蕩けてしまいそうな程である。
しかし、そんな感傷に浸っている暇など直後に響いた怒号によって打ち消されてしまった。
「「「「「有田ぁぁぁぁああああああああ!!!!」」」」」
クラスのほぼすべての生徒が発する怒号。それには嫉妬や怒りその他もろもろ考えうる全ての黒い感情が込められていた。
少女が金太の目の前から離れたその瞬間に、全てのクラスメイトが襲いかかってくるように、感じられてしまうほどだ。
「うるさいですわね。静かにしてくれます? 私は金太と話したいの」
「ええっと、きっ、紀美子?」
とりあえず言われた通りの呼び方をしながら恐る恐る金太は尋ねる。唯でさえブラックリスト乗り確実なのに、これ以上の爆弾発言をされては敵わないのだ。
だが金太は知っている。この少女はその程度では止まらない事をだ。
「何金太? 私たちの熱い肉体同士の貫き合いを思い出していたの?」
「ちょ! 何言ってるんですか貴方は!?」
さらなる爆弾発言。確かに肉体で肉体を貫き合ったがそれは一般的な意味とは大きく異なる行為だ。
具体的には貫く場所と、貫く側と貫かれる側の雌雄の逆などである。少女は分かっていて誤解されるような言い方をしているのだから、達が悪い事この上ない。
「「「「「「殺す!!!」」」」」」
当然だがクラスメイト達は本当はどんな事をしていたのか知らないので、金太へと向ける殺気をさらに強めていく。
「えっとですね、これは・・・・・その・・・・・」
それに比例して金太も流す冷や汗が増えていっている。
だがそんなクラスメイトや金太の様子など、少女は知った事ではない。ムッチリとした太股を金太の隣の席に座っている男子の目の前に晒し、耳元で囁くのだ。
「代わってくれませんか? 私は金太のとなりがいいんですの」
まるで魅了の呪文でも込められたかのような声に、男子生徒は首を縦に振っていた。
「はい・・・・・・・」
そして席を立ち、教室の端に数合わせとして置かれていた空席へと移動してく。男子生徒の顔は幸せである事この上ないと言った様子だ。
「ありだとう」
少女はそんな男子生徒を尻目に、金太の隣の席に座る。
直後、クラスメイト達の感情が爆発し、クラスは怒号と悲鳴に包まれる事となる。
「畜生! どうして有田なんだ! あんなボーっとして何考えてるのかわからないやつが」
「つーか絶対男女のレベルが釣り合ってないよね~」
「まじまじ、有田君も悪くないけどさすがにレベルが違いすぎるわ」
「いいな、俺もあんな婚約者欲しい」
「これはひょっとして夢じゃないのか? ここはリアルの学校だぞ」
「てかギャルゲーのやりすぎじゃね?」
などと感想は様々だが、全員が金太を敵視している事には変わらない。
こうして金太の学校生活は退屈なそれから酷く面倒で騒がしく、刺激が多いそれへと変わっていくのであった。
「言ったでしょ。私が面白くするって」
少女はとてもいい笑顔で金太にそう告げる。その笑顔は作り物ではないと、何となくだが金太にはわかった。
「はい、そうですね」
金太は一言返事をするが、内心ではクラスを敵に回した事以上に少女と同じ学校生活を送れる事を喜んでいる。
「はいはい、黙りなさい。ホームルームを終わるわよ」
女教師はそう言って少女の勝手な席代えを一切咎めずに教室を後にするのだった。
「そういやボス、どう考えても年上に・・・・・・」
「レディーにそれは禁句よ」
言いかけた金太の頭脳に、人外の力の限りを込めた拳が振り下ろされるのだった。