ただ君だけの幸せを……
《一日目》
私は今日、いわゆる異世界トリップというやつをしたらしい。私だけじゃなくて、あの子も一緒だ。
まるでRPGに出てきそうな、ひなびた村にトリップした。服装とかは、ちょっと西洋っぽい。
知っている人も、ものも、何もないこの世界はとても不安だけど、私にはあの子がいるし、この世界の人達は私を優しく出迎えてくれた。だから、寂しくはない。
《二日目》
この世界の人々はすごく優しい。まるで私達が女神にでもなったような感じ。今日は「何もないと困るだろう」って言って、小さな小屋と、生活用具一式と、その他必要なものをなんでもくれた。また困ったらいつでも言ってくれって。
私とあの子は、二人で暮らすことになった。
修学旅行みたいで、すごく楽しい。
《五日目》
土地をもらったので、小屋の近くで小さな菜園を始めた。
貰い物の野菜の苗を、二列に分けて植えただけの小さな菜園だけど、自分で作ったからすごく楽しかった。午後には村の人にお願いして、初めて馬に乗せてもらった。
最初は予想よりも高くて怖かったけど、慣れてくると楽しい。こんなところで馬に乗れるなんて思わなかった!また乗せて欲しいと頼んだら、新しい馬をもらえることになった。村の人達、すっごく優しい!
《十二日目》
ここ最近、寝るのがちょっと怖い。
寝たら何かが終わってしまう気がして、夜は貸してもらった本を読んで過ごしている。
昼間眠くなりそうだけど、実際にはあまり眠くならない。なんでだろう。
《十三日目》
新しい馬が来た!
真っ白な馬と、真っ黒な馬。どっちも毛並みがツヤツヤで、ものすごい美人さん。村一番の名馬、なんだって。
私は黒が好きだから、黒い馬をもらった。あの子は白い馬。ピカピカの馬具ももらって、今日はその付け方を習いながら過ごした。一日中考えて、私の馬には『真夜』という名前をつけた。あの子は自分の馬に『小雪』という名前をつけたらしい。ユキちゃんユキちゃん、と楽しそうに呼んでいた。せっかくヨーロッパちっくな世界なんだから横文字の名前をつければいいのかもしれないけど、やっぱり、漢字の方がしっくりする。
これからは二人と二匹の生活。すごく楽しくなりそう。
◇◆◇◆◇
窓から差し込む月明かりだけを頼りに、青年は表紙の擦り切れたノートを軽く指でなぞり、ゆっくりとめくった。幸い今日は満月。やや薄暗くはあるが、文字を追えないほどではない。
ノートには細かい字で、びっしりと日記が綴られていた。書き手の性格を表すような丸みを帯びた優しい女性の字だ。そこに振られた日数は飛び飛びではあるものの、ほぼ等間隔で並んでいた。
青年は、ページをめくる。それを託した少女を思い出しながら。
◇◆◇◆◇
《五十六日目》
重大なことに気づいてしまった。
トリップするときに何があったのか、私はさっぱりと覚えていない。
その日のことを、全く、思い出せない。
いつの間に忘れたのだろう。この日記を書き始めた時には覚えていたのだろうか。
あの子にも聞いてみたけれど、あの子はこの世界をすっかり気に入って、もう元の世界に帰る気はないらしい。思い出して、と私が言っても、するすると話を変えてしまう。
夕方真夜と一緒に遠乗りに出かけたけれど、モヤモヤとした気持ちが消えなかった。
この違和感は、何なんだろう。
《六十一日目》
小雪が誤って村の子供に怪我を負わせてしまった。
地面に倒れた子供は明らかにひどい怪我だったにもかかわらず、完全にあの子の不注意だったにもかかわらず、村人は、あの子をかばおうとした。
結果的に、あの子が祈ると、子供の怪我は治った。なので何もなかったように、一日が終わった。
今日の一件で、気づいたことがある。
この世界は、あまりにも私達に優しい。優しすぎる。
ずっと私が引っかかっていたのは、それだったんだ。
でも、なんでこの世界はこんなにも、私達に都合良くできているんだろう?
◇◆◇◆◇
「勇者サマ、でスね?」
やや耳障りな発音の女の声に、青年はノートをめくる手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
宿の部屋の奥、外に面する窓の外に、人の形をした者がいた。頭部に首、肩から垂れ下がる二本の腕に、大地を踏みしめる二本の足。もっとも、それ以外は到底人と呼べるものではなかったが、このような外見的特徴を持つ生物を、青年はほかに知らなかった。たとえ鼻が顎の先につき、口が頭頂部に、耳が手のひらに、二つの目が肩と喉に一つづつあろうとも、人に似た者、以外の形容を彼は知らない。
「そうだよ」
青年が抑揚のない声で返事をすれば、その人に似た者は、口に似た器官をにやりと弧の形にする。
「ならバ死ネ」
窓ガラスの割れる音。ほぼ同時にかすかな鞘走りの音が響き、一拍の後、劈くような断末魔が響いた。それを聞き流しながら、青年は剣をしまう。
ちらり、と青年は部屋の外に意識を向けたが、さっきの断末魔に対し何らかの反応を示そうとする人々の気配は感じられなかった。既に人の形すら失った肉塊を窓の外に放り投げ、手近な布で汚れた手と床を吹く。最後に窓の外を覗けば、汚い生ゴミを避けて何もなかったかのように進んでいく人の流れが見えた。
「相変わらず、この世界は無関心だ」
青年は小さくため息をつき、再びノートに手をかけた。
数年前、この世界に邪神がやってきた。
邪神はたくさんの不幸を撒き散らし、たくさんの人々を殺した。人々は女神に助けを請い、女神は邪神に語りかけた。しかし、邪神は女神の言葉に耳を貸さなかった。
たくさんの血が流れ、たくさんの屍が生まれた。そんなとき、一人の青年が、邪神を倒すために旅に出た。
人々はいくつかの意味を含めながら、少年を『勇者』と呼んだ。
青年は強かった。いや、強くなった。邪神へ向かう青年の旅路を邪魔する者は少なくはなかったが、青年は強靭な意志と類まれなる剣の才を生かし、ゆっくりと、ゆっくりと、邪神の元へと向かっていた。
あと数日で、邪神の住む場所へと辿り着く。
青年の旅は、もう既に佳境であった。
◇◆◇◆◇
《七十三日目》
思い出した。
思い出して、しまった。
私に何があったのか。あの子が隠したかったそれを、思い出してしまった。
この世界は、正直私の知識では説明し難い。この分野については本当に、聞きかじり程度の知識しかないし、それについてさらに詳しい知識を得る方法もない。私は私の勘とうろ覚えの知識で、できるだけ早急に、この問題に答えを出さなければならない。
私は、もう死んでいる。
そして私は、あの子の犠牲の元に、この不完全な世界に繋ぎ止められている。
《七十九日目》
どうして。どうして!
私の理論は間違っていないはず。推測を裏付けるものはいくつも見つかった。あの子が犠牲にしているものもわかった。時間がないのに、何故成功しない?
理由はわかってる。あの子が望んでないからだ。この世界は私とあの子の意志に忠実だから。私のためらいと、あの子の強い意志。それに対抗できるほど、私の意志は強くない。
私じゃダメだ。私一人では何もできない。けれど時間もない。
私は、どうしたらあの子を救えるの?
《八十日目》
私は、一つの奇跡に賭けることにした。
この世界は、私とあの子のもの。でもこの世界は均一にあの子と私の影響を受けているわけじゃない。あの子の影響をほとんど受けない者、かつ、私の意思を受け継ぐ者……そんな人間が、この世界にいるかどうか、私は非常に不安だけれど。私は、そんな人間に、希望を託す。
お願い。お願い。このノートを受け取った人。貴方に、私の願いを託します。
願わくば、貴方が真実に耐えうることを。
どうか、私を×してください。
そして、貴方の手で、×を×してください。
それがどれだけ残酷な願いだとしても、私は、それを叶えなければ……
◇◆◇◆◇
すべての音を吸い尽くしたような、静寂に包まれた石造りの大広間。かつては美しく活気があったであろうそこは、壁が崩れ、絨毯は腐り苔に覆われ、かつての栄華は見る影もない。
そもそも、その栄華さえ存在していたのかは怪しい。
風化した、かつて玉座であっただろう凹凸に腰掛けた少女は、折り曲げた両足を座面に引き上げ、ぎゅっと抱きかかえる。袖口から覗く華奢な手首には、痛々しい赤い線が何本も走っていた。
細く小柄な体躯に似合わぬ厚手の黒い生地に金のラインが入ったコートを羽織り、その下には柔らかい生地のハイネックのインナー。太股半ばまでしかない短パンに、膝上までの黒いブーツを合わせている。やや癖のある黒髪は肩元でバッサリと切り落としている。陰鬱な影の落ちた顔は凹凸の少ないややのっぺりとした顔立ちで、しかし、これといった欠点が上がらない程度には整っていた。睫毛の縁取りの奥に潜む黒曜の瞳は、今は暗く濁り、虚ろに虚空を映す。
不意に、バサリ、という音がした。音につられて、少女は目だけを動かす。
「主様、客人でございます」
壊れた屋根の隙間から部屋に入ってきた、艶やかな漆黒の羽を背中に生やした妙齢の女は、少女の前に跪いた。それと同時に女が引きずっていた肉塊が、地面に押し付けられてぐちゃり、と音を立てた。
「誰?」
「勇者様が。追ってを引き連れていらっしゃいましたので、僭越ながら、私の仲間が援護に回っております」
勇者、という言葉を聞いた瞬間、少女の瞳にさっと光が差し込んだ。ずっと固まっていた体をぎこちなく動かしながら、少女は立ち上がる。
「何処?連れてきて。……あぁ、まだ世界は私達を見捨ててはいなかった……!」
「は。只今……」
飛び立とうとした女を制したのは、カツン、カツン、と石造りの床を叩く硬質な足音だった。
やがて足音と共に、今にも崩れそうな大広間の入口から、一人の青年が入ってきた。ボロボロであちこちがほつれ、破け、シミのできたマントが、彼の動きに合わせて翻る。袖が破けむき出しになったたくましい腕は、赤黒い液体でべっとりと濡れたボロボロの剣を握りしめていた。ざんばらな茶色の髪。よく日に焼けた精悍な顔立ち。そしてなによりも強い輝きを持つ、鳶色の瞳。
青年は、少女を仰ぎ見た。それから血濡れの剣を地面に放り投げ、地面に片膝をつく。
「お待たせ致しました。あんたの願い、俺が叶えに来たよ。―――邪神様?」
にやり、と青年は口の端を曲げ、少女を見上げる。少女は、泣きそうな、嬉しそうな悲しそうな顔をして、その場に座り込んだ。
「……貴方が来るのを、私はずっと、ずっと待ってたの。うん、そう。ずっと。……苦しかった。壊れてしまいそうだった。一日ごと、いや一秒ごとに、私は別の答えを叫びそうだった。貴方を呼ぼうとしたことは間違いかもしれないと何度思ったかな。貴方が来てくれないかもしれないとも思った。私の託したものは、あまりにも重いから。でも貴方は、来てくれた。貴方は、私の意志を継ぐ者。ありがとう。ここまで来てくれて本当に、ありがとう!貴方は本当に勇気のある者だ。真性の勇者。貴方は、この世界を……この世界の為に多大な犠牲を払ったあの子を、必ずや救うことになるでしょう!」
◇◆◇◆◇
この世界を言葉で表すならば、精神世界とか、内面世界とか、もしくはパラレルワールドとか、そう言った言葉がふさわしいかもしれない。この世界は、私とあの子が作った。仕組みは知らない。けれど多分、私たちが作ってしまった。
私は、死んだ。交通事故だった。あの子と別れたたった五秒後。まだあの子の視界から外れる前に、私の体は大型トラックに吹き飛ばされた。
私はまだ死にたくなくて、泣き虫なあの子と別れるなんて、信じられなくて。その別れは「また明日」なんてほんの些細なものじゃなくて、生者と死者を分かつ永遠の別れで、私はそれを、認めたくなかった。
あの子も、多分私と同じ気持ちだった。だから気がついたとき、私達はこの世界にいた。
この世界は、多分あの世とこの世の間にある。変えることのできない真実から逃れたかった私とあの子が、この夢のような世界を作り出した。
この世界が私とあの子に優しいのは、この世界を作った者が私達だから。つまり、私達はこの世界の神だから。
この世界は、夢みたいに幸せで、快適だった。僅かな違和感にさえ目をつぶってしまえば、永遠にこの世界で生きることも苦にはならないだろう。
でも、私はもう一つ、気づいてしまった。
あの子は、生きているのだ。
もはや未来など存在しない私とは違って、あの子には、明日があるのだ。閉ざされてただ同じ光景を繰り返すことしかできないこの世界とは違う、色鮮やかな世界に居場所があるのだ。
この世界で、二人で生きること。それは、あの子の未来を犠牲にするということだった。
元の世界で、あの子は一体どうなっているのだろう。意識不明?植物人間状態?それとも本体ごとこの世界に迷い込んで、行方不明?どれにせよこれ以上長引いて彼女に良いことなどない。
幸せな夢は見たかった。でもそれ以上に、私はあの子に生きていて欲しかった。
だって、嫌だ。大切な親友の未来を私の手で奪うことになるなんて、嫌だ。自分のなけなしの良心がそれを許さない。
だから私は、この夢を壊すことにした。
本当は、私がこの世界で死ぬだけで終わるはずだった。
この世界を創り上げているのは私とあの子の意思で、そのどちらかが欠ければ、この不安定な世界は霧散するはずだった。
けれど、私が思っていた以上に、私達の中に眠る願望―――夢を見続けたいという思いは、強かった。
何度この身を傷つけても、私は死ねなかった。やがて私の自殺を阻止しようと、あの子の作った異形の生物が私を止めに来た。私は自らの命令を(私を殺せという命令以外)忠実に聞く、翼を持った部下達を作り出し、あの子から逃れるようにこの廃墟へとやってきた。
幸せな夢に浸って、この正気を保てなくなるのが怖かった。
正気を保てなくなって、欲望のままに、彼女をこの世界に取り込んでしまうのが怖かった。
私は、私を殺せる者を探した。
この世界から憎まれれば、私を殺そうとする者は現れるだろうか。私は心を無にしてたくさんの人間を殺した。人々は私を憎んだが、私を殺そうとする者にあの子は「私が死ねば世界が壊れる」ことを伝え、私を殺せないようにしてしまった。失敗だった。
他にもいくつかの方法で恨みを買い、殺したくなるように仕組んだが、どれも失敗だった。―――真実を知った以上、私を殺そうと思う人間はいなかった。誰も殺してくれなかった。
あの子が最初の頃まとっていた生者の輝きは、日を重ねるごとに弱々しくなっていった。あの子は気づいていないけれど、彼女は死にかけていた。それを伝えても、彼女はこの世界を手放そうとはしなかった。死んでもいいから、この世界に居たいと言った。
私は、本当に勇気のある者を探した。
彼らの尊敬する女神の為に、世界すら滅ぼせる者を。
この世界の人間は誰も彼も無味乾燥としていて、強い意志を持つ者など、滅多にいなかった。それでも私は探して探して、そして私の元へと、導いた。
それが彼。強い意志を持つ者。勇者と呼ばれる者。
◇◆◇◆◇
肩を支えてくれる青年を、少女はひどく不思議な気分で見ていた。まるで他人ではないような。しばらく考えて、あぁ、と彼女は納得する。きっと青年は、少女の中の強い願いの塊なのだろう。元々同一なのだ。この世界が少女と同一で、少女達に親しみを感じさせるのと同じで。
いつの間にか、少女の従者である黒翼の女は姿を消していた。その代わり、もう一人の客人が、少女と青年を睨みつけていた。
「……女神」
青年は複雑そうな顔で女神と腕の中の少女を見やった。女神は眉を八の字に曲げて、搾り出すような声で呟く。
「なんで……?なんで、また死のうとするの?この世界にいれば、ずっと一緒だよ?この世界にいるの、あなたも嫌じゃないんでしょ?」
「うん。……でも、ダメだから」
どうして?とまた縋り付くような声が響く。
あの子は末っ子気質で、わがままで甘えん坊だった。少女はあの子の姉貴分で、いつも彼女がくっついてくることを許容し、それを気に入っていた。
けれど、それもここで終わり。
少女がちらり、と視線を上げれば、青年は小さく「いいのか?」と問い返した。その手には、いつの間にかボロボロの剣がしっかりと収まっていた。
死は、怖い。
それは、意志だけでそう易々と受け入れられるものではない。全ての生き物が本能的に怯え、避けようとするもの。
(それでも、貴方に幸せになって欲しいから)
少女は小さく頷いた。視線の先で、女神がハッと目を見開くのが見えた。
「嫌だ……、やだ、やめて!殺さないで!」
「ありがとう、勇気ある者。そして、さよなら」
胸に鋭い痛みが走って、溢れ出した涙で視界が霞んだ。最後に、私はちゃんとうまく笑えただろうか。少女は悩みながらも、それでも懸命に笑みを作る。
少女は、愛する者の為に多くの人間を殺めた。
少女は、愛する者の為に青年を罪人にした。
少女は、愛する物の為に世界を壊した。
少女は、愛する者の為に死を選んだ。
ただ、あの子だけの幸せを願って。
意味不明小説。もやもやーっとしたアイディアを文章にする難しさを理解させられた作品です。
結局多分救いがない。
話が理解できなかったとしたら、それは四十八九私の文章力がカスなせいです。ごめんなさい。