わたしの名前はエリザベートです、と彼女は言った その1
甲板にでると、静かなに揺れる水面が見えた。
船の縁に着いてみると陽光に煌く海上と青空が見えた。
自然の美しさに、神がこの旅を祝福している…「ゲェボ、ゲェボ、ゲェー」いるはずなんだけどなぁ。
おいおい、大丈夫かよ。と船員が背中をさすってくれる。
船酔いしたのだろう、頭痛と吐き気に襲われたわたしは、青ざめた顔を見かねた船員に甲板へと連れて行かれた。
そして、船の縁で海に向かって今朝の食事と胃液のミックスソースをぶちまけたのである。
「すっきりしたか?」
「うぅ、だ、だいぶらくには…」
吐いたおかげか、口の中の不快感以外は多少うすれてきた。
「おう、なら船室に戻れるか?」
船員が船室まで連れって行ってくれそうだが、いま船室に戻ってもすぐに酔ってしまうだろう。
「も、もうちょっとだけ、かぜにあたらせてください」
「ああ、わかった。俺は仕事に戻るが。落ちないように気をつけろよ」
「はい、忙しい中ありがとうございます」
いいってことよ。と言って船員は去っていった。
わたしは、それを見送りふぅ、と息をついた。
「何年ぶりになるのかしら」
この船は日本に向かっている。しかし、わたしが知っている日本ではないが…。
「ジパングまであと、どれくらいなのかしら」
黄金の国ジパング、16世紀における日本の西洋諸国に知られた名。
その名を聞いた時わたしは考えた。この世界とあちらの世界にはやはり何らかの関わりがあるのでは?と。
その考えの発端はわたしの意識が誕生してから二日目くらいの出来事だった。
自由の利かない手足と、小さな身体に押し込められたわたしは現状の把握すらままならなかった。自身に起きた出来事を推測できても受け入れられなかったのだ。
父と思しき男が近づけば慄き泣き叫ぶし、母と思しき女が乳房を吸わせようとすれば必死に拒絶した。
もちろん、赤ん坊のわたしがそんなことをしたら衰弱するのは当たり前である。その日は意識を失った。
次の日の朝、早くに両親に抱えられて十字架を掲げた建物へと連れて行かれた。
そして、黒服を着た男に父が頼み込むと、男は水を張ったお盆を持ってきた。
わたしは、お盆の水が尊いものに感じ黙っていた。
母がわたしを抱えながら男に近づいていく。
男が何かを唱えながらお盆の水を手に取り、わたしの頭へかけた時。わたしは全てを受け入れた。
考えてみれば、何もかもが納得できることであった。
折れた枝に貫かれたわたしは、あの時に死んでいて。
ただ単純に生まれ変わっただけなのに、無意識に駄々をこねていたのだ。
頭の中が啓けたように、考えが浮かぶ。
十字架の建物は教会。
それじゃあ、わたしが今受けたのは…洗礼。
赤ん坊のわたしにそれをしたってことは、正式に名付けられたのか。
キリスト教における原罪、それは生まれながらにして負うものそれを払うために洗礼は行われる。
洗礼は原罪の無い存在への生まれなおしの儀でもある。
それを行われたわたしは、このとき正式にこの世界の一員になれたといえる。
なるほどとこのときは納得したが、思考の片隅には、のどに何かが詰まっているようなしこりを残していた。
時が過ぎて、出歩けるようになると道路地裏に汚物が撒き散らされているのを見かけたり、頭上から怒鳴り声と共に汚物が撒きちらかされたりした。
町に書かれている文字はアルファベットのようだが、『不思議と会話に不便はしなかった』。
文字を覚えるべく教会のミサにできる限り参加してみた。こちらにも『神の子による教えを記した聖書』が存在したことで、思考が回った。
ここはもしかしたら、過去の世界なのでは?
しかし、確証は持てない。更なる知識の収集のため。より意欲的に行動を始めた。
聖書の写本を砂版で行いながら文字の練習をしていくと、やはり単語が英語に近いと感じる。
やはりそうなのだろうか?
想像が確信に変わり始めた。そんなある日、黒服の男ーやはり神父であったので以降、神父とすーからこんな提案をされた。
君に神の御技を見せてあげよう。
そう言って神父は身の丈ほどある杖を持って、わたしを小さな底の浅い川に連れて行った。
これから見せるものは、信徒の中でも熱心なものにしかできない。
そう言って神父は杖の先を地面に引きずりながら、川に向かって歩いていく。
杖は地面の土に跡を残しながら神父とともに進んでいく。
君は若いのに熱心だからいつかはたどり着けると思ってね。
あと一歩でも進めば川に入りそうなところで、神父は立ち止まりわたしに振り返る。
奇跡をおこそう。
神父が進む、杖がそれに続く、そして…川が杖の跡で割れていく。
『まるで水の流れを見えない壁に阻まれるように』
魔法や奇跡と呼べる出来事に目を見開く、あちらの世界では起こりえない出来事を目の当たりにした。
驚いてくれたかな。
神父の言葉に頷く。こんな出来事を見せられて驚かないでいられる者などそうはいないだろ。
わたしが、この世界が異世界だと思った出来事だ。
異世界だと確信する事になった出来事は、とある出会いであった。
いつものように教会で聖書の写生をしているとまた、神父によばれた。
会いたいと言っている人がいるから来てくれるかな?
面倒だが断る理由も無いのでハイ、と答えた。
神父はわたしを連れて教会の離れにある客室へと向かう。
道すがら、わたしをどんな人に会わせるのか、問うと。
気さくで信徒の中でも一際意外なシスター、と言われ会う前から不安が募る。
神父が客室のドアを四度叩いてから開ける。中には調度品を見ているのか後ろを向いている『尻尾のついたシスター』がいた。
連れてきましたよ、シスター・フォロシー。
その言葉に振り向いたシスターの貌をわたしは直視してしまった。
彼女の顔、それはイヌの貌であった。
イヌ耳なんて甘え。そんな言葉が浮かんでわたしは意識を失った。
その後、目覚めたわたしは、フォロシーに謝罪しこの世界の常識である『他人類』の存在を知ることとなった。
他人類、その呼称も信徒の間だけであるが『毛無し族』以外の人類の総称で、『毛無し族』以外の人類は動物的な特徴を受け継いでいるため、生息域を広げる工夫を行っていないため他国では中々見かけないらしい。
そのせいで、わたしはその時まで彼らの存在に気づけなかった。
『聖書』にも記述はあったのだが、比喩表現だと思ってあまり気にしてませんでした。
この世界が異世界であることが確定した以上、こちらで出きる事をしようと決意を固めた日でもある。
フォロシーと友誼を結び。神父に本格的にシスターを目指さないかと勧められたわたしは、見習いとして教会で働くことになった。
洗礼による過去の流しと、名付けによる現在への定着による効果で、彼女は保たれた。




