隙だらけの彼女と隙のない攻防戦
僕には好きな人がいる。
それは同じ職場の、高ノ上葛葉さん。
一見はストレートの長い黒髪がきれいな清楚系お姉さんで、仕事出来ますってきびきびした印象がある。
しかし、実際は笑顔が印象的で世間話が好きなおっとりとした女性だ。
実際の彼女を知ってしまえば周りにぽわぽわと花が浮いているように見えるぐらい温厚な性格である。
能天気、と言ってしまえば聞こえは悪いが、仕事はしっかりやる人だ。
誰の足も引っ張らず、気も遣えて誰でも楽しそうに話す彼女は職場の癒しである。
さて、そんな彼女だが、恋愛に関する話題は一切聞かない。
美人だから恋人がいるだろうと思っていたが、彼女はその手の話しに疎いらしい。
飲み会でそんな話をしていたのを盗み聞きしたのだ。
その時は同期の伊藤が彼女の隣に座って、ビールを飲みながら恋話をしていた。
「葛葉ちゃんってさぁ~、恋愛とかしてないの?」
伊藤はビールを片手に、顔を赤く染めながらゲヘゲヘと笑っていた。心なしか、高ノ上さんを見る目がいやらしい気がする。
一応言っておくが伊藤は女である。
高ノ上さんはおつまみのから揚げを頬張りながら、困ったように眉尻を下げた。
「いや~、私は恋愛事はさっぱりで。一度も告白されたことも、したこともないんですよ」
その言葉に、僕は心の中でガッツポーズをした。
対して、伊藤はますます顔がにやけた。
「んじゃあさぁ、この中から彼氏にするとしたら誰?」
「え」
完全に戸惑った高ノ上さんの声。
だが、伊藤も僕も、興味津津である。
おつまみである枝豆を食べながら聞き耳を立てていると、隣からうるさい声が降ってきた。
「隆吉~。ほら、お前ももう一杯飲めよ」
そう言って置かれたのは、ジョッキ一杯のビール。
マジかよ・・・と思いながらも、「ありがと」と酔っぱらいの同期に言う。
そのビールを片手に持って、もう一度聞き耳を立ててみる。
が、
「え~っそれって本当なの!?」
伊藤の驚いた声がした。
運悪くも、僕は彼女の恋愛対象を聞き逃してしまったのだ。
後に、僕は伊藤を味方に付けることになる。
しかし、この時彼女が言った言葉は最後まで教えてくれることはなかった。
僕はまず、高ノ上さんを食事に誘うことにした。
定番といえば、定番。
しかし、ただの同僚でしかなかった僕からいきなり誘われるということを、彼女は理解してくれるはずだ。・・・・はずだと信じている。
仕事を早く終わらせて、彼女を待つ。
そして、仕事が終わって帰る支度を済ませた彼女に、エレベーターの外で話しかけた。
「あの、高ノ上さん。この後、時間ある?」
そう尋ねれば、彼女はきょとんとした後で「はい、ありますよ」と笑顔で答えてくれる。
隙だらけだ。
よし!と内心ガッツポーズ。
途端に緊張と火照りが襲ってくるが、勇気を出して言った。
「一緒に食事でもしない?」
この一言で、彼女が僕の意図に気付いてくれればいい。
僕が君のことを気になっているっていうことを。
そう願っていた。
そう信じていた。
そう、いくら恋愛経験がないからって、それぐらい分かっているものだと思っていた。
が、隙だらけだと思っていた彼女は、思っていたより鈍感で、ある意味隙がなかったのだ。
彼女は嬉しそうな顔で、
「わぁ!いいですねぇ。他にも誰かご一緒なんですか?」
思わぬ変化球が来た。
僕は君と二人で食事をしたかったのに、彼女は不特定多数の中に自分を誘ってくれたと思っている。
鈍い!
高ノ上さんは僕が考えていたよりもずっと鈍かった。
わぁお、と衝撃で固まっていた僕を、高ノ上さんが不思議そうに見つめる。
「新橋さん?」
僕は硬直した体を動かそうとする。
彼女には、これぐらいでは伝わらなかったのだ。
もっと、大胆にアプローチしなければ。
「いや、食事は僕と君の二人だけだよ」
そう!二人だけ!男と女の二人だけ!
これで分かってくれ!
「あ、そうなんですか」
高ノ上さんのちょっと驚いた顔に、あっけらかんと返された言葉。
もしかして、僕って望みない?
顔色さえ変えない彼女に、こちらの精神が崩れ落ちそうだ。
しかも、彼女は時計を見た後、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
その顔を見た途端、これは断られるフラグだな、と僕は思いました。
心の涙を流しつつ、彼女の言葉を待つ。
「すいません」
彼女の言葉が心に刺さる。
けれど、ここで思いっきり断ってくれた方がいいのかもしれない。
そうすれば、彼女が好きっていう想いを、ここで止められるんだ。
これ以上、彼女のことで悩むことも悶えることもなくなる。
僕は彼女の恋愛対象にならなかったんだって、諦めることができる。
それに、傷は浅くて済む。
そして、いつも通りの同僚で居続けるんだ。
・・・・嫌だなぁ。
「私、家に用事があって。だから8時までなら全然大丈夫ですよ!」
完全に諦めきっていた僕の耳に、信じられない言葉が舞い込む。
大丈夫ってことは、一緒に食事するってこと?
俯けていた視線を彼女に向ければ、そこにはいつもの笑顔が。
変わらない彼女の笑顔が、僕に向けられていた。
いや、この際、恋愛対象だとかどうでもいい。
彼女と食事ができるのだ。
時間制限があろうが、彼女と食事ができるのだ!
諦めていた分、彼女の言葉が嬉しくて半泣きになりながら、つい「ありがとう」と言ってしまう。
そう言えば、彼女はまたきょとんとした後、「こちらこそ」と笑った。
さて、彼女との楽しい食事が終わり、家に帰った時。
ふと、我に帰る。
食事に行って彼女と話せたのはいい。
実によかった。
が、恋愛対象にならなきゃ意味なくないか?
そもそも食事に誘ったのは何のため?
僕を意識してもらうためじゃないか?
携帯を取り出し、今までの行動を書き記す。
そしてそれを、僕の味方でもある伊藤に送りつけた。
『今日、高ノ上さんと食事に行ったんだけど、8時までっていう時間制限があった上に、他に誰かいるのかって言われた。これって脈なし?』
返事は、すぐに返ってきた。
残酷な答えとして。
『報われねぇwwwワロww乙ww』
Wが沢山打ち込まれた中に読み取れた言葉。
その事実に、僕は膝から崩れ落ちた。
涙で前がかすんで見える。
僕は震える指先で、打ち込む。
『恋愛対象としても見られてないかも』
つい、泣きごとを言ってしまう。
確かに僕は、身長は少しばかりだけど小さめな方だし、顔だって普通。
特に目立った特徴もない。
言ってしまえば、『冴えない人』の一人かもしれない。
そんな人を、高ノ上さんは恋愛対象として見ることなんて出来ないかもしれない。
高ノ上さんは美人だし、温厚で笑顔が素敵な人だから。
そう考えれば、ますます望みが消えていく。
ピコンと音が鳴って、伊藤からの返事が来る。
きっと、『当たり前だ』とでも書いてあるに違いない。
見たくない。けれど、見なければいけない。
僕はメッセージを表示した。
『まぁwwwそんな落ち込むなよw』
ピコン。
『きっと葛葉は意識してると思うよ』
ピコン。
『あとはあんたの頑張り次第じゃない?』
珍しく伊藤から慰めの言葉を頂いた。いや、今はそれどころじゃない。
思わぬ言葉に目を見開いて、何度も読み返す。
『あとはあんたの頑張り次第じゃない?』
これはつまり、僕が高ノ上さんにアプローチし続ければ、もしかしたら、恋人になれるかもしれないということ?
でも、一生そんな日が来ないということもあるわけで。
それでも、今は報われないとしても、少しでも希望があるのなら。
このまま諦めて、ただの同僚で居続けるなんて嫌だと思ったことを、僕は忘れていない。
そうだ。
僕はやってみせる。
この想いを伝えるんだ。
そう決心して、僕は伊藤に『ありがとう』とだけ打ち返した。
こうして、隙だらけの高ノ上葛葉と僕の隙のない攻防戦が始まったのである。
続きません。