囁く悪魔
その声は、いつだって甘い言葉をくれる。
いつだって気持ちよくって、言う通りにしたくなるような、そんな甘い言葉ばっかりを雨のように降らせてくれる。
「もうさ、諦めたらいいじゃん」
ほら、今も、こうやって。
「お前はさ、頑張ったよ。うん、すっげー頑張った。頑張りすぎじゃね? ってくらい頑張ったじゃん」
うん、頑張った。頑張ったよ、あたし。
でも、きっとあんたが言ってくれたほどには頑張ってない。そんなことは、自分が一番よく知ってる。
頑張ったね、って言われて、頑張ったよ、って言えるほどには頑張ったけど、でも、必死だとか一生懸命だって言葉を使うような頑張り方じゃなかった。
そんなこと、あんただって知ってるはずなのに、でも、あんたはあたしを甘やかして、いつだって心地いい言葉をくれるんだ。
「だからさ、もう諦めちまえよ。頑張んの、疲れただろ? そんなんになってまで、頑張る必要なんてなくね?」
お前がそんなに頑張って手に入れる価値があいつにあるなんて思えねぇけどな、なんて。まるであたしの方が彼より価値のある人間みたいな言い方。
でも、本当は彼の方があたしなんかよりも、ずっとずっと価値がある。だから、あたしは彼が欲しかった。彼の彼女、っていう肩書きが、どうしても欲しかったんだ。
だから、あたしなりに結構頑張った。
彼が、頭のいい子が好き、って聞けば、頑張って勉強したし。おかげで下から数えた方が早かった成績は真ん中くらいまで持ち上がって、親から臨時のおこづかいもらえたりしてラッキーだったけど、それはそれ。
おとなしめで清楚な感じのコが好き、って聞けば、そんな風になろうって努力もしてみた。でも、あたしはオシャレもお化粧もバッチリガッチリ、分かりやすく自分をキレイにするのが大好きで、地味目に作って実は…、みたいな手の込んだことは得意じゃなくて、あんまり成功はしなかった。
頑張った、って言ってもその程度なんだ、あたしの“頑張った”なんて。
それなのに、あんたはそれがさもすっごいことみたいに、あたしを褒めてくれるんだよね。あたしはそれが気持ちよくって大好きで。
あんたの言葉は、アレみたい。
ホラ、マンガとかによく出てくるじゃない? 何かについて悩んだときに、左右に天使と悪魔が出てきてさ、いいことと悪いことを言うの。アレみたい。
えーと、ホラ、なんて言ったかな?
「…アクマのササヤキ?」
そう、それだ。
思い出してスッキリしたところで、目の前で目を丸くしてる相手と目が合った。
「ナニソレ。俺が言ってんのって、お前にとって悪魔の囁き……、あー、かもなぁ」
あぁ確かにそらそーだお前にしちゃよく気づいたなー、と笑い出した相手に「こらぁ」と怒ったフリをしてみせる。
「あんたはそーやってあたしをダラクさせようとしてんのね! だからあたしが失恋なんてするハメになんのよ!」
責任とれバカぁ! 言いながら、あたしも思わず笑っちゃってた。
失恋した、なんて言ってんのに、笑える自分が不思議だった。でもさ、うん、失恋、したのに、全然ショックじゃなかったんだ。むしろ、ショックじゃなかったことにショック受けたってくらいにはショックだった、んだけど。
「責任なら喜んでいくらでもとるぜ、バーカ」
心底楽しそうに笑う相手に言われて、え、と体が固まった。そんなあたしを見て、あんたが笑う。
――ホンモノの、悪魔みたいに。
「どーでもいいヤツを甘やかしてやるほど暇人じゃねーよ、俺。気づいてんだろ、自分が甘やかされてるって」
…うん。
気づいてた。多分、理由にも気づいてた、と思う。
「俺がお前のこと、散々甘やかしてやったのはさ、――なぁ、何でだと思う?」
知ってて言わなかったのは、ズルい? でも、怖かったって言ったら、あんたは笑う?
「俺に落ちろよ。ドロッドロに甘やかしてやるよ? 今まで以上に、さ」
そうやって極上の笑顔を浮かべるあんたに、彼に感じた以上のドキドキを感じるのよ、って言ったら。
――ねぇ、あんたはどう思う?