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『テルミア・ストーリーズ+』参加シリーズ

酔っ払いはなんでもかんでも持ち帰る

作者: riki

 門扉をくぐる影を見つけ、わたしは玄関に急いだ。

 扉を開き、カンテラを掲げて主人の足元を照らす。慣れた敷地の中とはいえ、この千鳥足ではいつ段差に躓かれるかわからない。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ。……そうだ、これはおまえに土産だ」


 わたしに? 嫌な予感を覚えながら、カンテラを置いて両腕で受けとった。


 主人が押しつけてきたのはナマモノだった。

 あたたかい。動物だ。

 幼獣特有のふわふわした毛並み、ふるふる震える体。怯えているのかベストの胸元に爪を立ててしがみついてくる。


「猫だ。屋敷の前にうずくまっていたから拾ってきたんだ」

「……猫にしては大きいようですが?」

「じゃあでっかい猫なんだろう」


 酒気をまとった主人は酔っ払いのアバウトさで言い切ると、ブーツの泥を落とすのもそこそこに奥へ向かった。


「すぐにお休みになりますか? なにかお飲み物でも?」

「酒はもういい。水をくれ」


 グラス一杯を一息で飲み干した主人は、赤い目元をこすっている。お酒を過ごされたらしい。

 普段は「弱いから」とほとんど呑まれない方だが、職場の付き合いとなれば断れなかったようだ。

 常日頃厳しい規律に縛られる騎士たちだからこそ、休みの日にはおおいにはめを外す。音頭をとるのが騎士団長とくれば、部下が遠慮するはずもない。副団長の肩書きも無礼講の酒宴では効力を発揮しなかったようだ。


「疲れた……寝ることにする」

「おやすみなさいませ」


 よろりと寝室に踏み出しかけた足を止め、向き直った主人は真顔で言った。


「それの面倒をしっかりみるんだニャア」


 ……………………どれだけ呑まされたんですか、旦那様。




 転ばずに寝室へ入られた姿を見届け、さて、と腕の中の“お土産”を見下ろした。

 両脇に手を入れ、胸元からべりっと引き剥がす。

 外の闇のように黒い毛皮。爛と輝く見張られた目は黄金。

 ……猫?

 猫にしては太くて短い四肢、丸い耳。長い尻尾の先には、ほわっと毛が束になっている。

 これは、猫?

 背中にふわふわの毛並みと異なる感触がある。引っくり返して見ると、雀の羽のように控えめなサイズで純白の翼がパタパタ動いていた。


「……絶対猫じゃないよね?」


 伝承に聞く体毛と色こそ違えど――。


「もしかして、モフオン?」


 黒い聖獣は小さな牙の並んだ口を開け、みゃあ、と鳴いた。




 +++++++++++++++




「なんだその猫は。元いた場所に返して来なさい」


 一夜明け、主人はきれいさっぱりお土産のことを忘れていた。

 正午の太陽を鬱陶しそうに眺めやり、道で出会えば皆が避けて通るだろうしかめっ面で薬湯を飲んでいる。二日酔いによく効くが究極に苦いのが難点らしい。


「わたしが拾ってきたのではありません。旦那様が土産だとおっしゃって、わたしに下さったのです。屋敷の前にうずくまっていたのを拾ってきた、と」

「本当かそれは? ……記憶にない」


 しかし前科はある。近所の目があり捨てるに捨てられない品々が物置に眠っている。どれも酔った主人が持ち帰ったものだ。

 観念したように溜息を吐き、主人はのっそりと椅子から立ち上がった。わたしに腕を伸ばして言う。


「わかった。それを寄こせ。自分で返してくればいいのだろう?」

「お待ち下さい。安易に捨ててよいものではありません!」

「俺と違い親切な誰かが拾うだろう」

「これは猫ではなく、モフオンです。聖獣をお捨てになるのですか?」


 脇を持って突きつけた聖獣はだらんと体を伸ばし、尻尾をふっていた。


「聖獣?」


 モフオンを後ろに返し背中の翼を見せると、主人の二日酔いは吹っ飛んだようだ。別の頭痛にさいなまれた様子だが。


「……どうして聖獣がこんなところにいる? なぜ黒いんだ?」

「わかりません」

「黒い聖獣など聞いたことがないぞ……」


 金、銀貨に刻まれる聖獣リオノスは、純白の翼を持つ黄金の獅子だ。もちろん実物を目にしたことはないが、仔であるモフオンも金色のはず。

 腕の中の幼獣はつやつやと漆黒の毛皮をしていた。


 ここセランの街は、レ―テス海の恩恵も遠いリオニアの内陸部に位置する。どちらかというとウェトシーに近く、住民も質実な気風を好む。煌びやかなものより逞しさや頑丈さを。騎士団で副団長を務める主人は、いつもこちらが当てられそうなほど秋波を浴びていた。

 いくら片田舎といえど、聖獣が見つかったとなれば大騒ぎになるだろう。

 現在首都クースには二頭のリオノスがいるらしい。二頭も、と言えばいいのか、たった二頭と言えばいいのかわからないが、王と王妃をそれぞれ守護していると伝え聞く。

 聖獣も親として幼い我が子を天空から降ろすのを嫌がるのか、モフオンはリオノスよりずっと目撃例が少ない。希少なモフオンのさらに珍しい黒翼獅子の仔が、どうしてこんなところに単独でいるのだろう?


 頭を抱えていた主人は名案を思いついたらしく、笑顔になった。


「よし、洗ってみろ」

「汚れは拭ってあります」

「馬鹿者。もしかすると誰かが悪戯で染めたのかもしれんだろう」

「洗っても聖獣である事実は流せませんが」

「偽の翼ならぽろりと取れることもあるかもしれん」


 涙ぐましい。ほんのちょっと、ごくごくわずかな希望にかけてみるのですね、旦那様。

 主人の胡乱な笑みに頷いて応え、わたしはモフオンを抱えて浴室へ向かった。




 桶にたっぷりお湯を入れ、ついでモフオンを入れる。ぶわっと毛を逆立てた幼獣は支えた腕にしがみつき、みぃみぃと鳴いていた。

 ゆっくりとお湯をかけ、石鹸を泡立てて黒い毛皮を洗う。指の腹でマッサージを行うと気持ちよさそうに目を細めた。満足げにゆったりふられる尻尾がパシャンと湯を叩く。

 日中に見るとモフオンの目の色が単純な金ではないことに気づいた。

 赤がねに黄金の熔け混じる瞳。

 ――かつて暗き地上に舞い降りた金の御使いは、万里に轟く咆哮で暁を告げた。

 ヨルンの歌う建国譚の一節、明けの明星が「リオノスの星」と呼ばれる由縁だ。


「旦那様に拾われてよかったね」


 クライド・ディケンズ。

 主人はセランにおいてちょっとした有名人だ。

 鳶色の髪と青い瞳、精悍な容姿に鍛えた体躯。面倒見の良い性格で、主に子供と妙齢のご婦人から慕われている。剣の腕も折り紙つきで、団長から王都の騎士団へ推薦されたこともある。地元が気に入っているから、と断ったらしいが。

 充分な給与を得ているのに街外れに屋敷を構え、使用人はわたしと、旦那様を心配して実家の屋敷からついてきた老夫婦の三人きり。モテるにもかかわらず浮いた噂のない堅物騎士と評判だ。


「ノミもいないようだし、“汚れ”も落ちそうにないなぁ」


 聖獣の血を吸う勇気あるノミはいないようだ。洗い終えたモフオンを桶から引き上げる。

 ぬれ鼠になって一回り小さく貧相に見えるモフオンは、全身をふるわせ盛大に水をはね飛ばした。

 ……猫はよくするけれど。

 広げていたタオルをまず自分の顔を拭くことに使っても責められはしないだろう。

 モフオンをタオルに挟んでわしゃわしゃ揉み転がすと、猫っぽい獣は腹をみせて愛撫をねだった。完璧に猫だ。

 聖獣様のお気がすむまで撫でて、撫でて、撫でてやった。


「うえ、びしょびしょだ……。結局着替えないといけないのか」


 濡れて張りつくシャツが肌色に透けていた。

 こんなこともあろうかと替えの服は用意してある。シャツを脱いだところで、予期せぬ声が聞こえた。


「ジェフ! 近所のエイムズ氏から染め粉落としの石鹸を借りてき、……」


 とっさにシャツを引っ掴み、身体の前を覆い隠した。モフオンも驚いたのかタッとわたしの背後に回り込む。


「ありがとうございます。ですが、抜けた毛の根元まで黒いので、染めたものではないようです。翼も取れませんでした」


 毛だらけのタオルを差し出す。さすがに顔は上げられなかった。


「…………そ、そうか。濡れたのか? やっかいなことを頼んですまなかったな」

「いいえ。着替えたらすぐにうかがいます」

「ああ……急がなくてもいいぞ」


 遠ざかる靴音は乱れていた。

 ――油断した。

 騎士である主人は足音を立てない。だから自分の部屋でしか服を脱がないように気をつけていたのに。


「……バレたかなぁ? バレちゃったよね……」


 常なら決して聞こえない靴音が動揺を物語っていた。

 シャツの下で心臓はドクドクと速い鼓動を轟かせている。ベストやシャツといった目くらましを取り払った胸は、本来の盛り上がりで腕を押し返していた。


 酔った主人が拾ってきたもの。

 隣の家で飼われている犬の餌皿。翌日さりげなさを装って新しい皿を進呈した。

 町長の下手くそな詞の歌碑。盗まれてよかったと街の皆が笑顔になった。返していない。

 甲冑の勇者が広めたお菓子の店の看板人形。頭の大きな女の子で、舌を出した顔に愛嬌がある。寄付という名目で複製を返した。

 幼い聖獣。黒いモフオンだなんて、これから一波乱あるに違いない。保護続行中。

 そして、わたし。

 五年前。わたしは主人の財布をすろうとしたところで捕まえられ、なぜか屋敷に連れてこられた。翌日わたしを拾ったことをすっかり忘れていた主人は、それでも持ち前の面倒見の良さから、使用人として住み込みで雇ってくれた。

 薄汚れた孤児の性別など誰も気にしない。一人で生きて行くには少年の方が都合がよかったから、名前を尋ねられたときもジェフと名乗った。ジェマという本当の名前からもじったものだけれど、誤解を生む決定打になったようだ。

 どうやら女性が苦手らしい主人に女だと言い出せず、感謝が恋心に育ってからはますます明かせなくなってしまった。

 伸び上がったモフオンがぴとりと濡れた鼻を腕にくっつけた。暁色の瞳が気遣わしげに見上げてくる。


「いいの。……もう、潮時だったから」


 秘密を知る老夫婦の協力があっても、周囲を誤魔化すのは限界にきていた。

 男にしては貧弱な身体も、声変わりを迎えないことも、髭が生えないことも、少年の一言ですませられる時期はとっくに過ぎ去った。

 今日か明日かと怯えているよりは、バレて気が楽になったくらいだ。


「あとは旦那様次第だね。これからも置いてもらえたら嬉しいけど、駄目だったらあなたの親を探しに王都へ行ってみようかなぁ」


 みゃう、と鳴いたモフオンはぐりぐりと頭を擦りつけてきた。

 なんだか慰められているようで、わたしはモフオンを抱き上げふわふわの毛並みを撫でた。




 +++++++++++++++




 酔った上での失態は、証拠が物置に押し込めてあるから言い訳などできない。

 ぐびりと飲み干した薬湯は飲んだ酒を全て吐き出せといわんばかりに不味かった。いつもなら素面に戻れるのに、二杯目を空けても酔いは醒めそうにない。

 顔は熱く、全身がカッカとしている。

 酔人のみた夢ならば、早く脳裏から掻き消えてほしいものだ。


 ――白い柔肌の幻など。


「……ジェフは男。男だ。男のはずだ。男…………男じゃなかったのか?」


 これが現実なら自分は相当な愚か者だ。

 五年も気づかずに暮らしていたことになる。同僚につけられた「朴念仁」のあだ名も今なら甘んじて受けよう。


 俺は三杯目の薬湯を干し――夢ではないことを認めた。






 それから一年後。

 祝福の花吹雪が舞うセランの街で、大きな黒翼獅子の背に乗る立派な騎士と愛らしい花嫁の姿が見られたという。


 ヨルンは謳う。

 黒き翼獅子もまた昼と夜を統べる天空神の御使いであり、人々に幸福を運んだと――。

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