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死に戻り令嬢、今世は駄犬エルフを手懐ける。〜聖女に婚約者を奪われ死に戻ってきましたので、貴方達の切り札は私が貰います〜

掲載日:2026/08/11

「レビィ・ハルバーティエ。聖女アリア毒殺未遂の罪により……」


 淡々とした口調で罪状が読み上げられていく。

 私はガタガタと身体を震わせ、ある青年に声を荒げた。


「ロイ様。これは聖女を偽る女の毒牙に掛かった貴方様を救うため。貴方様を想ってしたこと。分かってくれますよね?」


 縋る想いを向けたのは元婚約者のロイ様。

 彼から返って来たのは返事ではなく、哀れみを含んだため息だった——。

 

 

 事の発端は数日に遡る。

 聖女活躍を祝う祝賀会で、あろうことか主役の聖女アリアに毒が盛られ倒れた。犯人は、数週間前に婚約を破棄されたある公爵令嬢。


 ——つまり、私レビィ・ハルバーティエだ。


 だって許せなかったの。

 私とロイ様は三年も婚約していたのよ?

 それをたった数ヶ月前にふらりと現れた女に盗られるとは思わないじゃない。


 なにか悪い魔法を掛けられたと思うのが普通でしょう?

 

 だからあの女のグラスに毒を入れたわ。

 殺してしまおうとしたわ。それがなに?


「私は、間違っておりません!!」


 罪は白日の下に晒され、今まさに、裁きの鉄槌が降りようとしているこの時でさえ、私は自身の行いが大義だったと思っている。


 誤算はただ一つ。

 国中が、ロイ様とあの女の味方だったこと。


 二人は真実の愛に目覚めたらしい。

 私との婚約は失敗だったのですって。

 

「こんな愚行を犯すとは。婚約破棄がそんなに憎かったのか。なんと醜い……。」


 憎いに決まっているでしょう。

 だって私は心からロイ様を愛していたのですから。

 

 私達の婚約は、私から望んだものではあったけど、最終的に政略を孕んだものだった。だから簡単には婚約破棄出来ないと思っていた。まして——、


「あ、あの女は少し力があるだけ。ただの“平民”なのですよ!!」


 高貴な血が一滴も流れていない女に奪われるなんて。こんな腹立たしい事はないわ。

 

「聖女を愚弄するなど、本当に救えないな。」

「ロイ様の隣に立つには相応しくありません!!」

「例えアリアが聖女じゃなくても、僕は彼女を好きになっただろう。」


 はぁ……?

 あり得ない。


 やっぱりロイ様は悪い魔法に掛かっているんだわ。

 ただの平民を愛する馬鹿な貴族がいるわけないもの。


「いい加減に目を覚ませ。お前は罪を犯したんだ。」


 なんでそんな瞳で私を見下すの?

 聖女さえ消えれば、魔法は解けるはずでしょう?

 また私を愛してくれるのでしょう?


「ろ、ロイ、様……」

「ここまでくると哀れだな。」


 まさか………………、違うの?


「なにを、言って、いるのです?」

 

 屈辱にも大衆の目の前で衛兵に捕えられ、牢に入れられ、拷問紛いなことまでされたのに?


「レビィ・ハルバーティエを斬首刑に処す。」


 刑が読み上げられた途端、恐怖と絶望が一気に押し寄せた。カタカタと奥歯が鳴る。

 

「わ、私はロイ様のために罪を犯したのです! 貴方様を愛していたから!!」


 こんなのおかしい。

 なにかの間違いよ!

 ねぇ、早くそう言ってください!!


「愛だと? 誰がお前のような悪女を愛するものか。その汚い手で裾を掴むな。衛兵よ、さっさとこれを連れて行け!」


 容赦なく踏み付けられた手からバキッと鈍い音がした。


「うぅ……あ゙あ゙っ!!!」


 呻こうが騒ごうがお構いなし。

 衛兵は私の身体を引きずり処刑台へと連行していく。

 

 私の目には、汚物でも見るような視線で睨むロイ様と、鈍く光る断頭台の刃が交互に映り込んでいた。


「いやっ、嘘よ……。ねぇ、ロイ様!!」


 もう私の声は彼に届かない。

 代わりに断頭台の周りで娯楽を楽しむような貴族達が群がって、口々に笑い声を上げていた。


「ああ、あれが名ばかりの……」

「妖精との契約も出来なかったらしいぞ。」

「ハルバーティエ伯爵当主はなにをお考えなのだろう。」

「無能な分際で高望みするからああなるのよ……。」


 蔑みと嘲笑。

 向けられたのはそれだけだった。

 

 私が抵抗し暴れるほど、周囲の声は大きくなる。あまりの惨めさに顔を俯きかけたその時、不意に知っている顔が視界をよぎり、咄嗟に声を上げた。


「お、お父様! 助けてください!!」


 ああ、良かった。

 ようやくお父様が来てくださった。


 お父様は私をここから救い出せる唯一の希望。届かないと分かっていても、手を伸ばさずにはいられない。


「黙れ、失敗作。」

「…………え?」

「これ以上の汚点を晒す前にさっさと死んで償え。」


 行き場を失った手は、だらしなく垂れ下がる。

 お父様はロイ様と同じ冷たい目をしていた。


 なんで……?

 なんで、お父様までそのようなことを言うの?


 お父様が聖女に毒を盛れと、命じたのではありませんか!!


 そう叫ぶより先に、私の身体は雑に断頭台で押し付けられてしまった。


「最後に言い残す事はあるか?」


 私の最後の言葉を楽しみに待つ貴族達。

 その光景が残酷な現実を私に叩きつけた。


 (あぁ……、この運命から逃げられない……。)


 私がなにをしたって言うの?

 ただ公爵家とロイ様のために頑張ってきただけなのに。

 

 ——その結果が、これ……?


 嫌だいやだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤダ!!!


 呼吸が上手く出来ない。

 視界が霞む。


「し、にたく、ない」


 振り絞った声はか細く、擦り切れる前の糸のようだった。シンと静まり返った断頭台が一気に罵声と嘲笑に包まれた。


「紐を切れ!」


 頬から溢れた涙が断頭台を濡らすのと同時に、合図が鳴り響く。首を斬る刃が太陽に照らされ、私はギュッと目を閉じた——。


 


◯●◯●


 


「…………ハッ!!」


 あまりの恐怖と衝撃に、私は勢いよく飛び上がった。

 心臓の鼓動が耳にまで響いている。


「はぁ…………、ハッ、ハァ……ッ!!」


 急いで首を両手で確認すると、胴と頭は繋がっているようだった。一瞬、あれは夢だったのかとも思ったけど、その考えはすぐに打ち消された。


 だって鮮明に思い出せるの。

 ロイ様とお父様の悍ましい視線。

 耳に媚びり付いている罵倒や笑い声。

 首を斬る刃の感覚まで——……

 

 全身は震え、涙は止めどなく流れ落ちるのがその証拠。なら、私は生きているはずはない。


「レビィ、どうした?」


 耳馴染みがある声に思わず振り向く。


「ロイ、さま……」


 丁寧に整えた宵闇色の髪。

 王族の証拠である黄金色の瞳。

 この男を間違えるはずがない。

 

 隣の椅子に座っているのは、さっきまで私を見下していた元婚約者ロイ。彼が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。


「緊張しているのは分かるが大人しく座っている事も出来ないなんて。お前は今日から僕の婚約者になるのだから、その自覚を持ってくれよ。」


 緊張?

 今日から僕の婚約者?

 なんの話をしているの?


 私はさっき、死んだはずでしょ?

 

 混乱する私を他所に、注目を知らせるベルが鳴った。中央に立つのは国王と国王妃。


「皆、よく集まってくれた。今宵はとても良い知らせがある。」


 心臓がバクバクと騒ぎ始めた。

 全身の肌が粟立つ。

 

 私は、この景色を知っている。

 この先に国王がなんと言うのかも、知っている。


 胸が、張り裂けそうなぐらい痛い。

 夢であって欲しいと思う気持ちと、現実であって欲しいと思う気持ちがせめぎ合っている。


「我が息子、王太子のロイとハルバーティエ公爵令嬢レビィの婚約をここに宣言する!」

 

 拍手喝采と歓喜で溢れかえる王城。

 なんとか貼り付けた笑顔の裏で手の甲を抓ってみると痛みがあった。


 これは現実だ……。

 時間が三年前の婚約発表に巻き戻っている!!


 間違いない。

 ロイと色合わせしたこのドレス。この音楽。

 全て覚えている。


「レビィ、これから挨拶回りだ。失敗するなよ。」


 釘を差すロイなんて、もはや眼中にない。

 必死に状況を整理するために周囲を見渡すと、鳴り止まない祝福に私を切り捨てたお父様の姿もあった。


 そしてもう一人——。


 会場の一番奥、柱の隅にひっそりと立つ見覚えのある人物の姿があった。


「…………あんな所にいたの。」


 前世の私は婚約発表を待ち望んでいた。

 期待に胸を高鳴らし、ロイの横顔ばかり追っていた。


 気付く訳ないじゃない。

 みんなもそう思ったからここにいるのよね、きっと。


 さっきまでの震えが嘘みたい。

 今はグツグツと煮えたぎる怒りでどうにかなりそうだ。


「ロイ様、私も挨拶に行ってきますわ。」

「何処へ行くんだ!?」

「だから挨拶ですってば。」


 腕を掴まれるより先に、見覚えのある女性の元へ向かった。


 後ろから制止するロイの声がするけど無視した。

 コツンコツンとヒールを鳴らせば、皆が道を開けてくれる。そして私の行く先に視線だけを向ける。


 私の処刑を娯楽にしたのだもの。

 今回もそうするのでしょうね。


「初めまして。」


 ああ……、神様。感謝致しますわ。

 私にもう一度チャンスを下さったのですよね?


「貴方、お名前は?」


 頂いたチャンス、絶対にモノにしてみせますから。

 天から見守って下さいまし。


「わ、わたし、は……、アリアと、申します。」


 三年後、突如現れ聖女として崇められた女性アリア。

 平民で、王太子ロイの婚約者で、私が毒を盛った女。


「今宵のパートナーはどちら?」

「あ、えと……、」


 三年後の聖女様。

 どうして貴方がこんな所にいるのかしらね。


「レビィ、いい加減にしろ。勝手な行動はよせ!!」


 私とアリアの間に割って入るロイ。

 彼の後ろに、ピッタリとくっついて今にも泣きそうなアリア。


「私はただ、一人でおられる令嬢がお困りかと思っただけですが。」

「彼女は僕の再従姉妹。幼馴染みだから祝いのパーティーに招待しただけだ。これ以上パーティーを壊すような真似をするな!!」

 

 ——ああ…………、そう言うことか。


 焦るロイ。その後ろからお父様、国王に国王妃まで。

 皆の視線を一心に浴びながらゾロゾロと歩み寄ってきた。


「再従姉妹で、幼馴染み、ですか。」


 嫌でも冷静になるしかないじゃない。


 前世でアリアに毒を盛れと命令したお父様。

 アリアの存在を隠し続けた王室。

 都合良く突如聖女になったアリア。


 三年後の処刑。

 貴方達の驚く姿から察するに、なにか裏がありそうね。

 もしかして、処刑は仕組まれたものだったのかしら?


 ——ああ、許せない……。


 絶対に暴いてやる。

 そのために、この女は逃さない。


「まぁ、ロイ様の幼馴染みですか!?」


 会場が騒めく。当たり前だ。

 会場の皆に聞こえるよう、わざと大声を張り上げたのだから。


「そのような方がいるなんて、本日まで知りませんでしたわ。」


 ええ、本当に。

 神秘のベールに包まれた奇跡の聖女が、まさかこんな近くにいたなんて。


「ロイ様の幼馴染みでしたら、幼少期のことを沢山知っているのですよね! ぜひ今度三人で、お茶を致しましょう!!」


 前世の私は、お父様とロイ様に愛されたくて健気に頑張る騙しやすい公爵令嬢レビィだった。ロイと親しい人間と仲良くなろうと必死になっていた。


 だから、無邪気にこんな事を聞いてもおかしくはないでしょう?


「アリア様。失礼ですが、どちらの家紋の方でしょうか?」


 アリアとロイの顔から血の気が引いていく。

 今世の私は貴方が平民だなんて知らないもの。ロイの招待なら、相応しい家紋だと思ってもおかしくはない。


「茶会のご招待のお手紙をお送り致しますわ!」


 パチンと手を叩き、満面の笑みを浮かべた。


「あ……、わたし、は……」

「アリアは身体が弱いんだ。医者の許可が出たらこちらから茶会の招待を送ろう。」

 

 アリアを庇うように声を上げるロイ。

 これでは誰の婚約パーティーなのか分からないじゃない。


 静かに力を込めた拳を開く。

 今すぐにでもこの浮気者達を晒し上げたいが、まだその時じゃないわ。


 前世の記憶だなんて言っても誰も取り合ってくれないだろうし、二人が浮気している確かな証拠もない。

 

 無闇に騒げば前世と同じ、馬鹿な公爵令嬢がなにか言っていると思われる。相手はこの国そのものなのだから。


 ——慎重にならないと……。


「そうでしたか……。お辛い中、本日は来て下さりありがとうございます。お身体、大切になさって下さいね。」


 今日はこれでいい。

 私は二人に気を遣ってから背を向けた。


 ——今の会話、皆さま聞いておられましたよね?


 貴族達は娯楽に飢えている。

 こんな面白い話のネタを聞き耳立てずにいられないでしょう?


「あっ……、」


 ……ほら、やっぱり。

 突然振り返った私と目が合った貴族の何人かが、小さく声を上げた。


 さてさて、これで三年後に突如現れる事は出来なくなりましたね?

 

 こうやって貴方達の作戦を一つずつ潰していってあげる。


 ——それが私の復讐だ。


「レビィ、どういうつもりだ!?」


 体調が悪いと言い始めたアリアを客間へ送り届けたロイが、顔を赤く染めて帰ってきた。


「どういうつもり、ですか?」


 それはアリアを貴族の前に引き摺り出した事?

 アリアに都合の悪い質問をした事?


 まぁ、どちらでも私には関係ない。


「私はただ、ロイ様の幼馴染みとお伺いしたのでぜひお話をと、思ったのですが……。」

「お前のせいでアリアが倒れたんだぞ!!」

「そんな……っ!?」


 そんなに身体が弱いならこんな場所に連れてくるなよ、と続けそうになった言葉をなんとか飲み込んだ。


「そんなにお身体が弱い方でしたのね。謝罪のお手紙をお送りしないと……。ロイ様、ぜひ、アリア様の家紋をお教え下さいまし!!」


 私の言葉でようやく自分が墓穴を掘った事に気がついたらしい。ロイは唇を噛み締めて「その必要はない」と吐き捨てた。


「お前のせいで気分を害した。パーティーが台無しだ。」


 前世の私はこんな男のなにを愛していたのだろう?

 癇癪持ちの我が儘ゴミクソ男じゃない。

 要らないトッピング全部乗せ。

 王室の教育失敗を私に押し付けないでほしいわ。

 

 今ではどこを観て心高鳴らせればいいのかさっぱり分からない。恋は盲目とはよく言ったものね。


「俺は、お前のせいで気分を害したと言ったんだ。謝罪も出来ないのか!?」


 違う。そうじゃないわ。

 私は、誰かに私を愛して欲しかったんだ。

 必要として欲しかった。

 

「…………申し訳、ございま、せん。」


 そんな哀れな女をお前が殺したのよ。


「今後、二度とでしゃばるな。お前の仕事は魔力の供給。それだけだ。」

「……はい。」


 魔力の供給……。

 そうだ、その手札があったわね。


「国王陛下に申し上げます!」


 にやける口元を隠すので精一杯になっていると、会場に緊急事態を知らせる衛兵がなだれ込んできた。


「この晴れの舞台に何用だ?」


 ガラス天井を見上げると、外は暗く不気味に光る月がこちらを覗いていた。

 

 先ほどロイがパーティーが台無しだと言ったけど、まさにその通り。この婚約発表パーティーは唐突な事件で幕を下ろす。


「北部警備隊からの伝令です。魔獣の大量発生が確認されました! 既に王都の北門に向かってきているそうです!!」


 会場が一斉にどよめきと悲鳴をあげた。

 

 この国は大森林を開拓して出来ている。

 王都周辺はもちろん、未だ手付かずの自然豊かな土地が自慢でもあり、深い森のおかげで他国からの侵略を阻止してきた歴史を持つ。そんな我が国は少し変わった国でもあった。

 

「なんだと!? 婚約パーティーは今を持って終了する。この中で戦える妖精と契約している者は直ちに援軍へ、そうでない者は避難を開始しろ!!」


 この国は古くから妖精と共生している。

 昔は魔素が空気中に溢れて、いつでも誰でも手軽に魔法を使えた。だが、時が経つごとに、空気中の魔素は薄くなっていった。魔法適性の高い妖精がすら微かに感じる程度。人間は全く魔素を感じられない。


 なのに、世界には変わらず魔獣が蔓延っている。

 我々を襲い喰らおうとする。


「魔獣の種類と数は?」

「大型が一体、確認出来ています。小型は十を超えると見られています!」


 皆が大型と言う言葉に震え上がった。

 大型魔獣の身長は杉の木ほどあり、鎧のように固いくせに動きは俊敏。

 

 魔法が使えなくなった人間に、魔獣と互角に戦う術はないに等しかった。


 だが希望はある。

 雄々しい貴族達が一斉に小型ナイフで自身の親指を微かに切った。


「我が妖精よ。契約においてこの場に顕現せよ。」


 この国の人間の血液には魔力が宿っていた。これは魔法が使えなくなった人間が溜め込んだ魔素が血液に馴染んだからだと言われている。


「また魔獣が現れたの? あいつらも懲りないねー。」


 親指から滴り落ちた血を舐めとるように小鳥ほどの小さな者達が姿を表した。彼らが妖精と呼ばれる類の存在。


 私達、人間と妖精は共依存する道を選んで来た。

 

 人間は血を分け与え、妖精はその血を活力に魔法を行使する。人間が死ぬまでのパートナー契約を交わし、共に生きていく。

 

 それが我が国パレキア。

 両者は強い絆で結ばれている。


「一緒に戦ってくれるか?」

「君のためなら、もちろんだよ!」

「では小型魔獣の援軍へ行こう。」

「了解〜!!」

 

 人間の血に魔力が宿ると言っても、その力には個体差がある。


 一般的なのは一滴の血で擦り傷を癒すぐらい。

 火の玉一個分くらい。


 ただ、例があった。

 

 それが数百年に一度、現れる聖女だ。

 彼女の血には強い魔力が宿り、妖精はその血を愛する。故に“稀血を持つ乙女”を聖女と崇めた。


 聖女の血は一滴で不治の病を直せてしまうほど。

 魔獣なんて一掃出来てしまうんだとか。

 聖女の誕生は国にとっての悲願。


 それがアリアなのだ。

 でも今思えば、おかしな点がいくつもある。

 

 例えば、

 なぜ今日この時、アリアは魔獣討伐の援軍に行かないのか。彼女が契約した特殊な“番犬”が見当たらないのはなぜか、とか。


「皆の者、国のため急ぎ行動してくれ!」


 思考の海から浮上した私は、国王の命令で動き出す人々からひと息遅れて自分のすべき行動を理解した。

 

 私は避難しなければいけない。

 

 目の前には婚約者となったロイ。

 前世の私は彼が避難誘導してくれるはずと信じて、手を差し出した。


 この手を掴んで走り出してくれると信じていた。

 でも彼はなにもしてくれなかった。


 手を触れる事も顔を合わす事すらせず、走り去ったのだ。


 今世も同じだろう。

 だから私はもう手を差し出さない。希望も持たない。


「クソッ……!!」


 やっぱりロイは走り去った。

 私など最初から存在しないかのよう。

 皆が王城の外を目指す中、彼は別の方向へ向かって走り去る。 


 あちらは……、アリアのいる客間の方だ。


「本当に残念。」


 なんで撮影魔道具を持って来なかったのかしら。

 あれば記念すべき最初の証拠を撮れたのに。


「さて、私も行きましょうか。」


 先ほどの疑問、後者は答えが分かるわ。

 アリアの隣に番犬がいないのは、まだ二人が出会っていないから。


 おそらく、今日が分岐点なんだ。


 全ては私達の婚約発表という煌びやかな日の裏で、ひっそりと始まっていたなんて。これが運命と呼ばれるものなのかしら。


「……だとしたら。まずは聖女から番犬エルフを奪ってやるわ。」


 三年後、聖女アリアのそばを守っていた“番犬”と呼ばれたエルフがいた。



 エルフ。

 彼らは人間と妖精の間に産まれた禁断の種。

 

 中性的で神秘に包まれた容姿は〝世界の秘宝〟と評されるほど。魔法適性が高く、魔力を与えれば妖精よりも強力な魔法を扱うことが出来る。

 

 一方、妖精と人間のどちらにも当てはまらない故、そのどちらの権利も与えられていない。


 ——愛玩動物である。


 前世の私が彼らに会ったなら、きっと、皆の顔色を伺いながらこう言う。


「無様ですね。」


 断頭台に立った私を見下す貴族達と同じ顔、同じ声色で。内心、これじゃなくて良かったと思いながら。


 彼らを見下していただろう……。


 

◯●

 


「避難シェルターへ急いで下さい!」


 パーティー会場に響く衛兵の声。

 我が国は魔獣や他国の侵略から身を守るため、地下シェルターが無数に存在していた。


 もちろん、この王城にも存在する。

 ここにいる避難者は皆、そこへ移動を開始している。

 

 でもこの人数だ。

 全員を確認して完璧な避難誘導をするのは、いくら訓練を積んだ王国騎士でさえ正確な数を把握するのは難しいだろう。


 私に興味がないお父様は公爵家を背負ってさっさと魔獣討伐へ出向いて行った。ロイもアリアの元へ。


 今、私の行動を制限する者は誰もいない。

 避難する人々の波に身を隠しつつ、王城の外へと逃げ出した。


「急がないと!!」


 月は少し傾いている。

 北門に発生した魔獣達は朝が白む頃に全て駆除されていたはず。前世の私が一人シェルターから出て屋敷に着いたのが確かそのぐらいだった。


 それまでにあのエルフを見つけて説得し、屋敷に連れ帰らなくてはいけない。途中、貴族の乗り捨てた馬車から馬を拝借。

 

「ロイと遠乗りに行きたい一心で乗馬を習っておいて良かったわ!」


 前世で役に立たなかった知識がここで花開くとは、自分でも驚きだ。とにかく、感情に浸ってる時間はない。


 私は馬の背を蹴って北東の外れにある“処理場”へと急いだ。


 魔獣の発生を迎え撃つ北門のある外壁にかなり近い。

 魔獣の呻き声、人間と妖精の怒号が聞こえてくる。魔獣との交戦をここまで間近にするのは初めてだ。


 今まで他人事だった戦場が一気に近づいてくる恐怖に、思わず身体が震えた。その一瞬の恐れが、馬にも伝わってしまったらしい。


「お願い、言うことを聞いてっ…………きゃあ!?」


 急に激しく暴れ出し、私を振り落として何処かへ走り去ってしまった。


「いったぁ……」


 尻餅を着いたところが痛む。

 思わず身体を庇おうと地面に着いた手のひらは、血が滲んでいた。


 周囲にはもう誰もいない。

 ここら辺の住人は既に避難シェルターへ向かった後なのだろう。私を助けてくれる人は誰も、いない。


「それがどうした!!」


 両手で頬を目一杯に叩いた。

 挫けそうな弱い心は要らない。

 

 泣いたら誰かが助けてくれるって言うの?

 誰も助けてはくれないのは身に染みている。


「……よし、脚に怪我はない。」


 もう自分の脚以外、必要ない。

 誰の愛も欲しくない。


「信じられるのは自分だけよ。」

 

 幸い、目的地は目と鼻の先。

 走りにくいヒールのまま駆け出した。


 入り組んだ細道を駆け抜ける。

 目的地に近づくに連れ、鼻先をくすぐる悪臭。

 

 腐臭だ。

 断頭台と同じ匂いに何度か嗚咽を繰り返しながら足を進める。


「ここ、だ…………」


 目の前には王都に似つかわしくないバリケード。

 その先には幾重にも重ねられた薄い鉄板がまるで壁のようにそびえ立っていた。


『処理場』


 看板にはその一言が書かれている。

 話には聞いていたけど、この場所を目にするのも今日が初めて。思わず唾が音を鳴らして喉を通っていく。

 

 前世の私とは縁遠い場所だったし、自ら近づきたいと思うような場所でもなかった。

 

 実際、この場所はあと数ヶ月後に解体される。

 理由は簡単。処理するモノが城壁を破って入ってきた魔獣に襲われ、たった一人を残して全滅したから。


「ここに、“番犬”がいる。」


 処理するモノは、エルフ。

 そう。ここはさまざまな理由で不要となった愛玩動物の廃棄する場所。

 

 通称『処理場』


 前世の番犬は、飼い主に怪我をさせたと言う理由で処理場へ廃棄されていたはず。その後、魔獣に襲われたこの場で大量の魔獣を討伐し、勝ち残った唯一の生き残り。

 

 誰もが恐る中、彼の傷を癒したのが聖女アリアだとか。その後は彼女と契約し、魔獣を狩まくる番犬となったとロイから聞いた。


 彼はアリアにしか懐かなかった。

 魔獣も人間も、関係なく殺していた。

 私も、彼から向けられた恐ろしい目を覚えている。


 この中にいる番犬に会えても、気分を害すれば呆気なく殺されてしまうだろう。


「大丈夫。彼を説得させる手札は持ってるわ。」


 ふぅっと息を吐き出して、不気味なぐらい静かな処理場へと踏み込んだ。



 ◯●



 処理場の中は外から見るよりも更に酷い。

 腐敗した死体に集る虫、ネズミが道を闊歩する。

 あばら小屋が数件あれど、どこも人気はない。

 

 正気のないエルフたちは、皮膚と骨しかなく目が虚ろだ。生死が分からない状態の者が地面のあちこちに横たわっていた。


「うぐっ……」


 気を抜けば吐き出してしまいそうな惨状。

 王都にこんな場所があったなんて、現実とは思えない。


「早く番犬を見つけて帰りたい……。」


 しかし、どれだけ目を凝らしても明かり一つない暗がりで、番犬を探し出すのは至難の業。

 というより、こんな場所にまだ生きていると言えるエルフが残っているとは思えないのだ。


 ——ガサッ……


 ふと、脇道の向こうから何かが落ちる音がした。


「誰か、話せる者がいるの!?」


 誰でもいい。

 話ができるエルフがまだいるという確証が欲しい。その一心で音の鳴った方へと走った。


「お願い、私と少し話、を………………」


 月夜にできた影。

 その影の正体は、エルフなんかじゃなかった。


「嘘、でしょ……」


 ダラダラと涎と血を垂らす四足歩行。

 それも一匹じゃない。

 見えるだけで五匹はいる。

 そいつらは殺したエルフの血と骨を堪能していた。


 ——魔獣だ…………


 息を呑む。

 なんでこんな所に魔獣が?

 魔獣がこの場所を襲うのはまだ先なはずなのに。

 なんで、どうしてが頭を駆け回る。

 

 ——逃げないとっ!!


 脳では理解できるのに、足が、地面に張り付いて動かない。全身が石みたいに、固まっていく。

 

 そして、ゆっくりとこちらに振り向いた魔獣と、目が、合った……


 その瞬間、突然スイッチが入った猫みたく体が動いた。

 足を翻し、ヒールなんてその場に置き去りにして。


 痛みを感じている暇もない。

 とにかく処理場から脱出しないと。

 頭にあるのはそれだけ。

 

 後ろからは唸り声を上げた魔獣が今にも飛びかかってきそう。まだ出口はずっと、先……、


 ——このままじゃ、間に合わない……


 舗装されていない凸凹な地面に脚を取られ、ぎゅっと目を閉じまま、地面に倒れ込んだ。


「まだこんな所にやってくるバカで間抜けなお貴族様がいるなんて、傑作だな。」


 生ぬるい液体が頬に飛んできた。

 真上から降る声はどこまでも低く、刃のように鋭い。

 ゆっくりと目を開けると、月光に輝く蒼い瞳がこちらを見下して笑っていた。


 ——私は、この瞳を知っている。


「誰を殺して欲しいんだ?」


 首には魔封じの枷を嵌められ、ろくな魔法が使えない愛玩動物。その手に握る錆びた剣一本で魔獣を切り伏せる規格外なパワー。


「ああ、それとも、あんた。悪趣味なプレーを楽しみたい異常者か?」


 片手で丸を作り、舌をその中に突っ込んで笑う彼こそ、探し人。


 淡雪のような白銀の長髪を真っ赤な血で染め、鬼神のような立ち居振る舞い。長く尖った耳がエルフの証。


 間違いない、番犬だ。


 でも前世とはかなり印象が違う。

 私の知る番犬はもっと寡黙で冷徹だった。


「番犬……?」


 いいえ、違う。

 目の前に立つこの男はまるで、

 

 まるで、絶世の輝きを放つ、美しい駄犬だ……。


「ま、守ってくれてありがとう。それで貴方に……」

「守る? 何を勘違いしてるんだ?」

「……え?」


 私の声を遮って、今倒したばかりの魔獣を軽々と背負う番犬。後ろにはまだ四匹の魔獣が威嚇しながらこちらの隙を狙っている。


「この一匹は俺の晩飯用。後はどうなろうが知らねえよ。」

「え……、魔獣を食べるの!?」

「お貴族様と違って、ここにはそれ以外に食べ物がないんでね。」


 背を向けて歩き出してしまう番犬。

 私はまだ地面に転がったままなのよ!?


 いやいや、それよりも重要なことがある。

 ここで彼に見捨てられたら私、確実に死ぬ。

 せっかく番犬を見つけたのに!!

 そんなの絶対に嫌だ。


「ちょっと、待ってよ。」


 慌てて彼の服の裾を掴む。

 

「……なんだてめぇ。いますぐに殺されたいのか?」


 番犬の瞳は本気だ。

 殺気は恐ろしく、後ろにいる魔獣すら縮み上がるほど。


 だからって、諦められる理由にはならない。


「私と、契約して欲しいの。どうしてここに魔獣がいるのか知らないけど、私ならここより安全で美味しい物を提供できるわ。」


 私の言葉に番犬は背負っていた魔獣をドカッと地面に放り投げた。


「どうして魔獣がここにいるか知らないだと? てめぇらお貴族様がここに魔獣を連れてきてんだろうが。」

「……え?」


 どういう事?

 魔獣を連れて来てる?


「なんにも知れませんって顔だな。良いぜ、現実を見せてやるよ。」

「な、なにを……、ちょっと、降ろしてよ!!」


 番犬はさっきまで魔獣を掴んでいた血塗れの手で私を担ぎ上げた。そのまま、風を裂くように何処かへと走り出す。


 人を担いでるとは思えない速さ。

 耳の側でゴーゴーと鳴っている。


 気づいた頃には、後ろにいたはずの魔獣の姿はあっという間に居なくなった。


「着いたぜ。これを見ろ。」

「いだっ……、」


 突然、番犬が立ち止まり放り投げられた。

 尻餅を付くのはこれで三回目だ。


 苛立ちながら指し示された方に目を向ける。


「なんで……、こんなっ!?」


 王都をぐるりと囲む城壁。

 それはもちろん、この処理場の端にも今はまだ、あるはずなのに……、


「城壁が、壊されてる……」

 

 そんなはずない。

 だって、ここが壊されるのは、まだ、先のはず。


「もうずっと前から北東の城壁は意図的に壊されたままだ。」


 彼の話が本当なら、ここから魔獣は入り放題じゃない。


「お貴族様が壊したんだぜ。」

「嘘よ!!」

「だったらなんで城壁の壊された破片はこちら側じゃなくて外に多く残ってんだよ。」


 番犬の言う通り、城壁の破損した大きな瓦礫のほとんどが、王都よりも外に散乱していた。


 まるで、内側から大砲を撃ったみたいに……。


「小型の魔獣をここへ連れて来て、その間に大型を倒す。あんた達のいつものやり口だ。」


 それじゃあまるで……、


「ここは程の良い囮だ。」


 ヒュッと息を呑んだ。

 血の気がどんどん引いていく。


「ここに放棄されたエルフは愛玩として育てられた。魔獣と戦う術なんて誰も知らないんだ。魔獣の餌にはちょうどいいだろうよ。」


 彼の言うことが本当なら、前世の私が知っている事、聞いてきた事が、崩れていく。


『処理場』


 その本当の意味が、見えてきた。

 ここはエルフを放棄する場所なんて生ぬるいものじゃなかったんだ。


 要らなくなったエルフを餌にして魔獣を足止めさせる場所。


「それで、なんだっけ? なんにも知らないお貴族様がここより安全で美味しい物を食わせてやるから契約しろだったか?」


 番犬の蒼い瞳が、月に照らされて更に青白く光る。

 背筋が凍るほど冷たく、見下して、蔑んだ瞳だ。


「この枷がある限り、俺たちエルフはこの国から出られない。魔法もろくに使えない。言葉を喋れる動物にしてくれたクソ野郎共が要らないからってここへ捨てたんだろ。なのに、今更媚びろってか?」


 番犬は、自身の首に嵌められた枷を憎しみを込めてグッと引っ張った。彼の言う通り、エルフには産まれた瞬間から魔法を封じる枷をする義務がある。


 その枷がある限り、彼らは愛玩動物で、管理されるべき対象。


 故に、主人の元から脱走しないように一定の距離を離れたら枷が首を絞め殺すように出来ている。


 ゆらゆらと私の前にしゃがんだ番犬の殺意は本物だった。


「誰がお前なんかを主人にしたがるかよ。」

「うぅ……いき、がっ」


 両手で私の首に手を掛け、ゆっくりと締め上げていく。

 首筋がメキメキと悲鳴をあげている。

 息が出来なくて、顔が、熱い。


 歪む視界は憎悪の化身と化した番犬でいっぱいだ。

 

 失敗した。

 彼の闇にいきなり踏み込み過ぎた。

 どうにか落ち着けないと、今度こそ、死ぬ——!!


「てめぇがここまで堕ちてこいよ。」


 …………え、堕ちる?

 まだ、堕ちる先があるの?


 番犬の両手首を掴んだ手を離し、地面を手当たり次第に触れる。すると、右手に城壁の瓦礫と思われる鋭利な石があった。


「あんた、の方が、バカ、ね」

「なんだと?」


 掴んだ石を思いっきり振り上げる。

 番犬は自分にぶつけられると思ったのか、咄嗟に私の首から手を離し、ガードの体制を取った。


「そんな石で俺を殺せるとでも思ってんのか?」

「…………まさか、」

「はぁ!?」


 私は鋭利に尖った石で自身の左手首を切った。

 勢いよく流れ出す血液を番犬の唇に塗り広げて笑った。


「堕ちてくるのは、あんたの方よ。」


 だって、あんた。

 あと数ヶ月頑張れば聖女の番犬になれるのよ?


 なんにも知らないから仕方がないけど、あんたはもう勝ち組の線路の上を歩いてるの。それを今、私が踏み外させようとしている。


 悪女と呼ばれて処刑された私。

 聖女の隣で皆から憧れの対象となる番犬。


 ねぇ、堕ちてくるのはあんたでしょ?


「お前、この血……、」


 そう。

 私にはもう一つ切り札がある。


「私の血、妖精達にとっては美味しいお酒になるそうなの。」


 血に含まれる魔力がそうするのか、元々の血が原因なのかは分からない。けれど、私の血は妖精達の良い娯楽になるらしい。


 聖女の稀血ほど珍しくはないけど、この国にはたまに私みたいな血を持つ人間が産まれる。お陰で月に数回の採血を条件に、王太子の婚約者になれてしまった。


「今この国に出回っている妖精用のお酒ほぼ全ては、私の血を人間用の酒で希釈した物。」


 ただ、この強すぎる血のせいで普通の妖精とは契約が出来ない。それに妖精の酒の原料が私だったなんて公表すれば、国内外から狙われてしまう。だからこの事は王室と公爵家だけの秘匿事項。


 事情を知らない貴族からは無能だと馬鹿にされるし、一部からは次期王妃には相応しくないと批判されている。


 前世の私は誰になにを言われても、裏では公爵家とこの国を支えられているのだからそれで良いと思っていた。けど今は違う。


 ——使える物は全部使ってやるわ。


「酒は良薬にも毒にもなるでしょう。私の血は、原液だと弱い妖精には毒になるみたいなの。エルフのあんたはどう?」


 唇に着いた血を必死に腕で拭き取っているけど、さっきより顔が紅潮して見える。


 やっぱり、エルフにもこの血は通用するのね。

 一度口にしてしまえば、知ってしまえばもう戻れないでしょう?


「この血もこの身体も全部、あんたにあげる。誰にも媚びなくていいし、私を主人と思わなくていい。」


 さぁ、堕ちてきなさいよ。

 あんたが、ここまで、堕ちてきなさい!!


「だから、私の復讐に手を貸して!」


 それが出来たらもう、この人生は要らないから。


「復讐、良い響きだ……。」


 目を丸くして独り言を呟く番犬に怪訝な顔をして見せると突然、彼は口角を上げた。


「…………アハッ」

「な、なにが可笑しいの?」

「こんな熱烈な告白をされたのは初めてだぁ!!」


 私の血を拭き取るのをやめた番犬は、どこまでも艶かしく、ダダ漏れの色気を晒しながら唇に付いた血を舌で舐め取った。


「アハハハ、ハハ、アヒャヒャッ!!!」


 月光に照らされた彼は真っ赤に咲く薔薇のように、頬を染め、耳を染め。


 声に釣られてやって来たさっきの魔獣を、四匹纏めて斬り伏せていく。

 

「てめぇら、邪魔だァァア!!」


 ひと目で分かるほど、この男は酔っ払っている。

 その姿はまるで、理性を失った獣のよう。


「いいなぁ〜、お前。凄く良い。血は美味いし、愛玩動物に身を捧げるバカなところも良い。最ッ高に興奮した。」

「ぐっ……、あ゙あ゙!!」


 未だ左手首から滴り落ちる血を美味しそうに舐めて、無理やり引っ張り上げた私を自身の腕の中に抱き入れた。


「なぁ、聞こえるか? 俺、こんなにバクバクするの初めてだ。どうしよう、俺っ、死んじゃいそう!」

「あんた今、相当酔っ払ってるのよ!!」


 力が強すぎて抱き締められている身体が痛い。

 どれだけ踠いても、振り解く事が出来なくて。押し当てられた彼の胸板からうるさく鳴る心音を聞くしかなかった。


「俺と契約しよう!」

「…………え、いいの?」


 まさかこんなに上手くいくなんて……。

 このチャンスは逃せない。


「は、早く契約しちゃいましょう!!」

「俺に名前を。」


 妖精と人間の契約は、人間が妖精に名前を与え、妖精が人間に印を残す事で結ばれる。


 前世でこのエルフは“番犬”だった。

 でも今世は、私のモノだ。


「…………ミラ。貴方の名前はミラよ。」


 番犬じゃなくて良い。

 こっちの名前の方が彼にはよく似合うわ。

 

「ミラ。気に入った。あんたの名前は?」

「レビィ・ハルバーティエ。」

「そうか、レビィ。あんたに印を付けてやる。」


 目が合った。

 背中に電気が走ったみたいにゾクゾクする。

 だってミラの焦点はほとんどあっていないのに、喰い殺されそうな強い雄の目をしていたから。


「…………あっ、」


 口元から覗く犬歯。

 ミラは躊躇いなく石で切った左手首に噛み付いた。


「い゙ッ!!」


 何度も何度も、執拗に噛み付き、歯が肉に突き刺さる感覚が全身を駆け巡る。


「み、ミラぁ……、もう…………、」

 

 痛みで視界がボヤける。

 身体の力が抜け、ミラに支えられないと立って居られない。耳にはさっきからグチュグチュといやらしい音が支配して、その他はなにも聞こえない。


「はぁ……、ハァ、ハァー……、」

「…………契約完了っと!」


 ようやく離れた左手首には、赤い契約紋が浮かび上がっていた。


「契約って、ここまで体力を、使うのね……」


 もっと簡単だと思ってたわ。

 でも、これで欲しい物は手に入れた。

 

「あいつらから初めの手札を奪ってやれた。」

 

 この調子でどんどんあの聖女が契約した強い妖精と契約を交わしていけば、復讐できる!!


「俺……、契約するの初めてだ。」

「え?」

「ここに来る前、何人かの女に契約持ちかけられたけど、俺の他にも違う奴と契約してるビッチばっかりでさぁ。」

「それはビッチではなく当たり前のこと、では……?」

 

 人間が血を供給出来る範囲なら契約はいくらでも交わせる。魔力が強い人間ほど、その数は多くなるのが一般的だ。


 前世の聖女アリアもそうだった。

 ミラとは別に、四体の妖精と契約を交わしていた。


「だから契約してる妖精とかエルフ全部殺して回ったらここに捨てられたんだ。」

「はぁ!?」

「契約って、結婚するって事だろ?」

「全然違うわよ!!」


 咄嗟にミラから距離を取ろうとして、両手を強く掴まれ抱き寄せられた。


「言い忘れてたけど俺、結構独占欲強いんだぁ。浮気なんてしたらそいつ……、嫉妬で殺しちゃうかも♡」


 凍り付く私にミラは唇を啄むようなキスをした。

 

 

 レビィとミラ。

 二人が巻き起こす復讐劇が国を揺るがす脅威となるまで、あと半年——。


 


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