表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

第一章 正しさの側で立つー④

***

裏通りは音が少なかった。市場の喧騒が嘘みたいに遠く、聞こえるのは足音と、どこかで水が滴る音だけだ。石畳は歪み、ところどころに水溜まりが残っている。門では霧として漂っていた川の気配が、ここでは濁った匂いとなって沈んでいる。

露店とも店ともつかない小さな軒が並んでいた。売られているのは、用途のわからない金属片、欠けた魔石、古い魔道具の外装。どれも表通りでは見かけない品ばかりだ。


ルミナは、立ち止まらずに歩きながら視線だけを動かした。壁際に腰掛けていた男が、ちらりとこちらを見る。年は四十前後、片目が濁り、指先は油で黒ずんでいる。金物屋か、修理屋か、その類だろう。

ルミナは歩みを緩め、男の前で立ち止まった。

「魔道具を直せる人を探しています。」

男はすぐには答えなかった。値踏みするように、ルミナの外套、靴、眼帯に視線を走らせる。

「魔道具の部品は品薄だ。人も減った。」

低い声で言い、顎をしゃくる。

「ここでも、まともなのは残っていない。」

「それでも、誰かはいるでしょう。」

男は短く笑った。

「いるさ。それで?」

ルミナは、懐から小さな革袋を取り出した。中身を見せることはせず、指で軽く叩く。

「場所だけ教えてもらえれば、後は自分で探します。」

男は迷わず袋を受け取った。中を確かめ、満足したように頷く。

「三つ先の路地、左。鉄格子の奥だ。ノックは二回。名は聞くな。」

それだけ言うと、男はもう興味を失ったように視線を逸らした。


言われた通りの場所に進むと、古びた鉄格子があった。人一人がやっと通れる幅の路地の奥。扉の向こうから、金属を打つ音が微かに聞こえる。

ノックを二回。少し間があって、扉が内側に開いた。

中は狭かった。作業台、工具、分解された魔道具が雑然と積まれている。油と金属の匂いが鼻の奥にツンとささる。

奥に立っていたのは痩せた中年の女だった。髪は無造作に束ねられ、片腕に古い火傷の跡がある。

「……何だ。」

愛想はない。だが、視線は鋭く、こちらをしっかり見ている。

ルミナは鞄から水の魔道具を取り出し、静かに差し出した。

「修理をお願いしたいです。」

女は受け取り、無言で筒を分解し始めた。手つきは慣れている。中を覗き、舌打ちした。

「砂を噛みすぎだ。奥まで削れてる。応急処置でもたせてたな。」

「直りますか。」

「動くようにはなる。」

女は顔を上げる。

「だが、長くはもたない。部品も質が悪い。しっかり治したいなら部品ごと変えるしかないな。」

それから、はっきりと言った。

「高くつくぞ。」

額を告げられ、ルミナは一瞬だけ息を詰めた。相場を明らかに超えている。

「……さすがにその値段は。」

女は肩をすくめた。

「こんな場所まで来ておいて何を言う。嫌なら帰りな。最近は情勢が悪い。表に部品が出回るのは当分先だ。」

帝国の治安は悪化している。帝国は魔術師を国家の中心に据えているが、魔術師への反発がここ数年で一気に増えた。女の言う通り、これからのことを考えるならば、直せるうちに直しておかないといけない。

ルミナは短く考え、頷いた。

「…わかりました。お願いします。」

女は、ほんの一瞬だけ目を細めた。それが承諾の合図だった。

「日没まで預かる。その間、目立つな。」

女は低い声で続ける。

「魔術師なら、なおさらな。」

その言葉に、ルミナは何も返さなかった。ただ、空になった手を握りしめ、店を後にした。

外の空気は、さっきよりも重く感じられた。


修理屋を出ると通りのひやりとした空気が肌に貼りついた。太陽は高く昇っているがこの通りまでは届かないようだ。細い道には影が濃く落ちている。

「日没まで、か……」

女の言葉が、頭の奥で反芻される。

目立つな。魔術師なら、なおさら。


裏通りを歩きながら、ルミナは無意識に診療所の方角を見た。

あの紫の光。濁って、脈打っていた魔石。きっともう長くない。

そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。ただの予測だ。右目が示さなくても、誰にでもわかることだ。


足は勝手に向きを変えていた。

来た道を戻り、診療所まで進む。扉は半開きで、中から複数人の言い争う声が聞こえてきた。

嫌な予感が、背中を這い上がる。中を覗いた、そのときだった。


紫の光が、床に散った。

禁制魔道具の残骸。踏み砕かれた魔石が、砕けた欠片の間でまだ微かに脈打っている。

「……なに、して……」

声が、途中で切れた。子どもが寝台の上で咳き込んでいる。小さな身体が折れるように震え、呼吸のたびに喉が鳴る。

その傍らで、数人の男女が立っていた。見覚えのある革の装備。路地裏で感じた、あの空気。

見覚えのある女が、淡々と口を開いた。

「お前は…昨日の女か。」

「…何をしているの?」

「これは限界だった。今日か、遅くても明日には割れていたはず。」

「でも…」

「禁制魔道具への依存を断つ必要がある。壊さなければ、いずれ捕まる。」

正論だった。頭では、理解できる。

でも。まだ光っていた。ほんの少しなら使えたはず。

ルミナは部外者だ。でも、目の前の子どもが、救えたかもしれない命が、紫の光と共に散ろうとしている。

その事実がルミナを進ませる。自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。

「その子は、どうするつもり?」

子どもが、苦しそうに息を吸う。その音が、ルミナの胸を強く揺さぶった。


その瞬間。視界が、ずれた。右だけが、遅れる。世界の輪郭がわずかに歪む。

やめろ。見るな。

思ったのに、視界が、割り込んでくる。見ようとしていないのに、未来が押し寄せる。


———夕方。薬を持つ手が途中で力を失う。

————床に落ちる音。

—————夜。静かな診療所。空になったベッド。


「……っ、あ……」

喉が詰まる。息が、うまくできない。

「その子が、死ぬ……!」

叫びだった。考えるより先に、言葉がこぼれ落ちた。


女が、ぴたりと動きを止める。

「……どうして、それがわかる。」

問いは低く、鋭い。

ルミナは答えられなかった。見えた光景を否定するように目を強く閉じ、ただ首を振る。

女は、床に置かれた薬包を一瞥した。

「薬はある。時間はかかるが、助かる可能性は——」

「間に合わない!」

沈黙が落ちる。誰かが、息を詰める音がした。

女はしばらくルミナを見つめてから、静かに言った。

「……なるほどね。」

それ以上は、何も言わなかった。

「やり方を変えるつもりはない。でも、今日のことは覚えておこう。」

そう言い残し、女達は診療所を去っていった。


残されたのは、咳の音と砕けた紫の欠片だけ。

診療所に集まっていた人々が子どもの看病を再開する。禁制魔道具の代わりに届けられた薬を飲ませて寝かせる。


ルミナは、立ち尽くしていた。右目はもう、何も映していない。

できることは、何もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ