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第一章 正しさの側で立つ-②

***

気のせいだと考えようとして、できなかった。人の足音が、一拍遅れて重なる。

ルミナは角を曲がり、もう一度大通りに出て人混みに紛れる。それでも、足音は消えなかった。


まずい。完全に後をつけられている。

灰色の髪は人通りの中でもよく目立つ。逃げるには不向きだ。

ルミナは歩調を落とし、露店の影に入る。立ち止まり、布の端を直すふりをして後ろを確認した。

人の流れの向こうに、フードを被った男がいる。視線が合うと、すぐに逸らされた。


やっぱり。

市場の端へ向かい、細い路地に足を踏み入れる。川から離れたせいか、空気が一段重くなる。湿った壁。剥がれた漆喰。排水溝に溜まった濁水。

足音は、ついてきている。

もう一つ、路地を曲がる。意図的に人通りの少ない方へ入った。


ここなら。


背後で、靴音が止まった。

「なあ。」

低い声。

振り返ると、男が二人立っていた。どちらも市場で見かけた顔だ。

一人はフードの男。もう一人は短剣を腰に下げている。

「旅人さんよ。」

フードの男が、にやりと笑う。

「その鞄、いいもん入ってそうだ。」

ルミナはゆっくりと鞄を握り直した。

「道を間違えただけです。」

「嘘くせぇ。」

短剣の男が、一歩近づく。

「その魔道具、見せろよ。」

水の筒を指さす。魔石狙いか。

心臓が早鐘を打つ。

逃げ道は、背後の路地だけ。

ルミナは一歩下がった。

「渡すつもりはありません。」

「じゃあ、力ずくでいいな。面もなかなかいいし、色々楽しめそうだ。」

短剣の男が刃を抜いた。

その瞬間、空気がひりついた。


使うしかない。

ルミナは左手で心臓のあたりを押さえ、右手を前に出した。

魔道具はない。魔石もない。

使うなら、自分の未来。どの未来が失われるか。ルミナにはわからない。それでも、今を切り抜けなくては結局未来などないのだ。


喉の奥が焼けるように熱くなる。胸の奥から、何かが引き抜かれる感覚。

地面がわずかに隆起し、短剣の男の踏み込みが外れる。遅れてルミナの視界が揺れ、足元がふらついた。魔術の代償だ。

「あ?」

踏み込むはずだった一歩は位置を外し、男の身体が不自然に傾ぐ。男は舌打ちし、体勢を立て直そうとする。

その途端、喉を押さえた。

「……っ?」

呼吸が、詰まる。

まるで、空気の通り道だけが一瞬消えたみたいに。


男の顔色が変わる。口を開けても、息が入らない。乾いた音だけが漏れる。

「ぐっ……!」

短剣が床に落ち、金属音が路地に響いた。

男は膝をつき、喉を掻きむしる。

次の呼吸が戻る頃には、全身から力が抜けていた。そのまま、地面に崩れ落ちる。


生きている。ただ、動けない。


続いて飛びかかろうとしていたフードの男が一瞬、怯んだ。

「魔術師か……!」

油断なく目を細め、一気に距離を詰めてくる。


速い。

ルミナは歯を食いしばり、もう一度手を振る。

フードの男の体勢が崩れる。しかし、男は踏みとどまって倒れるのを耐えた。

かなり警戒されている。先ほどと同じ魔術は通用しないだろう。

それに、魔術行使によりルミナの体力は削られている。走って逃げようにも男性の体力とではスタミナ負けしそうだ。

逃げても追いつかれる。ここで止めなきゃ終わりだ。


フードの男が再び向かってきた。

左から来た拳を避ける、と同時に男の左足がルミナの腹部に刺さる。

「ごっほ…!」

血の味がする。痛みで視界が歪むがなんとか耐える。ここで倒れてはまずい。


「悪く思うなよお嬢ちゃん!」

フードの男が、左手を振り上げる。

その手には、小さな金属の筒。大きな魔石が埋め込まれているのが見えた。


禁制魔道具。

男が魔道具を強く握りこむのが見えた。


まずい。

次の瞬間、紫がかった光が走った。

ルミナはとっさに横へ飛ぶ。直前までいた場所の壁が光で削られ、石が砕け散る。


「禁制魔道具だなんて…随分穏やかじゃないね。」

ルミナは息を荒くしながら睨んだ。

「魔術師相手に出し惜しみなんざできねぇだろう?」

男が嗤う。


再び睨み合いが始まる。

入り組んだ路地は狭く、二人の距離は数歩で詰められる程度しかない。

禁制魔道具は次の攻撃のためか、魔石が徐々に光を強めている。

冷たい汗がルミナの首を伝った。短剣の男がいつ立ち上がってくるかもわからない。戦況はルミナの劣勢だ。


魔石の光がさらに強まる。フードの男が魔道具を掲げた。

ルミナも覚悟を決める。意識を集中させ、息を大きく吸い込んだ。右目が小さく鼓動する。


その瞬間、路地の奥から、乾いた音が響いた。

ガンッ、とフードの男の手首が弾かれ、魔道具が石畳を転がる。


「……な!?」

女が、フードの男の懐に踏み込んでいた。迷いのない動きだった。

腹に一発。

顎に一発。

フードの男は声も出さずに崩れ落ちる。


女は足元の禁制魔道具を見下ろし、何の感慨もない顔で踏み砕いた。

バキン、と魔石がひび割れ、紫の光が霧のように散った。


「……チッ。」

短く舌打ちすると、女は踵を返し、地面に崩れている短剣の男の襟首を掴んだ。

「おい。」

返事はない。女は無造作に腕を捻り、背中側で両腕を絡めるように拘束した。

フードの男は動かない。短剣の男も、呻き声ひとつ立てずに俯せになっている。


女はようやくルミナの方を見た。

年は二十代後半くらい。短く切った黒髪に、日に焼けた肌。細身だが無駄のない筋肉がついた身体は、戦闘慣れしていることを感じさせる。革のジャケットに、動きやすそうなズボン。腰には短い棒状の武器が差してある。

鋭い目つきだったが、敵意というより探るような視線だった。

女は、ルミナの眼帯に一瞬だけ視線を走らせる。


「……魔術師様が、路地裏でこんなチンピラに追い詰められるとはね。」

女が口元だけで薄く笑う。

ルミナは口を閉じたまま視線を逸らした。魔術は使える。それだけだ。名乗る資格はない。

「あの程度の魔術で未来を変えようなんて、随分平和なのね」

それだけ言うと、男達を引きずるようにして路地の奥へ向かった。

「こいつらは私がもらっていくよ。なぁに、帝国へ渡すよりは有意義に使うさ。」

振り返りもせず、女は消えた。


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