第七章 思いつく限りの最悪-⑤
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青い影の奥から、足音が近づく。規則正しい。迷いがない。圧だけが、通りに満ちる。
セラが振り向く。
「……え?」
背後の青騎士たちが、自然と道を空ける。その中央を、一人の男が歩いてくる。
外套は翻らない。風はない。それでも、空気が揺れる。
灰青の瞳。
真っ直ぐに、ルミナを見る。ルミナの喉が、わずかに鳴った。
(あの時の――)
城門での視線。戸惑いの、一瞬。
男は立ち止まる。イリスの横。ルミナと正面で向き合う位置。
「イリス。」
低く、落ち着いた声。
「状況は。」
「説得は不調です。」
簡潔な報告。男は頷く。
それから、ルミナを見る。まるで確認するように。
「……ルミナ・エレブリス。」
名前が、裏通りに落ちる。セラが息を呑む。
「なんで、名前……」
ルミナは答えない。オルフェンは続ける。
「正式に要請する。」
声は強くない。だが拒否を想定していない声音。
「帝国管理下へ戻れ。」
沈黙。ルミナの目が冷える。
「断る。」
即答。
一瞬だけ。オルフェンの瞳が揺れる。ほんの、わずか。
それは怒りではない。残念そうな、悲しい色。
「君は理解しているはずだ。自分の力の規模を。」
「わかってるよ。」
ルミナの声は静かだ。
「だからこそ、戻らない。」
セラが、困惑と恐怖の間で揺れている。
「ちょ、ちょっと待って、二人とも……」
オルフェンはセラを見る。
「君は無関係だろう。」
冷静に告げる。
「ここから離れろ。」
セラが首を振る。
「離れない。無関係じゃない。」
小さな声だが、はっきりしている。
オルフェンの眉が、わずかに動く。
「なぁ、ルミナ。」
あえて、名前を呼ぶ。優しくすらある響きで。
「外れ値は、自由にしていい力じゃない。一人の選択が、千を殺すことがある。」
ルミナの指先が、震える。そうだ、使えば、傷つくのはいつも他者だ。
「それでも。」
ルミナは前へ出る。完全に、セラを庇う。
「選ぶのは、私。」
空気が決壊する。青騎士たちの気配が変わる。
オルフェンの声が落ちた。
「……拘束。」
その一言で、空間が動く。青が一斉に踏み込んだ。
青が動くより、先だった。ルミナが、踏み込んだ。
「下がって、セラ!」
振り向かない。振り向けば、遅れる。
石畳を蹴る音が重なる。青騎士が三方向から詰めた。
訓練された間合い。無駄がない。
一人の青騎士が、セラの後ろへ回る。
その瞬間。
ルミナの視界が、裂けた。じり、と右目が焼けて鼓動する。
――一秒先。青騎士の剣が振り下ろされる軌道。石畳に散る血。セラの肩が裂ける未来。
(――駄目だ。)
踏み込みを変える。剣を受けず、懐へ入る。肘で鎧の隙間を打つ。
金属音。
青騎士の体勢が崩れる。
同時に。
代償。
別の騎士の足が、石畳のわずかな段差に引っかかる。
本来なら踏み越えられる高さ。だが、躓く。
剣筋が、数センチ逸れる。青騎士の肩口から、血が滲む。
ルミナは歯を食いしばる。
(ごめんなさい。)
代償は、自分には来ない。
「干渉確認!」
誰かが叫ぶ。オルフェンの声が低く響いた。
「魔術の使用を許可する!迅速に拘束しろ!」
包囲が狭まる。ルミナはあえて前進し、セラとの距離を取る。
五歩。
七歩。
十歩。
これ以上は遠くに行けない。
(代償範囲は……)
完全に制御はできない。でも、距離があれば、巻き込む確率は下がる。
青騎士が二人、同時に踏み込む。
右目が鼓動をうつ。
――二秒先。左から盾打撃。右から刺突。回避不能。
(なら。)
ルミナは、真正面に突っ込んだ。本来なら自殺行為。
だが、未来視が示す一点の隙間。
盾と剣が交差する瞬間。ほんの僅かな死角。
滑り込む。刃が頬を掠める。血が飛ぶ。痛みは浅い。
だが、次の瞬間。
代償。
右の騎士の手首が、不自然に捻れる。筋が、切れる。
左の騎士が武器を取り落とす。落ちた盾が地面を滑る。
(……止まらない。)
ルミナの呼吸が荒れる。
未来視は、連続使用すればルミナ自身も疲弊する。
代償もまた、大きくなる。
青騎士たちが、次々と小さな負傷を負っていく。足首を挫く。視界が歪む。刃が逸れる。
「距離を取れ!」
オルフェンの声が鋭く響く。彼はまだ動かない。観察し、分析している。
ルミナの胸が上下した。
(これ以上は。)
一歩、退く。
だが。青騎士の一人が、死角から踏み込む。
未来視が、強制的に開く。
――三秒先。背後から斬撃。セラの位置。
(やめて。)
ルミナは振り返りざまに、剣を叩き落とす。強引に。
本来なら腕が折れる角度。だが折れない。
代わりに、踏み込んだ騎士の足元が崩れる。
代償。
未来を捻じ曲げた反動が、別の騎士へ跳ねた。
ルミナの後ろから斬り込んだ騎士が血を吐く。
騎士の踏み込みで、石畳が割れた。転倒。背中を強打し、空気が止まる。
未来視は、確実に青騎士を削っていた。
ルミナの頬に血が流れる。呼吸が荒い。視界が滲む。未来が無数に重なり始める。
(止めないと。)
でも止めれば、捕まる。
オルフェンが、ついに動く。ゆっくりと、剣を抜く。
「……やはり。」
灰青の瞳が、真っ直ぐ向く。
「未来視か。」
彼の踏み込みは、他と違う。迷いがない。
――五秒先。斬撃。回避。追撃。回避は…困難。
(……それでも。)
代償。
ルミナの視界の先、槍を持った騎士の腕が、ひしゃげた。
ルミナが歯を食いしばる。もう一度、未来を開く。強引に。
代償。
騎士の一人の鎧が、内部から歪む。大量の出血。
オルフェンの剣が、寸前で止まる。その一瞬の乱れ。
ルミナは後退する。呼吸が乱れる。視界が赤く染まる。
未来視の連続使用で、脳が焼ける。
青騎士は、確実に削れている。
「ルミナ、やめて!」
セラの声が遠く響く。ルミナは振り向かない。
(もう少し。)
あと少しで包囲が崩れる。
だが。足が、ふらつく。
未来が多重化しすぎて、現在が掴めない。
オルフェンが踏み込む。本気だ。
ぶつ切りになった未来が、視界を掠める。
――ルミナの喉が断たれる未来。
(……っ。)
選べ。
自分が死ぬか。
青騎士を壊すか。
迷う時間もないうちに、ルミナの喉元へ剣が迫る。
その瞬間。
石畳の上に、影が落ちる。乾いた足音。
「おいおい。」
軽い声。
「やりすぎだろ。」
黒が、視界に差し込む。その隙間から金色が覗く。
ルミナの喉元寸前で、オルフェンの剣が止まった。
火花。金属音。
金色の瞳を細め、アウレリオが剣を振り払った。
心底愉快そうに、低く、笑う。
「くくっ……未来の取り合いか?」
肩をすくめる。
「くだらねぇ。」
ルミナの膝が、わずかに崩れる。アウレリオが、横目で言った。
「下がれ。」
静かに。
「お前が決めたんだろ。なら、今は生き延びろ。」
オルフェンの瞳が、鋭く細まる。
空気が、完全に戦場へ変わる。




