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第七章 思いつく限りの最悪-⑤

***


青い影の奥から、足音が近づく。規則正しい。迷いがない。圧だけが、通りに満ちる。

セラが振り向く。

「……え?」

背後の青騎士たちが、自然と道を空ける。その中央を、一人の男が歩いてくる。

外套は翻らない。風はない。それでも、空気が揺れる。

灰青の瞳。

真っ直ぐに、ルミナを見る。ルミナの喉が、わずかに鳴った。

(あの時の――)

城門での視線。戸惑いの、一瞬。

男は立ち止まる。イリスの横。ルミナと正面で向き合う位置。

「イリス。」

低く、落ち着いた声。

「状況は。」

「説得は不調です。」

簡潔な報告。男は頷く。

それから、ルミナを見る。まるで確認するように。

「……ルミナ・エレブリス。」

名前が、裏通りに落ちる。セラが息を呑む。

「なんで、名前……」

ルミナは答えない。オルフェンは続ける。

「正式に要請する。」

声は強くない。だが拒否を想定していない声音。

「帝国管理下へ戻れ。」

沈黙。ルミナの目が冷える。

「断る。」

即答。

一瞬だけ。オルフェンの瞳が揺れる。ほんの、わずか。

それは怒りではない。残念そうな、悲しい色。

「君は理解しているはずだ。自分の力の規模を。」

「わかってるよ。」

ルミナの声は静かだ。

「だからこそ、戻らない。」

セラが、困惑と恐怖の間で揺れている。

「ちょ、ちょっと待って、二人とも……」

オルフェンはセラを見る。

「君は無関係だろう。」

冷静に告げる。

「ここから離れろ。」

セラが首を振る。

「離れない。無関係じゃない。」

小さな声だが、はっきりしている。

オルフェンの眉が、わずかに動く。

「なぁ、ルミナ。」

あえて、名前を呼ぶ。優しくすらある響きで。

「外れ値は、自由にしていい力じゃない。一人の選択が、千を殺すことがある。」

ルミナの指先が、震える。そうだ、使えば、傷つくのはいつも他者だ。

「それでも。」

ルミナは前へ出る。完全に、セラを庇う。

「選ぶのは、私。」

空気が決壊する。青騎士たちの気配が変わる。

オルフェンの声が落ちた。

「……拘束。」

その一言で、空間が動く。青が一斉に踏み込んだ。


青が動くより、先だった。ルミナが、踏み込んだ。

「下がって、セラ!」

振り向かない。振り向けば、遅れる。

石畳を蹴る音が重なる。青騎士が三方向から詰めた。

訓練された間合い。無駄がない。

一人の青騎士が、セラの後ろへ回る。

その瞬間。

ルミナの視界が、裂けた。じり、と右目が焼けて鼓動する。

――一秒先。青騎士の剣が振り下ろされる軌道。石畳に散る血。セラの肩が裂ける未来。

(――駄目だ。)

踏み込みを変える。剣を受けず、懐へ入る。肘で鎧の隙間を打つ。

金属音。

青騎士の体勢が崩れる。

同時に。


代償。

別の騎士の足が、石畳のわずかな段差に引っかかる。

本来なら踏み越えられる高さ。だが、躓く。

剣筋が、数センチ逸れる。青騎士の肩口から、血が滲む。


ルミナは歯を食いしばる。

(ごめんなさい。)

代償は、自分には来ない。

「干渉確認!」

誰かが叫ぶ。オルフェンの声が低く響いた。

「魔術の使用を許可する!迅速に拘束しろ!」

包囲が狭まる。ルミナはあえて前進し、セラとの距離を取る。

五歩。

七歩。

十歩。

これ以上は遠くに行けない。

(代償範囲は……)

完全に制御はできない。でも、距離があれば、巻き込む確率は下がる。

青騎士が二人、同時に踏み込む。

右目が鼓動をうつ。

――二秒先。左から盾打撃。右から刺突。回避不能。

(なら。)

ルミナは、真正面に突っ込んだ。本来なら自殺行為。

だが、未来視が示す一点の隙間。

盾と剣が交差する瞬間。ほんの僅かな死角。

滑り込む。刃が頬を掠める。血が飛ぶ。痛みは浅い。

だが、次の瞬間。


代償。

右の騎士の手首が、不自然に捻れる。筋が、切れる。

左の騎士が武器を取り落とす。落ちた盾が地面を滑る。


(……止まらない。)

ルミナの呼吸が荒れる。

未来視は、連続使用すればルミナ自身も疲弊する。

代償もまた、大きくなる。

青騎士たちが、次々と小さな負傷を負っていく。足首を挫く。視界が歪む。刃が逸れる。

「距離を取れ!」

オルフェンの声が鋭く響く。彼はまだ動かない。観察し、分析している。

ルミナの胸が上下した。

(これ以上は。)

一歩、退く。

だが。青騎士の一人が、死角から踏み込む。

未来視が、強制的に開く。

――三秒先。背後から斬撃。セラの位置。

(やめて。)

ルミナは振り返りざまに、剣を叩き落とす。強引に。

本来なら腕が折れる角度。だが折れない。

代わりに、踏み込んだ騎士の足元が崩れる。


代償。

未来を捻じ曲げた反動が、別の騎士へ跳ねた。

ルミナの後ろから斬り込んだ騎士が血を吐く。


騎士の踏み込みで、石畳が割れた。転倒。背中を強打し、空気が止まる。

未来視は、確実に青騎士を削っていた。

ルミナの頬に血が流れる。呼吸が荒い。視界が滲む。未来が無数に重なり始める。

(止めないと。)

でも止めれば、捕まる。

オルフェンが、ついに動く。ゆっくりと、剣を抜く。

「……やはり。」

灰青の瞳が、真っ直ぐ向く。

「未来視か。」

彼の踏み込みは、他と違う。迷いがない。

――五秒先。斬撃。回避。追撃。回避は…困難。

(……それでも。)


代償。

ルミナの視界の先、槍を持った騎士の腕が、ひしゃげた。


ルミナが歯を食いしばる。もう一度、未来を開く。強引に。


代償。

騎士の一人の鎧が、内部から歪む。大量の出血。


オルフェンの剣が、寸前で止まる。その一瞬の乱れ。

ルミナは後退する。呼吸が乱れる。視界が赤く染まる。

未来視の連続使用で、脳が焼ける。

青騎士は、確実に削れている。

「ルミナ、やめて!」

セラの声が遠く響く。ルミナは振り向かない。

(もう少し。)

あと少しで包囲が崩れる。

だが。足が、ふらつく。

未来が多重化しすぎて、現在が掴めない。

オルフェンが踏み込む。本気だ。

ぶつ切りになった未来が、視界を掠める。

――ルミナの喉が断たれる未来。

(……っ。)

選べ。

自分が死ぬか。

青騎士を壊すか。

迷う時間もないうちに、ルミナの喉元へ剣が迫る。

その瞬間。

石畳の上に、影が落ちる。乾いた足音。

「おいおい。」

軽い声。

「やりすぎだろ。」

黒が、視界に差し込む。その隙間から金色が覗く。

ルミナの喉元寸前で、オルフェンの剣が止まった。

火花。金属音。

金色の瞳を細め、アウレリオが剣を振り払った。

心底愉快そうに、低く、笑う。

「くくっ……未来の取り合いか?」

肩をすくめる。

「くだらねぇ。」

ルミナの膝が、わずかに崩れる。アウレリオが、横目で言った。

「下がれ。」

静かに。

「お前が決めたんだろ。なら、今は生き延びろ。」

オルフェンの瞳が、鋭く細まる。

空気が、完全に戦場へ変わる。

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