表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/45

第五章 指先だけの温度ー③

休憩所は、白い石の広場の端にあった。低い屋根。入口には小さな札がかかっている。

【休憩所 飲水提供/座席規定数】

「座席まで規定あるのか……。」

セラが呆れた声を出しながら、扉を押す。

中は思ったより賑やかだった。と言っても、帝国の酒場みたいな騒がしさじゃない。笑い声が小さく弾み、湯気の匂いが穏やかに漂っている。湯飲みの陶器が、こと、と置かれる音。木椅子が、ぎし、と鳴る音。

机の上には、薄い茶色の飲み物と、乾いた菓子が並んでいた。甘い匂いではない。麦と草の匂いがする。

「お茶だ!」

セラの目が光る。

「しかも甘味!文化がある!」

「文化って……。」

笑いながらルミナも椅子に腰を下ろした。背中が石壁に当たる。冷たい。けれど湿っていない、乾いた冷たさだ。

向かいの席に、子どもたちが四人、ぎゅっと固まって座っていた。さっき住宅街で輪っかを転がしていた子たちだ。こちらを見て、目を丸くする。

「旅の人?」

一番小さい子が聞いた。

「うん。湿原を越えてきた。」

セラが胸を張る。

「えええ!」

子どもたちが一斉に息を呑んだ。

「湿原って、沈むやつ?」

「虫が耳に入るやつ?」

「ワニいるやつ?」

「全部いる。」

セラが即答する。

「しかも、ぜんぶ嫌なやつ。」

子どもたちは、同じタイミングで顔をしかめた。

「やだ。」

「ぜったい行かない。」

「行ったら死ぬ。」

「死なないよ。」

ルミナが言うと、子どもが首を傾げた。

「でも、帝国の人は湿原で死ぬって言ってた。」

「帝国の人、通るの?」

セラが驚く。

「たまにね。」

別の子が指を折って数える。

「商会の人とか、門兵の人とか。あと、追いかける人。」

追いかける。ルミナの胸の奥が、ほんの少しだけ硬くなる。

「帝国ってどんな国?」

セラが興味津々で身を乗り出す。子どもたちは、少しだけ考えた顔をして、順番に言った。

「うるさい。」

「光ってる。」

「煙くさい。」

「怒鳴る。」

「怒鳴るは偏見じゃない?」

セラが笑う。子どもがむっとした。

「ほんとだもん。帝国の人、いつも早口で、なんか……急いでる。」

「そう。ずっと急いでる。走ってる。」

走ってる。ルミナはその言葉に、妙な既視感を覚えた。帝国の時間は、いつも追い立てる。遅れれば切り捨てられる。追われる側は、なおさら。

「誓約領の人は?」

ルミナが聞く。

「歩く。」

「並ぶ。」

「待つ。」

「静か。」

子どもたちは、当たり前みたいに言った。

「待つの、嫌じゃない?」

セラが聞くと、子どもは目を瞬いた。

「嫌じゃない。」

「順番だから。」

「決まってるから。」

決まってるから。そこで、隣の席から大人の声が混ざった。

「決まっているのが安心なんですよ。」

話しかけてきたのは、白衣ではないが、袖口がきちんと縫われた服の男だった。

「旅をしている方ですか?」

「はい。」

ルミナが答える。男は湯飲みを置き、ゆっくり言った。

「帝国は……生き方が違う。向こうは足りないものを埋めるために走ります。こちらは、足りないものを増やさない。まずは立ち止まるのです。」

「立ち止まる…。」

セラが口の中で繰り返す。

「実際に止まってるわけじゃないですよ。」

男は苦笑した。

「ただ、変えないんです。変えようとすると、代償が出る。私たちはそれを嫌った。」

代償。その単語に、ルミナの背筋がわずかに伸びる。

「魔術のことですか?」

ルミナが問う。男は頷いた。

「ええ。帝国は魔術で埋めるでしょう。傷も、病も、移動も、情報も。確かに便利です。便利ですが――」

一拍、間を置く。言葉が、整っている。感情ではなく、結論から話す人間の口調だ。

「必ず代償を伴う。」

男は淡々と言った。

「見えないところで誰かが消える。運が削れる。寿命が短くなる。あるいは……他人が死ぬ。そういう話は、こちらにも届きます。」

セラが息を呑む。

「話、ということは……あまり知られていないと?」

ルミナが聞くと、男は首を振った。

「確証は要りません。危険なら、避ける。それだけです。誓約領は、不確定な賭けをしない国ですから。」

男の言葉は優しいのに、どこか硬い。

「でもさ。」

セラが口を挟んだ。

「魔術があれば助かる人もいるでしょ? 帝国はそのために使ってるんじゃないの?」

男は、少しだけ眉を動かした。嫌悪ではない。困惑に近い。

「でも、助けるために何かを落とすのは、良くないことですよね…?」

男は答える。

「救うなら、皆で救える範囲で。救えないなら、受け入れるのが定めです。」

「受け入れるって……。」

セラの声が小さくなる。男は、湯飲みに口をつける。

「誓約領は予防の国です。危険な状況にならないよう、最大限気をつける。だから、皆で同じ生活をします。規格を揃える。列に並ぶ。清潔を守る。変なことをしない。」

変なこと。ルミナの右目が、布の下で微かに熱を持った気がした。気のせいだと押し込める。

「帝国とは仲が悪いの?」

子どもの一人が、何でもない調子で聞いた。大人は首を振った。

「そういうことではないよ。考え方が違うんだ。私達は、ここで安全に生きているだけ。それでいい。」

「でも、帝国が来たら?」

セラが食い下がる。男は、少しだけ笑った。笑っているのに、温度がない。

「来ないようにするんです。そもそも湿原が私達を守ってくれています。でも、もし来たら…大人たちで、ちゃんと考えますよ。」

ルミナは、湯飲みを握る指に力が入っているのに気づき、そっと緩めた。手が冷たい。

極力、戦わない世界。選ばない世界。賭けない世界。それは、穏やかで、清潔で、正しい。でも、その正しさは、人を守れるのか。

「ねえ。」

セラが場の空気を変えるように明るく笑った。

「でも、ここってすごいよ! みんな元気そうだし、病人も少ないし!」

「予防をしているからです。」

男は当然のように答えた。

「病気にならないように。怪我をしないように。飢えないように。」

「……徹底してるね。」

セラが感心した声を出す。

「この安定を変えないように、守っているのです。」

男は笑顔で言った。

守る。ルミナの胸の奥で、湿原の夜の言葉が、ゆっくり浮かび上がる。

決められなかった人から沈む。

ここでは、沈まない。沈まない代わりに、決めなくていい。決めないことが、平和を守る。

子どもたちは、もう別の話をしていた。

「昨日のおばあちゃん、れいしょーれいにいったんだって。」

「ほんと?」

「うん。朝帰ってきてたよ。」

「よかったね!」

「うん!一緒にスープ食べたんだー!」

「またお菓子作ってくれるかな?」

「わたし、ふわふわしたお菓子がいいな!」

笑い声。平和。生活。

ルミナは、湯気の向こうの壁を見つめる。

白い。揃っている。正しい。

ここでは、誰も急がない。誰も賭けない。

ただ、同じ今日が続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ