序章 砂に嚙まれる街ー③
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翌朝、砂嵐の名残のような薄曇りの空の下で、ルミナは宿を出た。
街の通りには、まだ人の姿がまばらだ。閉じたままの戸も多く、砂を掃き出している家がぽつぽつ見える。
魔道具を鞄から取り出す。残量を示す光は、相変わらず弱く点いていた。
「……まずは、これだな。」
水の確保は最優先だ。修理屋を探して調整してもらわなければ。
携帯食料も揃える必要がある。今後のためにも最低限の備えがなくては。
通りを歩きながら、昨夜の店主の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
――関わるべきじゃない。
そう思ったはずなのに、胸の奥が、ほんの少しだけ重かった。
通りを歩き回って小さな修理屋を見つけた。色あせた布の看板が風に揺れているだけの簡素な店だ。
戸を押すと、中から薬草と焦げた金属みたいな匂いがした。奥の作業台で、年配の男が何かを削っている。
「水の魔道具、なんですが…。」
ルミナが筒を差し出すと、男は無言で受け取り、側面を指でなぞった。
「砂が噛んでるな。魔力の流れもちょっと乱れてる」
指先が淡く光り、筒の表面をなぞるように走る。内部で、微かな振動が返ってきた。
男はしばらく目を閉じてから、軽く筒を叩いた。
「よし。出してみな。」
ルミナの方へ突き返される。
親指で側面をなぞる。今度は、水が細く、はっきりと流れ出た。
「すごい…。」
「応急処置だ。しばらくは持つが、砂漠じゃまたすぐ調子を崩す。」
「ありがとうございます。」
代金を払うと、男はそれ以上何も言わなかった。
「次は、食料かな」
やや人通りが出てきた道を歩きながら、ルミナは旅に必要な蓄えを見て回った。
宿へ戻る途中、通りの向こうから聞き覚えのある声がした。
「お、戻ったのかい?」
顔を上げると、宿の前に店主が立っていた。
「魔道具、直ったみたいだな。」
ルミナの手元を見て、小さく頷く。
「よかったな。水がなけりゃ街を出られんからな。」
「はい。応急処置ですけど。」
「それでも十分さ。」
そのとき、店主の背後から別の男が顔を出した。
「おいおい、朝から客か?」
日に焼けた肌の、少し年上に見える男だ。
「紹介しとくよ。こいつは、俺の昔からの友人でね。」
「おう!初めましてだな!」
気さくに手を上げてくる。
「昨日の砂嵐の話、聞いたぞ。よく生きてたな!」
「なんとか……。」
「この街じゃ、運がいい方だな。」
店主が苦笑する。
「ちょうど昼飯にしようと思ってたんだが、よかったら一緒にどうだ?」
「え、いいんですか?」
「遠慮すんな。この街、今は人も少ないしな」
友人が肩をすくめる。
「どうせ俺も一人で食う予定だったしさ。ご相伴にあずかろうかな?旅の話、色々聞かせてくれ!」
***
三人で入った宿の一階にある食堂には、昼時だというのに、客の姿はほとんどなかった。
「今日は人、少ないな。」
友人が店内を見回して言った。
「砂嵐の翌日だしな。みんな、まだ家に引きこもってるんだろ。」
店主が苦笑する。
運ばれてきたのは薄いスープと硬めのパン、それに干し肉を少し。昨日とほとんど同じ献立だ。
「質素だなぁ。」
友人がパンを割りながら言う。
「文句言うな。最近は物も入ってこないんだ。」
「また帝国の都から荷が止まってるのか?」
「ああ。役人の検問が増えててな。帝国のお偉いさんの命令だとかで。」
「……またか。」
友人が鼻を鳴らす。
「こっちの砂漠なんか、どうでもいいんだろ。」
「まったくだ。」
店主が肩をすくめる。
ルミナはスープを口に運びながら、二人のやりとりに耳を傾けた。
「医者も来ないし、薬も回ってこない。隣町で病が出たって話も、結局、噂止まりのままだ。」
友人が言う。
「砂が肺に噛みつく、だっけか?」
「そうそう。砂嵐の後に咳が止まらなくなるってやつ。」
「迷信みたいな言い方だな。」
「でも、倒れた人間は実際にいる。」
店主が静かに言った。一瞬、空気が重くなる。
「……まあ、俺たちが考えたところで、どうにもならん話だな。」
友人が明るく笑って、空気を払うように言う。
「ほら、ルミナ。遠慮せず食え。旅人に倒れられたらそれこそ縁起悪い。」
「はは、そうだな。」
店主も笑う。
「こいつな、昔から無駄に世話焼きでさ。」
「おい、無駄は余計だろ。」
「ガキの頃なんて、川で溺れかけた俺をこいつが引きずり上げたんだぞ。」
「その代わり、次の日から三日間、店の皿洗いさせられたけどな。」
二人で笑う。ルミナも、思わず小さく笑った。
「仲いいんですね。」
「腐れ縁ってやつだ。」
友人が肩をすくめる。
「この街、何もないけどさ。こういう人との繋がりってのはいいもんだ。」
店主が頷く。
「そうだな。生きてりゃ、まぁなんとかなる。」
その言葉に、ルミナの胸がわずかに痛んだ。
友人がにっと笑ってルミナの方を見た。
「それで、お前さん、名前はなんていうんだ?」
ルミナは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……ルミナです。」
「ルミナか。いい名前だな」
友人がにっと笑う。
「旅の人って言ってたよな。どこから来たんだ?灰色の髪と目とは、随分珍しい色じゃねえか。」
「向こうの方…ですかね。街から街へ移動しています。」
曖昧に手で方角を示す。
「ふーん。仕事じゃなくて、放浪者って感じか?」
「そんなところですね。」
ルミナは小さく笑った。
「目的地は?」
「特には……。今は、砂漠を抜けられればいいかなって。」
「そりゃまた大雑把だな。」
友人の視線が、一瞬だけルミナの眼帯に落ちた気がした。けれど、何も言われることはなく、すぐに視線は逸らされた。
「まあいいさ。この辺りじゃ、目的なんて持ってる方が珍しい」
店主が肩をすくめる。
「困ったことがあったら言えよ。そういうのはお互い様だからな。」
その言葉を聞いたとき、ルミナはこの人だけは死なせたくないと思った。
右目の奥が、一瞬だけ、ひどく熱を帯びた気がした。
「……ありがとうございます。」
ルミナは小さく頭を下げる。
温かい食堂とは裏腹に、窓の外では砂が積もっていった。




