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序章 砂に嚙まれる街ー③

***

翌朝、砂嵐の名残のような薄曇りの空の下で、ルミナは宿を出た。

街の通りには、まだ人の姿がまばらだ。閉じたままの戸も多く、砂を掃き出している家がぽつぽつ見える。


魔道具を鞄から取り出す。残量を示す光は、相変わらず弱く点いていた。

「……まずは、これだな。」

水の確保は最優先だ。修理屋を探して調整してもらわなければ。

携帯食料も揃える必要がある。今後のためにも最低限の備えがなくては。


通りを歩きながら、昨夜の店主の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。

――関わるべきじゃない。

そう思ったはずなのに、胸の奥が、ほんの少しだけ重かった。



通りを歩き回って小さな修理屋を見つけた。色あせた布の看板が風に揺れているだけの簡素な店だ。

戸を押すと、中から薬草と焦げた金属みたいな匂いがした。奥の作業台で、年配の男が何かを削っている。


「水の魔道具、なんですが…。」

ルミナが筒を差し出すと、男は無言で受け取り、側面を指でなぞった。

「砂が噛んでるな。魔力の流れもちょっと乱れてる」

指先が淡く光り、筒の表面をなぞるように走る。内部で、微かな振動が返ってきた。

男はしばらく目を閉じてから、軽く筒を叩いた。


「よし。出してみな。」

ルミナの方へ突き返される。

親指で側面をなぞる。今度は、水が細く、はっきりと流れ出た。

「すごい…。」

「応急処置だ。しばらくは持つが、砂漠じゃまたすぐ調子を崩す。」

「ありがとうございます。」

代金を払うと、男はそれ以上何も言わなかった。


「次は、食料かな」

やや人通りが出てきた道を歩きながら、ルミナは旅に必要な蓄えを見て回った。


宿へ戻る途中、通りの向こうから聞き覚えのある声がした。

「お、戻ったのかい?」

顔を上げると、宿の前に店主が立っていた。

「魔道具、直ったみたいだな。」

ルミナの手元を見て、小さく頷く。

「よかったな。水がなけりゃ街を出られんからな。」

「はい。応急処置ですけど。」

「それでも十分さ。」


そのとき、店主の背後から別の男が顔を出した。

「おいおい、朝から客か?」

日に焼けた肌の、少し年上に見える男だ。

「紹介しとくよ。こいつは、俺の昔からの友人でね。」

「おう!初めましてだな!」

気さくに手を上げてくる。

「昨日の砂嵐の話、聞いたぞ。よく生きてたな!」

「なんとか……。」

「この街じゃ、運がいい方だな。」

店主が苦笑する。

「ちょうど昼飯にしようと思ってたんだが、よかったら一緒にどうだ?」

「え、いいんですか?」

「遠慮すんな。この街、今は人も少ないしな」

友人が肩をすくめる。

「どうせ俺も一人で食う予定だったしさ。ご相伴にあずかろうかな?旅の話、色々聞かせてくれ!」


***

三人で入った宿の一階にある食堂には、昼時だというのに、客の姿はほとんどなかった。

「今日は人、少ないな。」

友人が店内を見回して言った。

「砂嵐の翌日だしな。みんな、まだ家に引きこもってるんだろ。」

店主が苦笑する。

運ばれてきたのは薄いスープと硬めのパン、それに干し肉を少し。昨日とほとんど同じ献立だ。

「質素だなぁ。」

友人がパンを割りながら言う。

「文句言うな。最近は物も入ってこないんだ。」

「また帝国の都から荷が止まってるのか?」

「ああ。役人の検問が増えててな。帝国のお偉いさんの命令だとかで。」

「……またか。」

友人が鼻を鳴らす。

「こっちの砂漠なんか、どうでもいいんだろ。」

「まったくだ。」

店主が肩をすくめる。

ルミナはスープを口に運びながら、二人のやりとりに耳を傾けた。

「医者も来ないし、薬も回ってこない。隣町で病が出たって話も、結局、噂止まりのままだ。」

友人が言う。

「砂が肺に噛みつく、だっけか?」

「そうそう。砂嵐の後に咳が止まらなくなるってやつ。」

「迷信みたいな言い方だな。」

「でも、倒れた人間は実際にいる。」

店主が静かに言った。一瞬、空気が重くなる。

「……まあ、俺たちが考えたところで、どうにもならん話だな。」

友人が明るく笑って、空気を払うように言う。

「ほら、ルミナ。遠慮せず食え。旅人に倒れられたらそれこそ縁起悪い。」

「はは、そうだな。」

店主も笑う。

「こいつな、昔から無駄に世話焼きでさ。」

「おい、無駄は余計だろ。」

「ガキの頃なんて、川で溺れかけた俺をこいつが引きずり上げたんだぞ。」

「その代わり、次の日から三日間、店の皿洗いさせられたけどな。」

二人で笑う。ルミナも、思わず小さく笑った。

「仲いいんですね。」

「腐れ縁ってやつだ。」

友人が肩をすくめる。

「この街、何もないけどさ。こういう人との繋がりってのはいいもんだ。」

店主が頷く。

「そうだな。生きてりゃ、まぁなんとかなる。」

その言葉に、ルミナの胸がわずかに痛んだ。


友人がにっと笑ってルミナの方を見た。

「それで、お前さん、名前はなんていうんだ?」

ルミナは一瞬だけ言葉に詰まった。

「……ルミナです。」

「ルミナか。いい名前だな」

友人がにっと笑う。

「旅の人って言ってたよな。どこから来たんだ?灰色の髪と目とは、随分珍しい色じゃねえか。」

「向こうの方…ですかね。街から街へ移動しています。」

曖昧に手で方角を示す。

「ふーん。仕事じゃなくて、放浪者って感じか?」

「そんなところですね。」

ルミナは小さく笑った。

「目的地は?」

「特には……。今は、砂漠を抜けられればいいかなって。」

「そりゃまた大雑把だな。」

友人の視線が、一瞬だけルミナの眼帯に落ちた気がした。けれど、何も言われることはなく、すぐに視線は逸らされた。

「まあいいさ。この辺りじゃ、目的なんて持ってる方が珍しい」

店主が肩をすくめる。

「困ったことがあったら言えよ。そういうのはお互い様だからな。」

その言葉を聞いたとき、ルミナはこの人だけは死なせたくないと思った。

右目の奥が、一瞬だけ、ひどく熱を帯びた気がした。

「……ありがとうございます。」

ルミナは小さく頭を下げる。


温かい食堂とは裏腹に、窓の外では砂が積もっていった。

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