第四章 どこに足を置くのかー⑤
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朝の光の中、石壁が近づいてきた。
遠目に見えていた白い影は、思っていたよりずっと大きい。積み上げられた石は均一で、継ぎ目がほとんどない。泥も苔もついていない。磨かれたみたいに、乾いている。
「大きいー…。」
セラが思わず呟く。
帝国の城門みたいな装飾はない。旗もない。彫刻もない。
ただ、まっすぐな壁。まっすぐな門。無駄がない。機能だけでできた建造物だった。
門前には、すでに列ができている。声が、少ない。代わりに聞こえるのは、紙をめくる音、乾いた足音だけ。
「……静かっすね。」
トナーが小声になる。自然と、全員の声量が落ちていた。
門兵が三人。
全員、同じ服。同じ装備。同じ姿勢。
鎧ではない。軽装。腰には剣より短い刃物と、革袋。袋の口から白い布と金属器具が覗いている。
「医療道具…?」
セラが小さく呟く。
武装より先に治療具。それだけで、この国らしかった。
「次。」
呼ばれる。ガルドが代表して前に出る。書類を渡し、門兵は無言で目を通す。
やけに速い。読むというより、確認。
「商会登録済み。滞在七日。物資検査不要。」
淡々。ぽん、と小さな札を置かれる。白い木札。焼き印で番号が打ってある。
「体調不良者は申し出るように。入領印だ。携帯必須。紛失時は再発行料。」
それだけ。帝国みたいに荷物を漁られない。質問もされない。
信用は「書類」と「記録」にあるらしい。
「次。」
ルミナが前に出る。視線が合う。冷たい目。敵意はない。ただの観察。
一瞬だけ、門兵の視線が右目で止まった。
眼帯。ほんの一拍。
「外傷か。」
感情ゼロの声。どき、と心臓が鳴る。何か言われると思った。止められるとか。問い詰められるとか。
でも。
「治療区画は第三街区。希望者は自費。滞在証提示が必要だ。」
それだけだった。もう次の人を見ている。興味が、ない。助けない。でも、見捨てもしない。
ただ、選べ、と言われただけ。札を渡される。軽い。
「……終わり?」
セラが小声で呟く。
「あっさりすぎない……?」
「帝国より早いですよね。」
ダンが苦笑する。門をくぐる。
石畳。乾いた音。こつ、と杖が鳴る。薬品みたいな、清潔な匂いが広がっている。
振り返る。湿原が、遠い。七日間の泥が、嘘みたいに小さい。
そして前には、白い街。まっすぐな道に、同じ高さの建物。
整いすぎていて、少し怖いくらいだった。
「……なんか……。」
セラがぽつり。
「ちゃんとしてる国って感じ。」
帝国とはまるで違う。
ここは、誓約領だ。
***
荷車が止まった。
「ここまでだな。」
ガルドが短く言う。それだけで、終わりだと分かった。
「……ありがとうございました。」
気づけば、ルミナは頭を下げていた。
「本当に。お役に立てたかどうかは分からないですけど……一緒に来れて、助かりました。」
少しだけ、笑う。湿原での七日間が、胸の奥をじんわり温めた。
トナーが照れくさそうに手を振る。
「いやいや、こっちも楽しかったっすよ!」
「助けられたの、何回もありますし。」
ミハリが小さく頷く。
「セラの声量とか特に。」
「どういう意味!?」
笑い。いつもの空気。
その後ろで、ダンがふっと目を細めた。
「……こちらこそ。」
穏やかな声。
「最初から、ぜんぶ込みの契約です。…それでも、十分すぎるほど助かりましたよ。」
軽く礼をして、ガルドの後を追った。
気づけば、黒い外套の男も歩き出している。
彼だけ、挨拶ができていない。
「あ…!」
慌てて追いかける。
呼び止めようにも名前すら知らなかった。
「お世話になりました…。それと、何て呼べば…?」
一瞬、眉が寄った。
「……アウレリオ。」
それだけ。
そのまま、人混みに消えた。
「……それだけ!?」
取り残される。
「ルミナー!置いてくよー!」
セラが手を振る。
「あ、待って!」
考える暇もない。ルミナは走り出した。
白い門の向こうで、商会の背中が小さくなっていく。七日間の泥と、笑い声と、焚き火の匂い。
すべてが、あっさりと遠ざかっていった。
「……行こ、セラ。」
前を向く。
石畳は、もう沈まない。
誓約領が、目の前に広がっていた。




