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第三章 絡む意図ー⑥

***

街道から外れた高台。青騎士の野営地。

昼だというのに、天幕の内側は薄暗かった。布越しに差し込む光が、机の上の地図を白く照らしている。簡素な机の上には、書類と木札が並べられていた。商会名、人数、荷量、通行予定日。すべて整然と分類されている。

「南倉庫の一件、関係者は全員拘束済みです。」

イリスが報告する。

「押収した魔石は百三十七。補助術式の試作品が二十七。設計図と帳簿も確保しました。」

「……そうか。」

鎧姿のオルフェンは短く答えた。声に喜色はない。

「自白も取れています。流通経路をいくつか吐きました。現在、別働隊が確認に向かっています。」

「早いな。」

「抵抗がありませんでしたので。」

あまりに素直だった。その言葉に、オルフェンはわずかに眉を寄せる。

「……素直すぎる。」

「はい。」

イリスも同意した。

「あれだけの規模で、誰一人逃げない。証拠も揃いすぎている。」

「まるで、見つけてくれと言わんばかりだ。」

沈黙。

天幕の外で、風が布を揺らす音だけが鳴る。

オルフェンは地図を見下ろした。赤い印がいくつも打たれている。

空振り。空振り。空振り。そして、ようやく一つだけ当たり。当たった後の流れは恐ろしくスムーズで、今までの苦労が嘘のようだ。

「……妙だな。」

「罠、でしょうか。」

「可能性はある。」

オルフェンは腕を組む。

「だが、魔石異常は事実だ。市民生活に影響が出ている以上、放置はできん。」

合理的な結論だった。罠かもしれない。だが、対処しない理由にはならない。

「隊長。」

イリスが、別の書類を差し出す。

「こちらを。」

紙には手書きの報告が並んでいた。

目撃情報。

「灰色」「女」「フード」「片目を隠す」「旅装」

同じ単語が、何度も繰り返されている。

「……増えたな。」

「はい。ここ数日で急増しています。」

「位置は。」

イリスは地図に小さな印をつける。

港。市場。道具屋。宿屋。

点は、ゆるやかに収束している。

「……中心が、ステイラだな。」

「はい。」

イリスの声が、わずかに低くなる。

「本部より再通達が来ています。灰色の魔術師は最優先対象。魔石案件より優先して構わない、と。」

オルフェンが視線を上げた。

「そこまでか。」

「“外れ値の可能性あり”。原文のままです。」

天幕の空気が、わずかに冷える。

その言葉の重さを、二人とも理解していた。

外れ値。

帝国が、その単語を使うのは一部の事例だけだ。

通常の魔術師ではない。規格の外。理屈が通用しない存在。

「……魔石異常との直接因果は薄い。」

オルフェンが言う。

「だが、同時期に現れ、同時期に騒ぎが拡大している。無関係と断じるのは早計か。」

「同意します。」

イリスは迷いなく頷いた。

「少なくとも、放置する理由はありません。」

オルフェンは地図を見つめたまま、静かに命じる。

「検問は維持。ただし、商会物流は予定通り通す。」

「はい。」

「止めすぎれば街が死ぬ。」

「了解。」

「だが——」

そこで一拍置く。

「出入りする商会、すべて記録しろ。同行者も例外なく。」

「全員、ですか。」

「全員だ。」

声は低く、硬い。

「名前、外見、人数、役割。違和感があれば即時報告。」

「承知しました。」

イリスは天幕を出る。

外で待機していた騎士に短く命じる。

「各商会を監視。旅人の同行申請があれば全件照合。灰色の特徴を持つ個体は私に直接報告。」

「はっ。」

騎士が散っていく。

天幕の陰で、風が草を揺らす。街はいつも通り動いている。

笑い声も、商人の怒鳴り声も、港の喧騒もある。だがその裏で、静かに網が張られていく。音もなく。確実に。

「……逃がさない。」

イリスが小さく呟いた。それは怒りでも憎しみでもない。任務としての決意だった。

罠は仕掛けた。あとは、かかるのを待つだけだ。


***


まだ外は薄暗い時間、ルミナはそっと目を覚ました。

街はまだ完全には起きていない。遠くで鳥の鳴き声がして、どこかの戸が開く音がひとつだけ響いた。朝というにはやや早い、日の出前の時間だった。

ルミナはしばらく天井を見つめたまま、ゆっくり瞬きをする。胸の奥が、驚くほど軽い。昨日までの焦りも、追われるような不安も、今は少し遠い。

商会と契約が決まった。道が、できた。

それだけで、こんなにも呼吸が楽になるのかと、自分でも少し驚く。身体を起こすと、隣のベッドから規則正しい寝息が聞こえた。セラは毛布にくるまり、完全に丸くなっている。片腕が外に出ていて、指先がぴくぴく動いていた。夢でも見ているのだろう。

ルミナは小さく笑う。

「……子どもみたい。」

そっと立ち上がり、窓を少しだけ開けた。

湿った夜の空気が流れ込む。河の匂い。冷たい水の匂い。遠くで船の軋む音がする。

今日、出る。この街を離れる。帝国の外へ。

その実感が、遅れて胸に満ちてきた。怖さよりも、どこか楽しさのほうが勝っている自分に気づく。

セラと一緒だからかもしれない。

「……セラ。」

小さく呼んでみる。反応はない。

もう一度。

「セラ。朝だよ。」

「んー……。」

もぞ、と毛布が動く。

「あと…少し…。」

「昨日“日の出前に出るぞ!”って言ってたの誰だっけ。」

「……ルミナ……。」

「そうだね。」

「じゃあ……ルミナが起きといて……。」

「ひどいな。」

くす、と笑いがこぼれる。ルミナはベッドの端に腰かけ、軽く肩を揺すった。

「ほら。商会に集合って言われたでしょ。遅れたら置いてかれるよ。」

「それはやだ……。」

ぱち、と目が開く。寝ぼけたまま、むくりと起き上がるセラ。髪がぼさぼさだ。

「……今日、出るんだよね。」

「うん。」

「湿原、だよね。」

「うん。」

「……ちょっとワクワクしてるかも。」

セラは照れくさそうに笑った。

「怖いけどさ。なんか、“旅してる!”って感じしない?」

その言葉に、ルミナも小さく頷く。

「……する。」

怖いはずなのに。追われているかもしれないのに。

それでも。セラと並んで歩くこの時間が、どうしようもなく愛おしかった。

「よし、顔洗ってくる!」

「先に荷物まとめとくね。」

「お願い!」

ばたばたと動き出すセラを見送りながら、ルミナは荷袋の紐を締め直す。

杖、防水布、保存食、契約書。指先でひとつずつ確かめる。

大丈夫。準備はできている。

朝を迎える直前の静かな時間帯、二人の影が並んだ。

ほんの少しだけ未来が明るく見える、そんな穏やかな時間だった。


荷袋を背負い、部屋の戸をそっと閉めた。木の扉が噛み合う小さな音が、やけに大きく響く。まだ宿の廊下は暗い。ランプの火も落とされていて、足音だけが板張りを軋ませた。

階段を降りる。昨日まで何度も通ったはずの場所なのに、今朝は少しだけ違って感じた。空気が冷たい。夜の名残がまだ残っている。

外扉を押すと、薄青い光が差し込んだ。夜と朝のあいだの色。世界がまだ目を覚ましきっていない時間帯。湿った空気が頬に触れる。河の匂い。冷たい水の匂い。

「……寒っ。」

セラが肩をすくめる。

「上着、着といてよかった。」

「うん。」

自然と声も小さくなる。二人は並んで歩き出した。

最初の数歩は、昨日までと同じだった。

石畳。閉じた店の扉。荷車の影。どこにでもある、静かな早朝。

だが、通りの角を曲がった瞬間、ルミナの足がわずかに止まった。視界の先、橋へ続く道の入口。昨日はいなかったはずの影が立っている。

青い。

夜明けの薄光の中でも分かる、鈍い金属の色。

青騎士。

しかも一人ではない。二人、三人。等間隔に配置され、動かない。

「……もう立ってるんだ。」

セラが小さく呟く。

「朝早いねぇ。」

冗談めかした声。だが、少しだけ固い。

さらに進む。別の通り。港へ下る坂道の上。倉庫街へ向かう分岐。湿原側へ続く道。

すべての“抜け道”に、同じ青が置かれている。まるで街の出口に杭を打つみたいに。

「……昨日より、増えてない?」

「うん。」

数が増えたというより、密度が上がっている。網が細かくなっている。通れる隙間が、目に見えて減っている。

胸の奥が、ゆっくりと重くなる。さっきまでの軽さが、嘘みたいに消えていく。楽しかった朝の空気が、少しずつ削られていく感覚。

「大丈夫だよ。」

セラが言う。

「私たち、契約書あるし。正式な商会だし。」

「……うん。」

自分に言い聞かせるみたいに、ルミナは頷いた。契約書は荷袋の中。何度も確認した。商会の正式登録の補助魔術師。

書類上は、何も問題ない。何も、ないはずだ。

それでも。すれ違う騎士の視線が、やけに長い。一瞬で終わるはずの確認が、ほんの半拍だけ続く。顔。髪。背丈。記録するみたいな目。

「……行こ。」

ルミナはフードを深く被った。布越しに視界が暗くなる。

それでも、視線は消えない。背中に、ずっと刺さっている。

夜明けの光が、ゆっくりと街を照らし始める。柔らかいはずの朝日が、今日はやけに白く感じられた。

希望の色ではなく、暴き出す光。隠れていたものを、すべて表に引きずり出す光。その中を、二人は商会へ向かって歩いていった。


青騎士の立つ通りを抜け、角を二つ曲がったところで、ようやくその建物が見えてきた。昨日訪れた、小さな商会。派手な看板もない。石造りの壁に、控えめな紋章が掛けられているだけ。

それなのに、不思議と目に入る。まるで「ここだ」と示されているみたいに。建物の前には、すでに数人の人影があった。荷馬車が一台。車輪には泥除けが取り付けられ、荷台は防水布で几帳面に覆われている。縄の結び目ひとつまで整っていた。

木箱がいくつも積まれているが、無駄な隙間がない。計算された配置。準備は、とうに終わっている。

慌ただしさがない。出発前特有の怒鳴り声も、焦りもない。ただ、淡々と持ち場につき、淡々と確認をしている。

「……早いね。」

セラが小声で言った。

「うん。」

他の商会は、もっと騒がしい。人が走り、荷がぶつかり、声が飛び交う。

だが、ここだけ違う。静かだ。

まるで、毎日同じことを繰り返しているみたいに。

その空気に、ルミナはほんの少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。青騎士の視線が、ここまで届いてこない。圧迫感が、薄い。

「おはようございます。」

聞き覚えのある声がした。昨日の若い男だった。

すでに外套を羽織り、帳面を片手に立っている。髪も整い、すべての準備が終わっている顔。

「おはようございます。」

セラが元気よく返す。

「時間ぴったりですね。さすがです。」

男は柔らかく微笑んだ。その声音は、昨日と同じ。

「こちらも、ほぼ準備は整っております。積み込み確認が済み次第、すぐに出発できます。」

“すぐに出発できます。”

その言葉が、妙に頼もしく聞こえた。昨日までの、門前払いの連続。青騎士の視線。息苦しい街の空気。それらすべてが、この建物の周囲だけ少し遠い。

「……なんか、ここだけ別世界みたいだね。」

セラがぽつりと呟く。

「落ち着く……。」

ルミナも同じ感覚だった。安全だと、錯覚する。ここにいれば、追われない気がする。

若い男は帳面を開き、淡々と確認する。

「ルミナ様、補助魔術師登録済み。契約書番号三七。セラ様、同行補助員登録済み。」

名前が呼ばれる。書類の上で、自分たちが正式に“商会の一員”になっている。それだけで、胸の奥が少し温かくなる。

「馬車にどうぞ。出発前に最終確認を行います。」

促され、二人は荷馬車へ近づいた。

木の手すりに手をかけた瞬間、ルミナはふと後ろを振り返る。通りの向こう。遠くに、青い鎧が見えた。だがこちらを見ていない。別の方向を監視している。

昨日まで感じていた“狙われている感覚”が、ここでは薄い。

まるで結界の内側に入ったみたいに。

「……大丈夫そうだね。」

セラが笑う。

「うん。」

ルミナも頷く。

そう。大丈夫。きっと、うまくいく。

不安を振り切るように、胸の内で何度も繰り返した。


荷の最終確認が終わると、商会の男が小さく手を叩いた。

「では、出ます。」

それだけだった。号令らしい号令もない。気負いもない淡々と、いつも通りの仕事の延長のように。

だがその一言で、空気がすっと引き締まる。荷車がゆっくりと動き出した。木製の車輪が石畳を擦り、低い軋みが朝の静けさに溶ける。縄の張り具合を確かめる者、帳面を閉じる者、外套を羽織る者。

誰一人慌てていない。全員が自分の役割を理解している動きだった。

「……なんか、すごいね。」

セラが小声で言う。

「うん……。」

ルミナも同じ感想だった。旅というより、作業だ。危険な湿原越えのはずなのに、この商会にとっては日常業務のひとつにすぎないらしい。

その事実が、妙に心強い。

二人は自然に隊列の中へ組み込まれる。荷車と荷車の間。外から見れば完全に商会の一員だった。

若い男が振り返る。

「足元にお気をつけて。道が湿っていますので。」

声は相変わらず穏やかだ。気遣いが細かい。商売人というより、世話係のような丁寧さだった。

通りへ出る。空はまだ群青色を残し、東の端だけがわずかに白んでいる。鳥の鳴き声がぽつぽつと響く。街はまだ半分眠ったままだ。

だからこそ、余計に目立った。

道の先。検問の柵の近くに立つ、衛兵の影。革鎧に槍。見慣れた装備。

先ほどまで通りを埋めていた青い鎧の騎士たちは、ほとんど見当たらない。詰所の脇に一人、腕を組んで立っているだけ。遠くから全体を眺めている、監督役のような位置だった。

「……あれ?」

セラが小さく呟く。

「思ったより、普通じゃない?」

「……うん。」

拍子抜けするほど、いつもの国境だった。机、帳面、簡易天幕、眠たそうな衛兵。戦場の気配はない。さっきの重苦しさが嘘みたいだ。胸の奥の緊張が、少しだけほどける。

「いけそうだね。」

セラが笑った。その横顔を見て、ルミナも小さく息を吐く。

商会と契約して、書類もある。自分たちはもう“旅人”じゃない。“商会の一員”だ。正規の手続きだ。

何も問題はない。自分に言い聞かせる。それでも、心臓は少しだけ早い。荷車の列は止まらない。

ゆっくりと、しかし確実に検問へ近づいていく。木柵の前で、衛兵の一人が手を上げた。

「止まれ。通行証の確認だ。」


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